自分がよく聴くクラシック曲に「ローマの松」がある。イタリアの作曲家レスピーギ(1873~1937)が作曲した交響詩だ。交響詩は交響曲と違い形式にとらわれないで、思い描く詩想を音楽として自由に表現したものだ。「ローマの松」は、レスピーギが「単に松のことを描こうとしたわけではなく、松という自然を通して古代ローマへ眼を向け、ローマの往時の幻影に迫ろうという意図をもって」(ウィキペディア)作曲した傑作だ。
曲は4部に分かれてそれぞれの松からイメージした古代ローマの各名所名跡の情景が描かれている。特に第4部の「アッピア街道の松」はその迫力に圧倒される。古代ローマ軍の進軍がテーマだ。
「アッピア街道の霧深い夜あけ。不思議な風景を見まもっている離れた松。果てしない足音の静かな休みないリズム。詩人は、過去の栄光の幻想的な姿を浮べる。トランペットがひびき、新しく昇る太陽の響きの中で、執政官の軍隊がサクラ街道を前進し、カピトレ丘へ勝ち誇って登ってゆく。」
その執政官は古代ローマの英雄カエサルだろうか。大勝利に湧くローマ軍の凱旋行進。今残るアッピア街道の石畳が地響きするくらい激しい勇猛兵士の足音。当時世界に冠たる大帝国だった。レースピーギは古代ローマの栄光を通じて、イタリア人としての誇りを高揚させたことだろう。
確かに古代ローマはギリシャで生まれた政治形態や文化を集大成して、それが今日のヨーロッパ世界の源泉ともなった。「全ての道はローマの通じる」という言葉はそんな古代ローマの輝かしい物語を言い表している。
イタリアに限らず、どこの国でも誇るべき物語を持っている。それが民族の誇りアイデンティティともなって生きていく上での指針にもなっている。日本にも過去の輝かしい物語がある。明治から戦前までの時代もそうだ。しかし、現在もいまだにその時代を否定する論調が根強い。中国や韓国が日本は反省していないと騒ぎ立てる。余計なお世話だと思うが、もっと許せないのは日本人自身が過去の日本を糾弾することだ。
たとえば、慰安婦問題はそもそも日本人が焚き付けた側面が強い。旧日本軍の一軍人による虚偽証言、それを拡散した朝日新聞、弁護士たち、市民団体、左翼政党、非難決議を連発する地方議会、はてはカトリック教団に至るまで多岐にわたる。彼らは慰安婦の実態を調べることもなく、「人権」を盾に旧日本軍の「悪行」を非難し続ける。
遠いイタリア人の傑作を聴いてもこんな愚痴がでてしまう。考え過ぎかもしれない。早く純粋に美しい音楽として素直にこの交響詩に浸りたいものだ。
追記:レスピーギはこの「ローマの松」のようなローマをテーマにした3つの作品が有名だが、もう一つポピュラーな作品がある。「リュートのための古風な舞曲とアリア」という長たらしいタイトルの曲だ。
この作品も3つあるが、そのうち第3集がよく演奏される。第3集はさらに4曲で構成されている。特に自分自身第1曲の「イタリアーナ」(Youtubeでは最初の3分間)が大好きだ。優美で弾むような曲調は聴いていてワクワクする。
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