「これ(『美味しんぼ』)に関しては漫画家さんが神。映画に関しては映画監督が神なんですよ。その人の作品。周りがごちゃごちゃ言って変えろなんて神への冒涜です」(松本人志のテレビ番組での発言)
「…『美味しんぼ』は、科学論文ではない。原発事故被害の広がり、程度については、疫学的に、慎重なる統計をとって調査すべきことであって、そのような調査は、費用を使ってもやるべきであるが、『美味しんぼ』に述べられているのは、あくまでも一人の表現者の見解である。」(茂木健一郎5月12日ツイッター)
二人とも創作作品の表現の自由を主張している。確かに一般論として二人の言っていることは正しい。しかし、その作品が特定の個人や集団を中傷したり、恐怖を煽ったりした場合はどうか。実在する人物を登場させて「福島に住むな」「福島では生きていけない」と生死に関わる深刻なメッセージを発するとしたら。仮にそれが正しいとしても問題だが(あくまでも仮定)、それが科学的根拠に極めて薄いとあればなおさら重大だ。
そこまでいかなくても、例えば松本人志がある問題のある作品を監督したとする。映画の中でライバル芸人を中傷したとしよう。「と○ね○ずのギャグはつまらない。そんなテレビ見るな」とか「爆△問△の芸は三流だ。演芸場には行くな」なんて登場人物が口走ったら大問題であろう。
松本が「神」と賞賛されるほどの映画作品をだしているかはともかく、表現者には他者への配慮や人間としての最低限の良識が必要だろう。はっきりいって美味しんぼは既にその境界線を越えている。この漫画によってどれほどの人間特に福島県人が傷ついているかを自覚すべきだろう。
その作品が悪質で、表現者の影響力で大きければそれだけ被害は大きい。風評被害をH、作品の悪質度をA、作品や制作者の社会的影響力をEとしよう。自分で勝手に数式を考えた。
特に影響力が2乗になって比例する。たとえばビッグコミックの販売部数は30万部と言われている。しかし、それだけに留まらず注目の超ベストセラー作家の作品があれば他のメディアが注目して影響は拡大していく。自治体や政府の要人がそれについて発言したりする。最近では主要の新聞が揃って社説で取りあげたりする。もともとAの基礎数も大きいからEも甚大だ。もはや風評の次元を超えているといえる。
これと関連して、「美味しんぼ」の漫画に実名で登場した荒木田岳福島大学准教授の発言を受けて、大学が「大学人の立場をよく理解して発言するよう教職員に注意喚起する」との見解をだしたという。これを朝日新聞が問いただしたら、学長は「発言の中身が不適切という趣旨ではない」「大学の見解ではないと示したかった」と弁明している。自分が学長だったら「荒木田発言は不適切」と明言したいが、朝日新聞のようなメディアに揚げ足取りされることを大学が警戒したものと思われる。
それもそのはず、記事でメディア法専門家の大学教授の発言を最後に掲載している。
大学の見解について、県内で被災者の法律相談を続ける梓澤和幸・山梨学院大法科大学院教授(メディア法)は「教員に対し、政府や県の公式見解と異なる意見を発表することへの強い抑制効果をもたらす」との懸念を示した。
こんな原則論は余計なお世話だと思う。荒木田准教授の発言内容の深刻さを棚に上げて「表現の自由」をことさらあげつらう意地の悪さだ。荒木田准教授によってもたらされたHも底知れない