粗忽な夕べの想い

落語の演目(粗忽長屋)とモーツアルトの歌曲(夕べの想い)を合成しただけで深い意味はありません

天声人語の蛇足

2013-07-16 15:00:41 | 反原発反日メディア

一時、朝日新聞の天声人語が大学の入学試験に出題されるという話をよく聞いた。朝日新聞自身も自社のPRに確かに使っていたことがある。最近はどうなのだろうか。受験生は現代国語の勉強にせっせと毎日天声人語を精読しているのだろうか。

しかし、どうもそんな努力も「徒労」に終わってしまいそうなコラムに出くわす。昨日15日の記事もそんな印象を持つ。特に、最後の数行が「蛇足」にさえ思えてくる。

記事は昨年パキスタンで女性の差別に反対しその人権を訴えたため、イスラム過激派に狙撃された16歳の女子学生に関するものだ。少女はイギリスでの治療の甲斐あって奇跡的に回復し、ニューヨークの国連で堂々と自分の信念を述べた。

世界では多くの女子が低年齢での結婚を強要されたり、無理に働かされたり、人身売買されたりしている。彼女らの人権を守れ、と。

さらに賞賛すべきは人に対する少女の寛容と許しの精神だろう。

身を銃撃したテロリストをも赦(ゆる)す。「彼らを憎んではいません」。慈悲の心、非暴力の哲学。預言者ムハンマドやキリストからガンジー、マザー・テレサまで、先哲からの学びの厚みが言葉を支える。

ここらで終わっていれば、おそらく来年の大学入学試験にも出題されるかもしれない。しかし、最後の数行で首を傾げてしまう。まるでお坊さんの有り難いお説教が、寄付金集めの口実かと落胆させるような結論だ。

ララさんは、日本の憲法前文でいう「人類普遍の原理」に拠(よ)って立つ。
元は西欧起源の思想かも知れない。しかし、それが南西アジアの少女の血肉となり、武器となる。その意義をわかち合った聴衆の総立ちの拍手は、世界に残された希望である。普遍の原理があまりお好みでなさそうな為政者にも、ぜひ画像で見ていただきたい。

何のことはない、日本の憲法改正の動きに釘をさしているのだ。特に「普遍の原理があまりお好みでなさそうな為政者」といったフレーズだ。まるで憲法改正で「普遍の原理」が侵害されてしまいそうな物言いだ。そしてこれは暗に憲法改正を押し進めている自民党政権を牽制するものだ。早い話が朝日お得意の「安部叩き」ということになる。

少女の崇高な精神も左翼メディアによる特定のジャーナリズに利用される。常識的に考えても憲法改正ですぐに人権が抑圧されて日本が強権国家になるとは考えられない。自民党の改正案でも基本的人権の保障はしっかり明記されている。

隙あれば安部政権を叩く。利用できる材料があればえげつなく利用する。朝日の辞書には蛇足という言葉はないのだろうか。受験生のみなさん、どう「読解」しますか。


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