アグリコ日記

岩手の山里で自給自足的な暮らしをしています。

無知だった日本人

2009-03-15 10:56:26 | 思い
 昔南米を歩いてて、通りすがりの人や出会った人たちに、よく「Chino, chino!(中国人の意)」と呼ばれたものだった。アジアから遠く離れた彼らにとっては東洋人はみな同じに見え、その代名詞が「chino」だったのだ。ところが呼ばれたこちらにとってはあまり面白くない。それに対しては必ず、「No! Soy japones.(いや、オレは日本人だ!)」と応えたものだった。
 あれは今からもう20年以上も前のことなのだが、そんなことを重ねるうちに相手が日本人か、中国人か、または韓国人(正確を期するため以下「朝鮮人」と言おう。「朝鮮」を差別語と見る向きもあるが、私はそうは思わないし、そのようなニュアンスをもって使ってはいない。第一「朝鮮」が差別語ならば、彼らの国のあるあの半島をなんと呼べばいいのだろう?)かで人々の反応に明らかな違いが顕れることに気づいた。平たく言えば、こちらが日本人とわかれば彼らはほぼ例外なく親近感を示してくる。対してこちらが朝鮮人だと思われた場合には、時に露骨な嫌悪感や警戒感をもって遇されることになるのだ。
 日本人は嘘をつかないし真面目で信頼できる。でも朝鮮人は、特に金のためならどんな嘘でもつくし信用できない。だから商売などするときには、相手が東洋人の顔をしていれば必ず、「おまえは日本人か、朝鮮人か?」と問いただしてからするのだ。しかしそんな時朝鮮人は平気な顔で「オレは日本人だ!」と答えたりもする、などという話をさまざまな場所で幾度も聞くことがあった。南米は人種のるつぼである。そこには全世界から多様な民族が寄せ集まっている。それら移民がどのような民族性を持っているかは、そのような彼ら自身のひとつひとつの体験に基づいた評価として表わされている。つまり私は彼の地において、会ったこともない偉大なる緒先輩たち(日本人移住者)の恩恵に浴していたのだった。
 でも比率的に少ない東洋人移民と会う機会は、私には実際のところ滅多になかった。だからこの話は話として、当時私の中において「ふうん、そんなもんか・・・」という域を出ないでいたのだった。
 しかしその後の人生において、一人の韓国人の友人を得た。彼、ヤンさんは気さくで明るく、真面目に日本語を勉強して通訳として働いていた。彼とつきあう限り、私は朝鮮人を嫌うなんの理由も見出せなかった。彼はよく日本のこと、日本人のことを知ろうとしていたし、私もまた、韓国のこと、韓国人のことをもっともっと知る努力をしなければと感じ入ることしきりだった。
 だから私は概ね、個人的には朝鮮人に対して悪いイメージを持ってはいない。ただしそれはそれとして、仕事や生活において時折仄聞する朝鮮人像は必ずしもみなヤンさんのように友好的ではないのも事実だった。多くの朝鮮人は衝動的でキレやすく、時として破壊的であり、特に議論の際など頑固で相手を受け入れるということをしない。実際そのような朝鮮人たちを直接・間接的に、日本や海外において多数見てきた。
 その後田舎に籠もってからは、絶えて外国人とつきあう機会もなくなってしまったので、そんな私の「朝鮮人像」はその後なんの進展もないままに今日に至っていた。しかし私もつい最近になって、その方面の驚くべき情報に次々と接することになったのだ。もしそれらが根拠に欠けたものだったりごく一部の特殊な例であったりするならばなにも問題はない。しかしそれらの多くは私自身の体験と蓄積した情報に照らし合わせても平仄の合う、あながち否定することはできないものが多かった。今となればこんな身近なことに対しての自分の無知さ無関心さが悔やまれる。しかしそれと同時に、遅きに失したとはいえこのような情報に触れることのできる日本という国に、今日暮らしていることを幸せに思う。
 以下にそれらの情報のひとつを掲載する。

「韓国は『なぜ』反日か?」
 【1】韓国は本当に反日か?
 【2】韓国はなぜ反日か?
 【3】なぜいろんなことが誤解されたままになっているか?

 日本人にもさまざまな人がいると同じように、同じ朝鮮人や中国人にも多種多様な人間が存在するだろう。しかしだからといって日本人を理解するのに、ある程度日本の一般的な社会や歴史、文化を学ぶことが必要なことと同じように、私たちにも彼らの文化的・歴史的・教育的背景を知っておくことは価値がある。その上でこれからの人生の中で、それら情報を当て嵌め取捨選択し、時に補足し修正して、個々人が独自の観点を確立することになるだろう。
 実はここにリンクした情報だけで、ゆうに本一冊分くらいの膨大なヴォリュームがある(私も読むのに何日もかかった)。でもまずは無理ない範囲で、さわりだけでも読んでみることをお勧めする。読み進めるごとに、今までいかに私たちが隣人を理解しようとしてこなかったかがわかるだろう。広くは日本人である人にはぜひ知ってほしいことだと思うし、狭い意味においても、もしあなたがアジアを含めた世界中の人たちと仲良くしたいと願うなら、いずれは目を通しておくべき内容だと思う。 


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