粗忽な夕べの想い

落語の演目(粗忽長屋)とモーツアルトの歌曲(夕べの想い)を合成しただけで深い意味はありません

因果関係は否定できない?

2014-05-25 08:43:09 | プロ市民煽動家

またこんな常套句が発せられる。正直うんざりしてしまう。例の美味しんぼ騒動で鼻血の描写にほぼほとんどの専門家が疑問を呈して勝負は決したように思える。しかし、拾う神もいるというのだろうか。これを擁護する市民団体が北海道がんセンターの院長を引き連れて国会内で記者会見した。例によって?朝日新聞の記事である。

 

住民の自主的な甲状腺検査に協力してきた北海道がんセンターの西尾正道名誉院長は「高線量被曝(ひばく)による急性障害に論理をすり替え、鼻血(との因果関係)を否定する『専門家』がいる」と批判。「放射性物質が付着した微粒子が鼻腔(びくう)内に入って低線量でも鼻血が出る現象はあり、医学的根拠がある」と指摘した。

院長が主張する医学的根拠が妥当かどうかはよくわからない。しかし、仮に妥当としてもどの程度の低線量で「微粒子が鼻孔に入って鼻血がでる」のか。山本太郎参議院議員も院長の論文を盾に国会で鼻血と被曝の因果関係を訴えようと食い下がったが、全く無視されたようだ。結局「医学的根拠」といっても実際にそれを裏付ける(鼻血と被曝の因果関係)統計や資料がないということではないか。

これをもって「因果関係は否定できない」といわれても全く説得力がない。これを世間では「悪魔の証明」というようだ。「ないことを証明することは現実世界では不可能に近い」ということだ。こうした記者会見を朝日新聞があたかも低線量被曝の健康被害への有力情報として取り上げ、美味しんぼ擁護に使うことに、小賢しい意図を感じてしまう。

原発事故から早3年、被曝への影響が極めて軽微である実態が、専門機関や専門家によって報告や資料となって世間に流布するようになった。こうした有力な事実を積み上げることによってのみ、確かな真実に迫る事ができる。もう「因果関係が否定できない」といった不毛の論理は、被曝への正確な理解ひいては原発事故の総括を妨げるだけだと思う。