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今日は猫家の中でひとりだけ肩身の狭い思いをしている、スヌーピーについて話そう。
スヌーピーは、保健所に預けられた子犬だった。
猫家に引っ越した当時(今から3年前)、私は猫家の家族を近所の放し飼いの犬や狐、イタチなどから守ってくれる、犬が欲しいと思っていた。
調べてみたら、保健所で預けられた子犬を譲ってくれるそうである。
申し込んだところ、早速翌春に頂けることになった。
当時彼女は生後(推定)3ヶ月。身体中真っ白くて鼻だけが黒く、耳が可愛らしく垂れていた。
それで「スヌーピー」と、命名することになった。
(ただし彼女は、メス犬なのだ。)
私は始めからスヌーピーを放し飼いにするつもりでいたから、彼女が育つに連れて徐々にいろいろなことを教えていった。
まず、どんな時にも呼べば来ること。
「行け」と言ったら行き、「待て」と言ったらその場で待ち、「来い」と言ったらすぐ来る。
そして猫家の敷地内から決して出ないこと。
これだけ覚えれば、例え放し飼いでも決して他人に迷惑をかけることはないだろう、というものをすべて教えた。
またスヌーピーも、よく覚えたものである。
彼女は穏やかで決して吠えず、噛みつかず、誰からも好かれる犬だった。
私が畑で働けば、スヌーピーは側で穴を掘ったり虫を追いかけたり、田んぼに出れば土手を走り回り、家にいるときはもちろん家周りから離れない。
ちょっと遠くに仕事に出る時にも、彼女を軽トラの荷台に乗せて連れて行った。
彼女は決して私の側を離れない。
必ず、呼べば声の届く範囲にいる。
だから、安心してどこにでも連れ歩くことができた。
私とスヌーピーとの、片時も離れない蜜月のような時が流れた。
そしてあれは、去年の暮れのこと。
外は雪に覆われて、私は家の中にいる時の方が長くなっていた。
ある時、スヌーピーがいないのに気がついた。
そして半日ほど経って、帰って来た。
私は彼女を叱った。
ところが、数日するとまたいなくなる。
そんなことが度重なるうちに、ある日隣りの人から、「スヌーピーを預かってるから引取りに来てくれ」との知らせが入った。
なんとスヌーピーは、いつの間にか「猫家の敷地を離れてはいけない」という規則を破って、彼方まで遠征するようになっていたのだ。
しかも何日も家に帰らずに。
なぜかというと、私が軽トラに乗せてスヌーピーを連れ歩いてるうちに、彼女はすっかりこの界隈で有名になり、ひとり暮らしのお婆さんなどが彼女に餌をやったりするようになっていた。
もちろん、それを見つけた時点で私は餌をくれないようにと、お願いする。
スヌーピーの躾は、他の犬と同様餌を使って行っている。
もし餌の効果がなくなったら、これからの躾どころか、今までの躾だって維持できるかどうか・・・。
しかし、中には私に隠れて餌を与えるお年寄りも出て来た。
私自身とても苦しんだ時だった。
そして苦闘2ヶ月の末、スヌーピーを他の飼い犬同様に、紐で繋ぐことにした。
実際あの頃は、どうしようもなかった。
隠れて餌を与えるお年寄りがすぐ近くにもいて、例え餌抜きにされても、スヌーピーは私の目を盗んでは隣りに行くようになっていた。
まったくのお手上げだった。
それから今日まで6ヶ月。
スヌーピーは繋がれっ放しである。
毎朝の散歩だけが、玄関前を離れる機会になっている。
時々自由だった頃のことを思い出してか、スヌーピーは訴えかけるような目で私を見る。
私も、わかっている。
いつかまた、一から教え直して、彼女が再び自由に暮らせるようにするつもりだ。
今日、スヌーピーが私の膝に寄りかかった時に、
足の爪が、まるで猫のように長く伸びているのに気がついた。
それは、繋がれた犬の半年の歳月だった。
私はとても哀しくなり、
今日、10分でもいいから、彼女を思いっきり駆けさせてやろうと思った。
スヌーピーの紐を解くのは、実に久しぶりだった。
スヌーピーはまるで狂ったように、畑を、草原を、田のあぜ道を、脱兎のごとく駆け抜け、
いつまでもいつまでも、止むことなく走り続けた。
自由な時間はわずかだったけれど、
彼女にとってはこの夏最高の体験になっただろう。
私はこれからこうして毎日少しずつでも、
スヌーピーのために、時間を割こうと思っている。
【写真はスヌーピー。始まって以来の「美犬」・・・かもしれない。】
スヌーピーは、保健所に預けられた子犬だった。
