粗忽な夕べの想い

落語の演目(粗忽長屋)とモーツアルトの歌曲(夕べの想い)を合成しただけで深い意味はありません

公開討論会要求に敵前逃亡したグータラ左翼

2016-03-20 16:44:24 | プロ市民煽動家

すでに旧聞に属するが、高市早苗総務大臣の「電波停止発言」に反発して、2月29日テレビ報道番組で頻繁に登場するコメンテーター7人が記者会見をした。その様子は異様で酷かったといってよい。「私たちは怒っています」と横断幕を広げる辺りは、活舌を自負する彼らにはまるで似合わず、かにも書生っぽくて野暮ったいものだった。

田原総一郎、岸井成格、鳥越俊太郎、大谷昭宏、金平茂紀、田勢康弘、青木理の各氏だ。何のことはない、この7人は3年前にも同じメンバーで秘密保護法に反対するため記者会見を開いており、横断幕を広げる手法も以前行っていた。

前回同様、今回も安倍政権の政策を権力の暴走とらえ、正義感を振りかざしているようにみえた。しかし、特定の思想=リベラル左翼の面々であることは否定がしようがない。反安倍、反安保法制、反原発、反基地…といった特定のイデオロギーにメンバー7人はほぼ同じ方向性にある。慰安婦問題などの歴史認識でも韓国側に立った主張をしており、大方の国民世論とは遊離している。

だから、彼らが放送の公平性を訴えること自体がそもそも矛盾している。メンバーの一人である岸井成格氏が「政治的公正公平は一般の公正公平と違う。権力は必ず腐敗し暴走する、政治の鉄則だ。権力の暴走を止めるのがジャーナリズムの役割だ」と断言している(動画38分辺り)が、どうも理解に苦しむ。たとえば安保法制でも世論が賛成反対と意見で二分されていた。それをまるで賛成が暴走で、反対することが公正公平というのは傲慢としかいいようがない。

ところでこの岸井氏は安保法制の審議が国会で沸騰してた当時、テレビの報道番組で堂々と廃案を呼びかけていた。彼の発言に対して、作曲家の杉やまこういち氏を代表とする保守派グループ「放送法を遵守する視聴者の会」(視聴者の会)が問題視して新聞に意見広告を出していた。岸井氏はこうした保守派の動きに対して会見でも憎悪むき出しの敵対的な発言をしていた(動画59分辺り)。

「低俗で知性どころか品性のかけらもない、ひどいことやる時代になったなと思った、やっていて恥ずかしくないのかと疑った、それしか言いようがない」

こんな岸井氏の物言いは、正直自分自身これが名のあるジャーナリストの言葉かと疑った。相手側の批判に論理で応えるのではなく、ただ感情だけで不満をぶちまける。天に唾するとはこのことでそれこそ「知性や品位のかけら」さえないと感じた。

当然、保守派の「視聴者の会」もこのコメントには憤懣やる方ない反発を覚えたことは想像に難くない。しかし、そこは気持ちを抑えて田原総一郎氏らに公開討論会を提案したのだろう。「言論人たちの意見の相違は言論で決着をつける」ということだ。

具体的には公共放送NHKの場を借りて双方3人が出演して議論するというものであった。しかし、提案に対する回答期限は3月11日であったが、いまだ田原氏側からは何の返答もない。完全な黙殺であった。

視聴者の会のメンバーであるケント・ギルバート氏も岸井氏らの黙殺に怒り、レギュラーを務めるネット番組(動画43分辺り)で「公開討論会に反対なら最低でもその理由を述べるべきだあり、黙殺は卑怯だ」と彼らの対応を批判していた。まさに敵前逃亡というべき情けない所作といってよい。あれだけ口汚く視聴者の会を非難した勢いはどこへやら、逃げ一方ではギルバード氏から「彼らは討論に負けることを恐れた」といわれても仕方がない。まさに「グータラ左翼」といってよい。

そういえば会見を傍聴した同業のジャーナリストによる質問では興味深いシーンがあった。どうも意図的にしか思えないほど、質問者はリベラル左翼の人たちばかり(朝日新聞、東京新聞、共同通信、IWJなど)であったが、そんな中、フリージャーナリストの神保哲生氏がなぜか厳しい質問をしていた(動画47分辺り)。

放送法4条の解釈が間違っていることはあきらかだ。であれば、なぜ放送局が全く意味不明な発言にここまで怯えるのか、あるいはそうした意向に唯々諾々と従った番組になるのか。

蹴飛ばせばいいだけの話だ。もしこういうことをいう人間がでてきたら『停波できるのならしてみろ』と今まで以上に権力批判すべきだ。

しかし会議で難しい企画を出すと上から言われるという。停波が恐ろしくてなぜあの程度の発言に萎縮するのか。何か別の理由でもあるのか。安倍さんがそんな発言で萎縮するなんて情けないと言ったののは正論だ」

日頃神保氏の主張とは自分自身対立することが多いが、この発言にはほば同意する。「蹴飛ばす」気概で対抗すべき話だと思う。それほどに日本は言論の自由が保障されている。

しかし、この質問い対して、出席者は「(神保氏のいうような)きれいごとばかりでない。テレビ局も企業だからいろいろな考え方の人間がいる。組織の中で葛藤しながら働いている」(青木理氏)などと答えている。自分には言い訳としか思えない。そして、番組制作での窮屈さは政権側のプレッシャーにあるのではなく、放送界内部に問題があるとも考えている。

早い話が「意気地がない」だけの話だと思う。そして、この会見の出席者も別な意味で意気地がない。つまり、彼らと意見を異とする保守派と戦うこともなく、逃げ一方だからだ。

本日の朝のサンデーモーニングでこのメンバーのうち2人が出演し、コメントをしていた。自分がその立場だったら恥ずかしくコメントする気にならない。テレビに向かって「そんなコメントをする暇があったら、まず保守派提案の公開討論会にでるべきだ、それをどのツラ下げて」とつい文句のひとつもいいたくなる。同じコメンテーターでも学歴詐称した経営コンサルタントの方がまだかわいい?

グータラ左翼、肝心のときには居眠りを決め込む。まるで子守唄を聴くように。昔、ヒットした中原理恵の歌「東京ららばい」風に歌うとすれば、こんな感じか。♪だから死ぬまでグータラ左翼の子守唄。もちろん、これは狸寝入りだろう。なぜか会見に出席したジャーナリストたちが狸顔にみえる。ごめんなさい!岸井さん。


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