「ソネット第二部・5、6、7」の「花」シリーズはすでに書きましたので、「8」に飛びます。順不同で申し訳ありません。(←と言っても読者はいるのかなぁ。笑)ここでは「幼年期」が書かれています。そこで思い出す「リルケ」の言葉ががあります。『パリの手紙』より・・・・・・。
幼年時代を持つということは、
一つの生を生きる前に、
無数の生を生きるということである。
さて本文に入ります。
都会のあちこちに散在する公園で かつて幼時に
ともに遊んだおまえたち 数すくない友だちよ、
私たちは姿を見つけあい ためらいつつたがいを好きになり、
そして言葉の帯をくわえた仔羊のように
黙ったまま語りあったものだ。私たちが愉しんでいるようなときも、
だれのものでもそれはなかった。だれのものだったのだろう?
そしてなんとそれは 歩いてゆくすべての人びとのあいだで
また長い年月の不安のなかで 霧散してしまったことだろう。
馬車は私たちのまわりをよそよそしく旋転して通りすぎ、
家々は私たちのまわりに力強く、しかし不真実に立ちならび――そしてどれも
ついに私たちは知らなかった。いっさいのなかで何が真実だったろう?
何ものも。ただボールだけ。ボールの描くみごとな弧線だけ。
子供たちもそうではなかった・・・・・・だがひとりの子が、
ああ ひとりのはかない子が、落ちてくるボールの下に歩みよったのだ。
(エーゴン・フォン・リルケの想い出に) (田口義弘訳)
「エーゴン・フォン・リルケ」とは、リルケの2歳年上の従兄、わずか7歳で夭逝しています。また「マルテの手記」のなかに登場する、子供のままに死んでしまった「エーリク・ブラーエ」も、ここで思い出されますね。
ここでさらにもう1編の詩を紹介します。「形象詩集」に収められている「幼年時代」です。
幼年時代 上村弘雄訳
(前略)
そしてこんな遊びをする 穏やかにたそがれてゆく公園で
ボール投げ 輪投げ 輪廻しなど
ときおり大人たちに触る
鬼ごっこで心せくままやみくもに 荒々しく
しかし夕べにはおとなしく 小さなかたい足取りで
かたく手を握られて家路につく――
おお ますます遠のいてゆく理解
おお 不安 おお 重荷。
(後略)
リルケの父親は元軍人。母親は結婚後まもなく女児を設けたが早くに亡くなり、その後一人息子のリルケ(ルネ)が生まれた。彼が生まれる頃には両親の仲はすでに冷え切っており、ルネが9歳のとき母は父のもとを去っている。母は娘を切望していたことからリルケを5歳まで女の子として育てた。リルケは父の実直な人柄を好んだが、しかし父の意向で軍人向けの学校に入れられたことは重い心身の負担となった。
1886年に10歳のリルケはザンクト・ペルテンの陸軍幼年学校に入学。1890年にヴァイスキルヒェンの士官学校に入れられたが、1891年6月についに病弱を理由に中途退学している。
こうした幼年期の体験が、リルケに大きな影響を与えたことは想像できる。心の傷のような・・・・・・。「幼年期を運命によって取り消されぬように。」と深く願うリルケの内面が見えてきます。
そして言葉の帯をくわえた仔羊のように
これは、画家「アーダム・エルスナー」の描いた「エジプトに逃れたおりの憩い」という絵画に登場する仔羊のことで「銘帯」には「見よ。神の仔羊」と記されているのです。エジプトに逃れたのはおそらくキリストだろう?
何ものも。ただボールだけ。ボールの描くみごとな弧線だけ。
ボールの描いた弧線は、宇宙のさまざまな見えぬ法則が描き出す美しいもの。この弧線だけは、偶然の侵害を受けることなく描かれた。その落ちてくるボールに歩みよる夭折の少年の姿が美しく活写されています。ひとつの弧線によって結ばれた2人の少年たちよ。
幼年時代を持つということは、
一つの生を生きる前に、
無数の生を生きるということである。
さて本文に入ります。
都会のあちこちに散在する公園で かつて幼時に
ともに遊んだおまえたち 数すくない友だちよ、
私たちは姿を見つけあい ためらいつつたがいを好きになり、
そして言葉の帯をくわえた仔羊のように
黙ったまま語りあったものだ。私たちが愉しんでいるようなときも、
だれのものでもそれはなかった。だれのものだったのだろう?
そしてなんとそれは 歩いてゆくすべての人びとのあいだで
また長い年月の不安のなかで 霧散してしまったことだろう。
馬車は私たちのまわりをよそよそしく旋転して通りすぎ、
家々は私たちのまわりに力強く、しかし不真実に立ちならび――そしてどれも
ついに私たちは知らなかった。いっさいのなかで何が真実だったろう?
何ものも。ただボールだけ。ボールの描くみごとな弧線だけ。
子供たちもそうではなかった・・・・・・だがひとりの子が、
ああ ひとりのはかない子が、落ちてくるボールの下に歩みよったのだ。
(エーゴン・フォン・リルケの想い出に) (田口義弘訳)
「エーゴン・フォン・リルケ」とは、リルケの2歳年上の従兄、わずか7歳で夭逝しています。また「マルテの手記」のなかに登場する、子供のままに死んでしまった「エーリク・ブラーエ」も、ここで思い出されますね。
ここでさらにもう1編の詩を紹介します。「形象詩集」に収められている「幼年時代」です。
幼年時代 上村弘雄訳
(前略)
そしてこんな遊びをする 穏やかにたそがれてゆく公園で
ボール投げ 輪投げ 輪廻しなど
ときおり大人たちに触る
鬼ごっこで心せくままやみくもに 荒々しく
しかし夕べにはおとなしく 小さなかたい足取りで
かたく手を握られて家路につく――
おお ますます遠のいてゆく理解
おお 不安 おお 重荷。
(後略)
リルケの父親は元軍人。母親は結婚後まもなく女児を設けたが早くに亡くなり、その後一人息子のリルケ(ルネ)が生まれた。彼が生まれる頃には両親の仲はすでに冷え切っており、ルネが9歳のとき母は父のもとを去っている。母は娘を切望していたことからリルケを5歳まで女の子として育てた。リルケは父の実直な人柄を好んだが、しかし父の意向で軍人向けの学校に入れられたことは重い心身の負担となった。
1886年に10歳のリルケはザンクト・ペルテンの陸軍幼年学校に入学。1890年にヴァイスキルヒェンの士官学校に入れられたが、1891年6月についに病弱を理由に中途退学している。
こうした幼年期の体験が、リルケに大きな影響を与えたことは想像できる。心の傷のような・・・・・・。「幼年期を運命によって取り消されぬように。」と深く願うリルケの内面が見えてきます。
そして言葉の帯をくわえた仔羊のように
これは、画家「アーダム・エルスナー」の描いた「エジプトに逃れたおりの憩い」という絵画に登場する仔羊のことで「銘帯」には「見よ。神の仔羊」と記されているのです。エジプトに逃れたのはおそらくキリストだろう?
何ものも。ただボールだけ。ボールの描くみごとな弧線だけ。
ボールの描いた弧線は、宇宙のさまざまな見えぬ法則が描き出す美しいもの。この弧線だけは、偶然の侵害を受けることなく描かれた。その落ちてくるボールに歩みよる夭折の少年の姿が美しく活写されています。ひとつの弧線によって結ばれた2人の少年たちよ。