アグリコ日記

岩手の山里で自給自足的な暮らしをしています。

冷たい雨

2005-11-27 16:31:29 | 
昨夜から猫家の裏庭で哀しげな犬の声がする。
とり憑かれたようにいつまでも。ふと途絶えたかと思うとやがてまた思い出したかのように。
たまりかねた私が裏口を開けると声はぴたりと止み
草を踏みしだく私を見ながら訴えるような視線。
首には紺色の首輪 そうか、お前も誰かに可愛がってもらったときがあったんだな。


鶏小屋の脇に仕掛けた箱罠に野良犬がかかった。そう、アポロが引っかかったその翌日の晩。
しばらくはしきりに暴れて吠えてたけれど私が近づくと大人しくなった。人間に慣れている。首輪もしている。だからこんな人工物のトラップに容易にかかるわけでもある。
懐中電灯の明かりの中で目がきらりと光る。人を怖がる半面、人間が自分を助けてくれる存在であることをよく知っている目だ。

お前が、毎晩鶏小屋の金網を千切っていたのか?このところ金網の補修で忙しいくらいだった。すっかり咬み破られて大きく穴を開けていた所もあった。
狐ではない。狐の鳴き声はすぐわかる。一方野良犬の姿を何度も見かけていた。人に気づくとすぐ逃げていく。
お前だったのか?でもちょっと前に見た犬と模様が違う。もしかしたら複数の犬がうろついてるのかもしれない。
去年5羽、今年2羽、うちで鶏が襲われ殺されている。そのうち一羽はハヤブサのようだけれど、後はほとんど野犬によるもののようだ。襲われた現場を目撃したこともある。一度味を占めると彼らは何度も顔を出す。
冬を前に罠を仕掛けていの一番に捕まったのが、お前ということか。
首輪はしてるけれど、だからといって今も飼い犬だとは限らない。このどん詰まりにような山の家に住んでると、そんな山に捨てられた犬を数多く目にする。

以前ニュースで、どこかの町で野良犬に餌をやったり保健所の仕掛けた罠に嵌った犬をわざと逃がしたりする人がいるということを見たことがある。どういう事情でそんなことをするのかはわからないけれど、その人は仮に自分の可愛がっているペットがその野犬に食べられたとしても同じように餌をやり続けることができるだろうか。詳しい経緯は知らないが、私にはとても無責任で自己勝手な行為のように思える。

山に捨てられた犬は生きようと懸命に、必死になって人家の家畜を襲う。そしてこの山里では毎年今の時期になると野犬が増えてくる。
人に捨てられた彼ら。その姿は痛々しい。できれば私も、見過ごしてやりたい。自分の鶏が襲われないのならば・・・

お前も昔誰かに可愛がってもらった思い出があるのだろう。その証拠に今でも誰かが自分を助けてくれると信じて鳴き続ける。
狐ならばそうはしない。彼らは自分を助けてくれる人は誰もいないとわかっているから捕まればただじっと体力を温存してひたすら逃げるチャンスを待ち続ける。
もう一日我慢してくれ 明日になったら保健所の人がお前を引き取りに来るから。

雪を含んだ冷たい雨は彼に降り注ぎ、芯から心と体を震わせる。




【写真は昨夜捕まった野良犬】



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