アグリコ日記

岩手の山里で自給自足的な暮らしをしています。

日本でまかれた枯葉剤 2

2009-11-05 09:14:35 | 思い
【第二場 日本に撒かれた枯葉剤】

じっちゃ「ぬぬ・・・なるほど、枯葉剤ってなあ、おっとろしいもんだな」
サトシ「だろ? ダイオキシンって植物から動物へ、魚からそれを食べた人間へと受け継がれてって、最後には人間の皮下脂肪に溜まるそうだよ」
じっちゃ「そんで生まれてくる子が奇形になるってのか」
サトシ「そうさ。ダイオキシンが、母親から胎児へと移ってくんだね」
 そこへ向こうから声が聞こえる。
ばっちゃ「サトシ~、じっちゃ~、小昼にすっぺ~・・・」
サトシ「あ、ばっちゃだ!」
 ばっちゃんは手に大きな風呂敷包みを提げて現れる。
ばっちゃ「あ~あ、こんところ足も腰も弱っちまったで。田んぼでも昔のようには働けねぐなったし、楽しみっていやあ、やっぱ小昼くれえなもんだな。あんれ、サトシ! いづの間にかすっかり百姓姿になって!」
サトシ「まだ半人前だよ!」
ばっちゃ「ま、わがってればいいのす。ところでさっきがら、『枯葉』『枯葉』って聞こえたけんど、枯葉ってあの、近頃よく車に付いてる・・・」
じっちゃ(威張って)「違うっつの!おめえ、なんにも知らねんだな。ありゃあ、『もみじマーク』っつうんだ」
サトシ「違うよ!ヴェトナムの枯葉剤のことだよ!」
ばっちゃ「あれ、そうなのがや」
サトシ「ばっちゃ、今じっちゃと、枯葉剤に含まれていたダイオキシンが、植物や動物だけじゃなく、人間にもものすごい毒なんだってことを話してたんだ」
ばっちゃ「ダイオキシンっつうと、ほれ、あの、ごみ燃やす時に出るあれだべ?したらば、ちゃんとごみ分別して・・・」
サトシ「ん、いや、それもあるけど。でもダイオキシンって、ごみばっかりじゃなくて、他にもいろんなところから出てくるみたいだよ。ところでじっちゃ、昔さ、『PCP』とか『エムオン』って農薬、使わなかった?」
じっちゃ「ん?PCP?なんか聞いたごどあんな。・・・ああ、あの田んぼの除草剤な!それがどうしたのや?」
サトシ「うちでも撒いたの?」
じっちゃ(胸を張って)「ああ、オラは真面目で働きもんの百姓だったで、毎年どっちゃりと撒いたもんだ」
サトシ「ええ、そんなに?・・・いや、昨日学校で教わったんだけどさ」
じっちゃ「そういや、オメエは、六原の青年道場さ通ってんだったな」
サトシ「じっちゃ!今は『農大』っての!農業大学校だよ」
じっちゃ「んで、その枯葉マークがなんだっつんだ?」
サトシ「じっちゃ!実はじっちゃの撒いてたPCPって農薬は、実はヴェトナムで使われた枯葉剤と同じものなんだってね」
じっちゃ「なぬ?」
【ナレーション2】
 日本で本格的に農薬が使われだしたのは第二次世界大戦後のことです。殺虫剤のDDTから始まり、殺菌剤、除草剤、植物成長調整剤など、今も多種多様な農薬が使われています。農薬は場合によっては人や動物、水産物などに悪影響を与えるおそれがあるので、国は農薬取締法や食品衛生法などで規制を加えています。しかし過去には、何十年も使われた後に初めて恐ろしい毒性があることがわかった農薬もたくさんあるのです。
 ところでみなさんは、ヴェトナムで使われた枯葉剤が、日本でも生産され、また国内に撒布されていたことをご存知でしょうか。
 枯葉剤を製造したのは、ほとんどがアメリカの化学メーカーでしたが、それらの会社からの委託や技術提供を受けて、1961年頃から、日本の三井東圧化学(現在の三井化学)でも製造されていたらしいのです。
 この事実は、1961年の「三西化学農薬被害事件」と、その翌年に厚生省の調査団が行った立ち入り調査、1968年の大牟田工場での爆発事故、裁判での証言記録、そして最終的には、当時の代議士(楢崎弥之助)の国会での追求を受けて、当の三井東圧化学の平山副社長が「枯葉剤の主成分とその原料(245Tと245TCP)を生産している」ことを認めたことによって、初めて知られるようになりました。
 当初この製造は極秘裏に行われ、厚生省に対する届出も「枯葉剤」としてではなく、「PCP」と虚偽の記載をしていました。しかしPCPという農薬は、「枯葉剤製造の副産物」です。そして枯葉剤そのものも、幾つかの農薬の混合物でしかありません。こうして生産された枯葉剤のほとんどはヴェトナムで消費されましたが、残りは全量林野庁に買い取られ、1968から3年間日本の国有林で除草剤として使用されました。なんと政府は、税金を使ってヴェトナムで使われたのと同じ枯葉剤を74トン(有効成分換算)も日本の国土に撒いていたのです。林野庁は後に(1971年)枯葉剤撒布の中止を決定し、使い残した薬剤を山林に埋め立て処分するよう指示を出しました。こうして全国17道県で粒剤約25トン、乳剤約2.1キロリットルが土中に埋められました。
 岩手県では、野田村、岩泉町、川井村、雫石町の4地域、21か所に埋没処理されましたが、うち1か所が分からなくなっているなどの問題も起きています。