猫家に引っ越した当時(今から3年前)、私は猫家の家族を近所の放し飼いの犬や狐、イタチなどから守ってくれる、犬が欲しいと思っていた。
調べてみたら、保健所で預けられた子犬を譲ってくれるそうである。
申し込んだところ、早速翌春に頂けることになった。
当時彼女は生後(推定)3ヶ月。身体中真っ白くて鼻だけが黒く、耳が可愛らしく垂れていた。
それで「スヌーピー」と、命名することになった。
(ただし彼女は、メス犬なのだ。)
私は始めからスヌーピーを放し飼いにするつもりでいたから、彼女が育つに連れて徐々にいろいろなことを教えていった。
まず、どんな時にも呼べば来ること。
「行け」と言ったら行き、「待て」と言ったらその場で待ち、「来い」と言ったらすぐ来る。
そして猫家の敷地内から決して出ないこと。
これだけ覚えれば、例え放し飼いでも決して他人に迷惑をかけることはないだろう、というものをすべて教えた。
またスヌーピーも、よく覚えたものである。
彼女は穏やかで決して吠えず、噛みつかず、誰からも好かれる犬だった。
私が畑で働けば、スヌーピーは側で穴を掘ったり虫を追いかけたり、田んぼに出れば土手を走り回り、家にいるときはもちろん家周りから離れない。
ちょっと遠くに仕事に出る時にも、彼女を軽トラの荷台に乗せて連れて行った。
彼女は決して私の側を離れない。
必ず、呼べば声の届く範囲にいる。
だから、安心してどこにでも連れ歩くことができた。
私とスヌーピーとの、片時も離れない蜜月のような時が流れた。
そしてあれは、去年の暮れのこと。
外は雪に覆われて、私は家の中にいる時の方が長くなっていた。
ある時、スヌーピーがいないのに気がついた。
そして半日ほど経って、帰って来た。
私は彼女を叱った。
ところが、数日するとまたいなくなる。
そんなことが度重なるうちに、ある日隣りの人から、「スヌーピーを預かってるから引取りに来てくれ」との知らせが入った。
なんとスヌーピーは、いつの間にか「猫家の敷地を離れてはいけない」という規則を破って、彼方まで遠征するようになっていたのだ。
しかも何日も家に帰らずに。
なぜかというと、私が軽トラに乗せてスヌーピーを連れ歩いてるうちに、彼女はすっかりこの界隈で有名になり、ひとり暮らしのお婆さんなどが彼女に餌をやったりするようになっていた。
もちろん、それを見つけた時点で私は餌をくれないようにと、お願いする。
スヌーピーの躾は、他の犬と同様餌を使って行っている。
もし餌の効果がなくなったら、これからの躾どころか、今までの躾だって維持できるかどうか・・・。
しかし、中には私に隠れて餌を与えるお年寄りも出て来た。
私自身とても苦しんだ時だった。
そして苦闘2ヶ月の末、スヌーピーを他の飼い犬同様に、紐で繋ぐことにした。
実際あの頃は、どうしようもなかった。
隠れて餌を与えるお年寄りがすぐ近くにもいて、例え餌抜きにされても、スヌーピーは私の目を盗んでは隣りに行くようになっていた。
まったくのお手上げだった。
それから今日まで6ヶ月。
スヌーピーは繋がれっ放しである。
毎朝の散歩だけが、玄関前を離れる機会になっている。
時々自由だった頃のことを思い出してか、スヌーピーは訴えかけるような目で私を見る。
私も、わかっている。
いつかまた、一から教え直して、彼女が再び自由に暮らせるようにするつもりだ。
今日、スヌーピーが私の膝に寄りかかった時に、
足の爪が、まるで猫のように長く伸びているのに気がついた。
それは、繋がれた犬の半年の歳月だった。
私はとても哀しくなり、
今日、10分でもいいから、彼女を思いっきり駆けさせてやろうと思った。
スヌーピーの紐を解くのは、実に久しぶりだった。
スヌーピーはまるで狂ったように、畑を、草原を、田のあぜ道を、脱兎のごとく駆け抜け、
いつまでもいつまでも、止むことなく走り続けた。
自由な時間はわずかだったけれど、
彼女にとってはこの夏最高の体験になっただろう。
私はこれからこうして毎日少しずつでも、
スヌーピーのために、時間を割こうと思っている。
【写真はスヌーピー。始まって以来の「美犬」・・・かもしれない。】
いやいや、他人様に言えないのだけどね。
車にひき殺されると困るから私は繋いでますよ。成犬になる前までは散歩先で離しましたけど、遊びに来ていた子供にじゃれるので、万が一を考え繋ぐことにしています。
環境が許されるのなら散歩のときに離してやれば、そりゃ、喜ぶでしょう。
ちなみにどう猛型は”熊吉”ガサ入れのとき旦那衆に噛みついた野郎です。つまり私の番犬。
