粗忽な夕べの想い

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「憲法9条」ノーベル平和賞受賞の悪夢

2014-10-04 18:08:39 | プロ市民煽動家

今月10日、ノルウェー・オスロで今年のノーベル平和賞が発表される。オスロの民間機関のウェブサイトの予想ではなんと「憲法9条を保持する日本国民」が最有力だという。もっとも、この民間機関の過去の的中率が低く、あまり信用はできないようだ。しかし、朝日新聞は「受賞の期待が高まりそうだ」とその「期待感」を隠そうとしない。

この民間期間の所長は朝日新聞の取材で憲法9条について次のように発言している。

「中立や不可侵、平和主義につながる原則を掲げる憲法9条は、軍事的な紛争解決が多用される昨今において重要にもかかわらず、十分に光が当てられていない。領土問題などアジアがはらむ将来の紛争のおそれについても注目されるべきだ」

まさに朝日新聞の意向に沿った「満額回答」である。要は、地域の領土紛争などでは軍事力に頼らずに「外交的努力」つまり「話し合い」で解決すべきだ。法9条こそはその平和的な精神が強く唱われている。自分には単なる幻想論にしか思えないが、世界に日本の憲法を誇大に評価する人間がいるようだ。

ところで改めて憲法9条を提示してみたい。

第九条 

第一項 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

第二項 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

条文を普通に解釈すると、第一項によって国の「交戦権」が認められていない。ともかく戦争は駄目だから自衛戦争も許されない。そして、第二項で「陸海空軍その他の戦力」を保持しないとある。「その他」も含まれるから、軍隊でない「自衛隊」さえも認められないということになる。授業で初めて憲法を学ぶ普通の中学生が読めばそう思うはずだ。

この条文でつい古代のカルタゴのことを思い出す。ハンニバル率いるカルタゴは当初、ローマ軍を圧倒したが、次第に後退し最後はザマの戦いに完敗する。敗戦によってカルタゴは海外の領土を奪われ、50年に及ぶ賠償金の支払いを強いられた。さらに、交戦権を奪われ最後は武力も取り上げられた。裸同然のカルタゴにローマ軍が襲いかかり多くのカルタゴ市民は戦死し残った者たちは奴隷として売られた。カルタゴは完全に破壊され、街全体に塩がまかれて死の町になった。

「交戦権」と「軍事力」を放棄させられた国の最期である。すなわち現在の憲法9条の原則そのものだ。たぶん戦後のアメリカは日本の軍事力解体に古代のカルタゴを想起していたように思える。もちろん、戦後の国際環境は古代ローマ時代とは違う。冷戦時代の最中で日本は再軍備の道を漸進的に進め、今日の防衛力を維持している。

そもそも憲法9条の基本的精神は「交戦権」と「軍事力」の否定である。しかし、今日これを拡大解釈して双方も強化し、現実的な国際環境に対応しようとしている。悪くいえば憲法9条の形骸化ともいえるが、それを中韓を例外として世界が承認している。そんな世界の常識に反して今更「ノーベル平和賞」もないだろう。受賞なんてあり得ないとは思うが、仮にそんなことになったら悪夢というほかない。古代カルタゴ人も呆れる?

 

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