粗忽な夕べの想い

落語の演目(粗忽長屋)とモーツアルトの歌曲(夕べの想い)を合成しただけで深い意味はありません

山口百恵「さよならの向こう側」

2014-12-03 23:11:53 | 音楽

最近ラジオを聴いていたら、徳永英明が新しいアルバム「ヴォーカリスト6」でこの曲「さよならの向こう側」を唱っていた。徳永のカバーもなかなか味わいがあるが、山口百恵の原曲が自分には自然に入ってくる。山口百恵にとっての事実上最後の曲で、彼女が引退公演でこの曲を唱い終えて、静かにマイクを舞台前方に置いて会場を去っていく姿は印象的であった。

21歳で芸能界を引退して、再びこの世界に戻ることはなかった。この「さよならの向こう側は応援してくれたファンばかりではなく、彼女にとっての華麗な世界を支えてくれた芸能界全体への決別の歌であった。それも最大限の感謝を込めて…。

ここで歌手山口百恵は、寿命を終えたのだ。普通の歌手のように、懐メロ歌手として衰えた容姿や歌唱力をさらけ出すことはなく。山口百恵と時代を共にした人間は、彼女は引退した21歳の乙女のイメージが残っている。

歌手が生涯ヒット歌手として時代を謳歌できることはまずない。あのサザンやユーミンも今やかつての勢いがない。唯一の例外は中島みゆきだろうか。山口百恵はそんな歌手の宿命を意識していたのか、芸能界に全く未練を見せず、一介の平凡な主婦として別の人格として生きている。しかし、歌手山口百恵の残景は消えるどころかより鮮やかさを増していく。

かつて小泉今日子がラジオ番組で「結婚で芸能界を引退するなんでダサイ」と語っていたが、果たしてどうか。多くが昔の遺産に頼ったまであったり、俳優に転向したりする。酷い?のはバラエティ番組で意外なキャラで売り出したりする。結局、歌手としての華やかさはしおれていき、余分な装飾で被われていく。

その点山口百恵は、芸能界でも装飾が捨象され、純粋に歌手としての人格だけが残る。そして、彼女は今流行の「レジェンド」となっていき、永遠の息吹を得ることになる。

これは先日他界した高倉健に通ずるところがある。私生活を一切排除して、純粋に俳優としての人格だけになる。高倉健の人生の終わりも、まるでマイクを置くように静かで自然なものだった。ただ、孤高といわれた俳優生活ではあったが、ファンや周りの多くの人々に愛されたし、彼自身彼らへの感謝を忘れなかった。

♪後姿 見ないでください

Thank you for  your  kindness

Thank you  for  your  tenderness

Thank you  for  your  smile

Thank you  for  your  love

さよならのかわりに



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