歓迎型の温和な方は”玄之介”deathヨン(^_^)
blogで犬がいることはわかってましたが、2匹だとは思いませんでした。
大型犬だとそれだけで恐れられるので、よほどうまい具合に飼わないと、繋がざるを得なくなりますね。
スヌーピーは柴犬の雑種なので、子供の遊び相手にちょうどいい大きさです。
地域の運動会や野外でのスポーツ大会には、私と一緒にほとんど参加してるので、今や子供も含めて地域中の人気者ですよ。
もっともここでは子供の数も少ないのですけど・・・。
私が働いてばかりなので、彼女をかまう時間が少ないのが可哀想なところです。
時々帰ると散歩しますが、カワイイですね。なんでこんなに必死なんだろう、と思います。
土手で、全力疾走、キモチイイ・・・。
agricoさん、すみませんm(_ _)mホームページまだ見れなくて……パソ\コンないと不便です(ToT)。
隣り村の知り合いが飼っています。
そこに行くと、いつも家の中ならまるで火事が起きたかのように吠えられますよ。
犬は本来野山を走り回って生きて来た動物だから、やはり走れないと凄いストレスが溜まるみたいですね。
現代、人との共存に悩むところですよ。
放されれば夜だろうと朝だろうと近所を歩き回って、繋がれている犬を吠えさせる。
近所にも、周りから苦情がきても頑として犬を放し飼っている家があって、それが朝晩うちにも来ては糞は残していくし、一度は鶏も獲られてしまいました。
だからスヌーピーを放し飼うのにもかなりの努力をしたのです。
また近いうちに、再度挑戦です。
寒い寒い、そして大雪の朝だった。猫家の戸をたたく者が居た。トントン…まだ寝て居たゴン太は、誰だ!と叫んでも返事は無い。しばらくするとまた、トントン…トントン…また、だれだ!と聞いても返事がない。とうとうゴン太は起きて戸を開けた。誰も居ない。不思議だ”と思いながら戸を閉めようとした時、足元をトントンとつつく者がいた。驚いて見ると小さな子猫が居るではないか。猫好きのゴン太はさよ喜んだそうな。それから、どんどん猫が増えたそうな。これで、ゴン太の家は、猫家になったらしい。猫だけでは無く、鶏や狸までやってきた。こうなるとゴン太も酒ばかり飲んでおられん。また、前みたいに元気に働き出した。猫や鶏を連れて朝早くから畑に行くんだ。皆役割があるそうだ。まず、鶏のココは朝皆を起こす。ゴン太はお弁当をつくる。猫たちは顔洗い、仕事の道具を準備をする。狸のマルダヌキはなかなか起きれないそうで、弁当ができた頃起きる。それから、皆で畑に行く。ゴン太がたがやした所をココ達が野菜に害になる虫を取る。猫達は穴を掘って、肥料と水をやる。ゴン太は種を播く。マルダヌキは何をして居るか、と言うと…お弁当の番、カラスに取られない用にだってさ。
こんな楽しい毎日を送って居たある日、…
つづく…
スヌーピーを思ってする行動が、果たして本当に彼女にとって正しいものなのか、それはアダンに対しても同じ思いです。
私は14年間猫とともに過ごしましたが、彼は自分が猫だと自覚さえもせずにこの世を去ったような気がします。
家のドアから先を知らない14年。
それを思うと、最期の瞬間、私は叫び、泣き喚きました。あまりにもかわいそうではないのかと。
それでも、老体でメスを入れるまでもない状態になった彼を眠らせなければならないという選択を取ったときも、罪の意識から逃れられず、かなりふさぎこみました。
最期の注射の瞬間に動物病院に入院していた動物がおたけびのようにか細い声を張り上げたのを今でも覚えています。
そして、その声に救われた気もします。
と、かなりずれたコメントになってしまいましたが、スヌーピーが元気に走り回れる姿を心待ちにこのビルの畑の中で祈ってます。
と言うか、これはノンフィクションですね。
ど、どうして猫家の裏事情を知ってるんですか。
まさに猫たちは私の暮らしの励みなんですよ。
・・・マルダヌキも、まるで本物です。
いつも素晴らしい物語ですね。
早く続きが読みたいです。
ありがとう。
この世にはまだわからないことがたくさんあるけれど、
わからないながらに、生きていくだけです。
彼ら動物をどう飼うか、どのような生を全うさせるか、
それは現実的に「ある程度」飼い主の選択に委ねられていますね。
言い換えれば、私たちは彼らの幸せのために大きな影響力を持っている、ということ。
とてもコメント欄では言い尽くせないので、
これについて、いつか記事にします。
私自身の抱える、とても大きな問題なのです。
真摯なコメント、ありがとう。