南太平洋ラバウル島で1942年から3年間、旧日本捕虜となった豪州人記者ゴードン・トーマス氏が当時の体験を綴った手記で戦時中の旧日本軍慰安婦の実態が最近明るみになった。手記を入手したポーランドの教授が論文を書いたのだが、ハワイ大学のアキタ教授が講演で戦その論文を紹介している。(本日13日産経ウェブより)
この論文によれば「慰安婦らは派手な着物姿で、笑いながら一団となって船で到着した。同氏(トーマス氏)らが慰安婦の荷物を運ばされてから、群衆のにぎやかな声で見送られるまでのほぼ3年間、慰安婦たちを身近に見ていた。慰安婦は朝鮮半島出身だけでなく日本人女性も多くいた。」という。
そして、慰安婦たちが島を去る際もその様子が詳しく描かれている。
慰安婦たちがラバウルを去る様子を「拍手喝采の中、手を振りつつ通りを歩いていった。暗いグレーと緑の景色と軍服を着た人間たちの中で街に残っていたにぎやかな色合いの最後だった」
この論文が極めて信憑性が高いのは、当時を語った記者が旧日本軍の捕虜の豪州人であることだ。旧日本軍には批判的になることはあっても、進んで好意的でいられることはありえない。その豪州人が慰安婦をこんな「快活」であったと強調しているのはその実態を示している。しかも、軍服を着た旧日本軍人たちから別れ際「拍手喝采」をされている事実を知るにつけ、慰安婦と日本軍が極めて親密な関係だったことを物語っている。
これまで流布している「性奴隷」とは全く真逆な存在といえる。論文では朝鮮半島ばかりでなく、日本人女性も多くいたと書かれている。それも当然で当時は朝鮮半島の人々は日本統治で彼女たちは「日本人」であって、本土の日本人と同じ待遇を受けていたわけである。その実態は、当時の一般日本兵よりも遥かに高額の報酬を受けていた。彼女たちの様子が「にぎやかな色合い」というのは示唆的である。
旧日本軍の慰安婦が決して性奴隷でなく、戦時売春婦である証拠はアメリカ軍が押収したミャンマーの慰安所の報告などいろいろある。米軍が聞き取りしたいた朝鮮人慰安婦たちの生活はかなり自由で報酬も帰国後家を買えるほどであったという。一方慰安婦が奴隷に扱いを受けたいう記録はまず見当たらない。
しかし、産経の記事にある通り、現在米国の高校の世界史教科書では「逃亡を企てたり性病にかかった場合は日本兵に殺された」「終戦にあたり、活動を隠蔽(いんぺい)するために多数の慰安婦が殺された」などととても事実と思えない内容の記述があり、これが公の教育で使用されている。まさに「慰安婦=性奴隷」という旧日本軍を貶めて日本叩きを執拗に繰り返す韓国や中国の戦略に合致したものである。
中韓がユネスコの世界記憶遺産に旧日本軍慰安婦を登録させようと画策しているという。これはどう見ても慰安婦を「性奴隷」さらには「ホロコースト」として定義つけしようと目論んでいることが予想される。こんな陰謀には、豪州人元記者の手記など体験に基づいた事実で対抗するのが効果的であり、強力な武器となりうる。
いまだに、日本は戦後の節目の談話で「侵略」「植民地支配」などを中韓や日本のリベラル左翼から首相が公言するよう圧力を受けている。その延長には旧日本軍は悪逆非道であったという悪質で意図的な糾弾がある。しかし、少なくとも普通の旧日本軍兵士が規律正しく、真面目な一般日本人であったことを現在の子孫が世界に発信し続ける義務があると思う、
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