 ここで日本における枯葉剤の製造を、また別の観点から見てみましょう。農薬のPCP、そしてCNPとの関係からです。
 「PCP(ペンタクロロフェノール)」は、主に水田除草剤として、1960年代を中心に日本で広く使われた農薬ですが、実はこの農薬は、先にも述べたように「枯葉剤」を製造する際に生まれる副産物でした。またその後継薬剤として使われた「CNP(クロルニトロフェン)」は、枯葉剤を合成する原料に使われていたものでした。どちらも枯葉剤同様、多量のダイオキシンを含んでいます。
 このグラフは1958年から75年まで、米軍による枯葉剤の撒布量と、日本国内でのPCP、CNPの生産量の関係を示したものです。

 ご覧のとおり、除草剤PCPの生産は、枯葉剤の消費期間とピタリと一致しています。前半の山が枯葉剤の撒布実験に、そして後半の山はグラフが示すとおり、実際に米軍によって枯葉作戦に使用されたのです。
 国内でのPCPの製造は1971年に終わりましたが、これはその年にヴェトナムにおける枯葉作戦が終了したことによるものです。枯葉剤の製造が中止されたので、その副産物であるPCPも生産できなくなりました。しかし化学メーカーは、「枯葉剤」としては売れなくなったその同じ成分を、今度は「CNP」という除草剤として売り始めました。
 PCPは、日本では殺菌剤や除草剤として、また木材防腐剤、シロアリ駆除剤、防カビ剤などとして、1960年から71年までにおよそ17万6千トンが使用されました。農水省がPCP中に「有害ダイオキシン」の存在を認めたのが1999年、そして回収命令が出されたのは2002年のことです。
 CNPは、1965年から94年にかけて全国的に、田植え時期の除草剤として撒布されました。商品名としては「エムオン」「MO」などが知られています。他にもダイオキシンを含んでいた農薬も幾つかありますが、放出したダイオキシン量としてはCNPが過去最大のものと言われています。この薬は後に胆のう癌との関係が疑われ、1994年にやはり使用が中止されています。

 このように、日本における枯葉剤の製造と撒布の事実は、さまざまな角度から裏付けられているのですが、そこには政府や米軍、産業界などが絡んだ大掛かりな構造が見え隠れし、詳細は40年経った今もなお闇の中に置かれ続けています。
 1960年代に始まったヴェトナム戦争は、米軍による無差別爆撃、住民の無差別虐殺、そして大量の枯葉剤撒布などにより、当時から世界的に反対運動が湧き起こっていました。もし「日本もまた、枯葉剤の製造に関わっていた。そして国内でもその一部が撒布されていた」ことが広く知られたならば、きっと大きな社会問題となったに違いありません。
 


(つづく)


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