進化する魂

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夫と親の対抗は、平等で公平な社会ゆえ

2011-01-04 00:36:42 | 社会
ちょっと面白い、というかちょっと納得しました。
ロジックにではなく、状況としてね。
日本の構造そのものをよく表している状況だし、
実際にそういう人たちが多くなっていると私自身が感じているからだ。

女の子の欲しいもの(Ohnoblog 2)
http://d.hatena.ne.jp/ohnosakiko/20110102/1293978579

最近、高校3年や大学4年で妊娠する女の子が増えているそうだ。その人の近所にも数人そういう娘がいて、他でもそんな話をポツポツ聞くという。

高校や大学の最終学年というと就活まっただ中の人が多い。しかしその女の子たちは、社会に出て僅かな報酬のために苦労しながら働くのはまっぴらだと思っている。そこまでやりがいのある仕事なんかないし。

しゃかりきに働きながら一生独身を通すのも、仕事+家事育児分担という共稼ぎスタイルも、どっちもしんどそう。専業もセレブでない限りつまんなそう。労働も結婚もいや。でも子供はほしい。



そこで、つきあってる男の子供を計画的に妊娠する。親バレし、就活どころではなくなり、男も外堀を埋められ逃げられなくなってでき婚。

しかし娘はその男と結婚したいのではなく子供がほしかっただけだから、数年経つと男もハメられてたことを知り、夫婦仲はうまくいかなくなって離婚。



子供を抱えて生活能力もない若い娘の生活は、当然すべて親がかりとなる。

ブツブツ言っていた父親も孫の顔を見ると娘の言うなりで、母親に至っては娘と同居し思う存分孫の面倒を見られるので大喜び。

甲斐性のなさそうな婿なんか、最初からいなくていいのだ。娘と孫さえ手元にいればいい。



こうして娘の手には、当面の楽チン生活と子供という欲しいものだけが転がり込んでくる。

父親はまだ働いているし(というかこうなったらまだまだ頑張って働かざるを得ないし)、家事は母親がやってくれるし、自分は衣食住の心配をすることなく子育てに専念できる。バツ1子供ありの親元暮らしなんて今時珍しくもないから、後ろ指指されることもない。

仕事と家事育児に追われながらの、低収入の若い男との下流生活に比べたら、天国だ。

親の資産があればもっと安泰。そのために介護を引き受けるくらい覚悟の上。夫の両親まで引き受けなくていい分、気楽。男なんかいらないのだ。使い途がなくなったら、いらない。


今後は世代に関係なく二極化が進むだろうが、
今の日本には「豊かな親」と「貧しい子供」という構図があって、
しかも、その豊かな親は若い頃に清貧に耐えて生き抜いてきた故の節約志向があり、
子供にはその親の資産を食い潰して生きてきた故の贅沢志向がある。
自立して生きる上での「資産」と「志向」のギャップを、
子供が親にパラサイトすることによって埋めている関係とでもいえるかもしれない。
で、その潤滑油の役割をしているのが「孫」なのだ。

今、豊かである親が子育て世代であった頃、
一般的に子育てに配分される力というのは今よりもずっと小さく、
その結果として、関係が良いとはいえない親子が多い。

しかし、その状況が一変するのが「出産」である。
親子ともに「孫」という存在によって一段進歩するチャンスがあるのだ。
正確にいえば、お互いの人生における着眼点が変わる大きな機会になるということだろう。

ここで女性の視点に立って、このチャンスをどう活かすかを考える。
正直に言って、配偶者たる夫と、経済的に豊かな親を比べた場合、
夫に勝てる要素があるとすれば、性的な優位性、将来的な経済的優位性、
もしくは親によって補完することができない信頼性を持つか、しかない。
もちろん男女関係上の恋愛感情が数年で低下することを前提としている。

だが、基本的に親以上の信頼性を夫が獲得することは簡単ではない。
夫と親とはスタート地点が違う。
よほど駄目な親でもない限り、夫が優位性を発揮することは難しいだろう。
そうすると、将来的な経済的優位が望めぬ夫であれば、
もはや性的な優位性でしか対抗し得ないのである。
実際には、逆の性的な優位性が存在しないパターンも多いとは思うが。

いや、「夫と親の対抗」という発想自体がおかしいのではないかという問題提起はその通りだ。
本来、立ち位置の異なるものであるから、対抗するべき存在ではない。
なのに、なぜここであえて「夫と親の対抗」を持ち出したのか。
それは、役割の異なるものとしての線引きが出来ていないからだ。

社会が平等を求める結果として、権威的な役割分担は排斥される。
フラットな社会を推進する一つの指標が経済的価値であろう。
あらゆる場面で人それぞれを平等に扱おうとすれば
当然のことながら、それを代替可能なもので全てが事足りる社会になる。
子供が欲しければ試験管ベイビーでもよいのだ。
資本主義的な言葉で語れば「分業」であろう。

これは論理の飛躍でもなんでもなく、
我々が平等で公平な社会を目指そうする結果として、
夫や親の役割分担といったものが崩壊するのだ。

世の中には、技術的にも代替可能でも、権威的に代替不能であるものは多い。
ただ、それらの権威がいつどのタイミングで崩壊するかという問題は常にある。
技術的に代替可能であれば、いずれ効率性という正義の行進を妨げることができなくなる。


昔、理不尽な子育てや、家族内のしつけ、のしきたりなどがあった時代があった。
その時代に比べれば、現代はずいぶんと平等で公平な社会になった。
だが、平等で公平な社会というのは素晴らしいだけではない。
なぜなら、平等で公平ということは、権威的な役割分担によって楽をすることができない。
ということを意味するのだから。


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