粗忽な夕べの想い

落語の演目(粗忽長屋)とモーツアルトの歌曲(夕べの想い)を合成しただけで深い意味はありません

田村市の明日に向けて

2013-08-02 16:42:32 | 福島への思い

福島県田村市内の避難指示解除準備区域が今月1日から3ヶ月間に限り自宅滞在が可能になった。これは福島の旧警戒区域の市町村では初めてということだ。これまでは短期の宿泊を許可されることはあってもほぼ日帰りしかできない厳しい制限がついていた。その点では、原発20キロ圏内の旧警戒区域の復興に向けての大きな一歩だといえる。

実際田村市の場合、二難指示解除準備区域は市内のほんの一部に過ぎないのだが、どうしても市全体のイメージになりがちだ。産経新聞の記事によると、その区域住民によって、立場の違いからこの動きを歓迎する人がいる一方で慎重あるいは冷淡な人もいるようだ。60代の農家夫婦はこれまで市内の仮設住宅から片道40分の日帰りで自分たちの農地へ向かっていたので、これからはその手間も省けて喜んでいる。

一方、震災前に夫をなくした70代の女性は今の仮設住宅からの帰宅には踏み切れないでいる。「誰もいない場所で何かあったら…」という不安を語っているが、どうもそれだけではないようながする。一番の理由は人との結びつきではないかと思う。仮説住宅ではあるが、同じ境遇の話し相手がいて、そうした関係が日常になりつつある。自分のカビ臭い元の住まいには知り合いがいないのでこころもとないはずだ。やはりコミュニティーがない世界ではなかなか人は生きていけない。

記事ではもう一組3人の子どもをもつ30代の夫婦のことも紹介している。どうしても子どもの被曝による健康への影響を心配しているようだ。「成長中の子供のことを考えると今は安心して帰れない。外で子供を自由に遊ばせられる状態ではない」。

田村市は今年3月に除染作業を終了したが、まだ年間被曝1ミリシーベルトを超えるところが残っているようだ。しかし、多いところでも1.6ミリ程度で国も「健康上問題にないレベル」としている。原発事故以来、メディアなどの放射能被害が過大に喧伝されて、福島特に旧警戒区域の人々の心にそれが重くのしかかっているのがわかる。この点ではもっと政府などの公共機関の啓蒙活動が必要だと感じる。

しかし、やはり生活する基盤がいまだ希薄であることが大きな問題なのではないか。農家をこれまでのように存続できるか、しっかりした雇用を確保できて生活も安安定できるか。そしてこうした人々が以前のような共同体を取り戻せるか。元の場所にこどもが帰っても友だちもいないのではかわいそうだ。昔の社会関係を構築できるか。今後の課題を多いとは思う。

ただ、今回のように可能性があること自体が、何よりも生きる希望に違いない。はっきり見える確かな糸口こそ帰還のエネルギーになる。これを外部の人間が敢えて塞ぐのような愚をおかしてはならない。