粗忽な夕べの想い

落語の演目(粗忽長屋)とモーツアルトの歌曲(夕べの想い)を合成しただけで深い意味はありません

接客業の鑑

2013-08-14 12:31:38 | 一般

つくづく何の仕事をするにしても接客術は大切だなと思う。不特定多数のお客を扱う仕事ならなおさらだ。それを実感したのは自分がよく通う理髪店においてである。最近はデフレの関係で1000円程度の激安で営業する理髪店が多い。ご他聞にも漏れず、自分も最近利用するのはそんな理容店である。

店には中年男性の店長と40代半ばと思しき女性が普段働いている。女性はパートらしく、時に若い男性が代わりにでることもある。その女性、おばさんと呼んだ方が良いかもしれないが、とても気さくな人で気楽にお客に話しかける。大体は当日の天気から始まる。

彼女の出身は鹿児島の田舎だが、たとえば風が強い日など本人の子どもの頃の台風の日のことを面白おかしく話す。自分もそれに乗せられてこちらの子ども時代の台風話が自然と飛び出してくる。

洗髪のない10分程度の理髪時間だが、その間会話が途切れることがない。愛嬌の良いおばさんだから自然の笑いが飛び出し、時に豪快だったりする。床屋は昔から庶民の社交場というが、まさにその言葉を地で行っている。

一方店長の方は口数があまり多いとはいえないタイプで客との間でほとんど沈黙が支配する。無理矢理店長が客に話しかけても客がボソッと返事するだけだ。一つの店で結婚式と葬式が同時に行われるような雰囲気だ。だから客の順番の関係で自分の相手がおばさんになったときは「ラッキー」と思い、その日の「ツキ」さえ意識したりする。店長が相手ではどうなのかは想像にかたくないだろう。

ところが、昨日店に入った時には、店長一人しかいなかった。店長がいつもの天気の話をしたので、お決まりの返答のついでにおばさんの不在の理由を聞いてみた。そしたら、若い男性とともに彼女も店を退職したということだ。店長によれば腱鞘炎が悪化してもはや業務ができないほどのようだ。

確かに想像するに理容師は腱鞘炎にかかりそうな気がする。あれだけ手首をつかう仕事でしかも激安店で数をこなさなければならない激務ならなおさらだろう。もしかしたら、愛嬌のある接客にも肉体的苦痛が絶えず伴っていたのかもしれない。それを思うとその仕事ぶりには改めて感謝せずにはいられない。

見た限り、自分を含めて彼女のファンは相当いたように思う。彼女との一時の会話を楽しむ目的で店を訪れる客は多いはずだ。年齢層も学生から退職したおじいちょんまで多種多様である。チェーン店でもなく、駅から奥まった一角にある目立たない店だが、自分にはかけがえのない憩いの場所に思えた。

彼女の腱鞘炎はどんな具合なのだろうか。早く完治してまた戻って愛嬌を振りまいてくれる日を待ち望まずにはいられない。快晴の日でなくてもかまわない。風が強く吹こうと、雪が降ろうと。