粗忽な夕べの想い

落語の演目(粗忽長屋)とモーツアルトの歌曲(夕べの想い)を合成しただけで深い意味はありません

帰宅困難区域、実は避難指示解除準備区域?

2014-03-21 19:06:10 | 福島への思い

先週発売の週刊新潮で 「福島『帰還困難区域』の牛は孫に食べさせても大丈夫!」という記事があった。そこで札幌医科大学の高田純教授の報告が掲載されている。(記事がラジオの番組で口述され動画にアップされた)

福島県浪江町の牛のセシウム濃度がすでに基準値以下の被曝水準になっているという。原発事故当時は牛たちは汚染された草を食べていたが、既に食べ尽くされ今はほとんど汚染されていない新しい草を食べているためだ。また体内に取り込んだセシウムも体外に放出されてその代謝も驚くほど早い。孫に食べさせても、大丈夫、牛を食べた母親の母乳を飲んでも問題ないということだ

また高田教授が2泊3日浪江町で昼間は牧場を回り牧舎で働き夜は普通に風呂へ入って布団で寝る生活をしたという。胸にずっと線量計をつけていたが、被曝量は年間に換算して17ミリシーベルト程度だった。

年間被曝が50ミリ以上は帰宅困難区域とされ牧場は行政上その区域だが、実際は20ミリ以下の避難指示解除準備区域に該当する事になる。このように、一般に空間線量とされる国の算出と実際の被爆線量は大きな開きがある。浪江町のこの地区は実際は三分の一でしかないわけだ。

以前、東京世田谷の民家の下に放射性ラジウムが放置されていて、家族が年間30ミリシーベルト以上30年間も被曝していたことで大騒ぎになった。しかし、子どもを含めて全く健康に影響がなかったとされる。その意味ではこうした浪江の「帰宅困難区域」も全くといってよいほど生活には問題がないレベルといえる。食事も市販のものを食べていれば内部被曝を心配する事もない。

浪江町は現在住民全員が町外で避難生活を送っている。一昨年、馬場町長が5年間町に戻らない事を宣言した。つまり2017年まで後3年は帰還できないということになる。報道によるとやはり、時間の経過とともに避難民の意識は帰還より新天地での生活に大きく傾いているようだ。

県外の人間がいうのもおこがましいが、今にでも帰還を切望している人々には特別の措置ができないものだろうかと思う。たとえ帰宅困難区域でも、実際線量の低いところならば酪農やハウス栽培などのような農業、あるいは室内で行う事業など例外的に認めてよいのではないか。高田教授は、土壌も汚染は表土10センチ程度でこれを入れ替えれば94パーセント、セシウムを除去できると指摘している。これはもちろん浪江町に限らない。避難地域が再編されてもまだ帰宅が許されていない地域は少なくない。

高田教授は2012年3月より「復活の牧場」と銘打って帰還困難区域で畜産業を発展させる試みを始めたという。

安部政権が誕生して1年3ヶ月たった今でも復興の兆しが見えていない。アメリカ軍の核攻撃で壊滅した広島、長崎がその年から復興に向かった歴史を思い出してもらいたい。福島は堂々再建に向かって進むべきなのです。(高田教授)

今こそ、事故での困難、悲観や風評被害を跳ね返すパワーとそれを支える行政の強いリーダーシップが求められる。



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