ふくろう日記・別室

日々の備忘録です。

アンクル・トムの小屋 ハリエット・エリザベス・ビーチャー・ストウ

2011-08-31 16:38:08 | Book


翻訳:丸谷才一

この本の再読の機会を下さった「K・Sさま」に感謝をこめて。


ハリエット・エリザベス・ビーチャー・ストウ(1811年~1896年)は、アメリカ合衆国の奴隷制廃止論者であり、
10冊以上の本を執筆した作家でもある。代表作『アンクル・トムの小屋』は奴隷の生活について描かれた物語であり、
最初は1851年から1852年にかけて、奴隷制廃止論者の団体において雑誌連載形式で発表された。
以後一貫して「奴隷制」に反対する著書を書いています。

「南北戦争 ・1861年~1865年」は、アメリカ合衆国に起こった内戦であるが、
奴隷制存続を主張するアメリカ南部諸州のうち11州が合衆国を脱退、アメリカ連合国を結成し、合衆国にとどまった北部23州との間で戦争となった。

南北戦争中の1862年にストウがエイブラハム・リンカーンと会ったとき、リンカーンがこう言ったとされる。

「あなたのような小さな方が、この大きな戦争を引き起こしたのですね。」


これと関連して思い出されるのが、アフリカ系アメリカ人の作家「アレクサンダー・パーマー・ヘイリー・1921年~1992年)です。
アメリカ沿岸警備隊のチーフ・ジャーナリストを務め、沿岸警備隊を退役後「リーダーズ・ダイジェスト」の編集主幹となった。
彼は1965年に「マルコムⅩの自叙伝」を 口述筆記で著した方でもあるが、著書「ルーツ」によって著名である。
「ルーツ」は突然拉致され、奴隷となった黒人少年「クンタ・キンテ」から3代に渡る物語である。このなかでは途中で「奴隷解放」が始まります。


しかし、働き者で信心深く心やさしい「アンクル・トム」は、売られた先での酷い仕打ちで亡くなります。この時代ではまだ「奴隷解放」はない。
「神様」と「賛美歌」がどれだけ彼の心を救い、「死」ですら恐れぬものとしたのだが、本当に神に抱かれたのだろうか?

この時代には「奴隷商人」が存在し、奴隷を買える身分の者(白人)は、その人間性によって、幾分幸せな奴隷もいたことはいましたが、
その経済力が崩壊すれば、奴隷を売るわけです。それに心の痛みを覚える者、そうではない者にわかれる。
屈強な働き者はよき商品となり、あるいは有能な技術を持った奴隷は重宝がられ、やがて工場主の「やっかい者」にされ、より悲惨な働き場所へ移される。
美しい女性奴隷は言葉にもしたくないような扱いを受け、可愛い子供の奴隷はまた別の売り方がある。

奴隷にはやさしいケンタッキー州の「シェルビー家」は経済危機に陥って、「トム」と子供を売ろうとする。
トムは黙って従うが、子供の母親は子供を連れて逃走する。そして子供の父親は自由を求めて逃走する。
(このケンタッキー州が、奴隷解放が最も遅れたところだったのでは?)

そこで、それぞれの奴隷の新しい運命が待っている。

そして、最後に「シェルビー家」の息子「ジョージ」の時代となり、おそらく「奴隷解放」が始まったのか?
あるいは「ジョージ」の考え方なのか?
奴隷は売られることもない。働いた分だけの賃金が支払われる。自由に生きることを知らない奴隷たちに、その生き方を教える。

喜びの時はきたれり
許されたる罪人たちよ、家路につけ


「アンクル・トム」の死、残された妻や子の悲しみ……その上に訪れた「喜びの時」なのだ。


 (1993年・河出書房新社・世界文学の玉手箱-11)

没後100年 青木繁展

2011-08-30 20:15:30 | Art
「ブリジストン美術館・没後100年 青木繁展ーよみがえる神話と芸術ーオフィシャルサイト」

8月24日は、青木繁の「わだつみのいろこの宮」をどうしても観たいと思いまして、国立新美術館の「ワシントン・ナショナル・ギャラリー展」を観てから、
ブリジストン美術館まで「はしご」をしました。
青木繁の生涯は短い。1882~1911年までです。


《自画像 1904年》


《わだつみのいろこの宮 1907年》
上にいる裸の男性は「山幸彦」であり、下の女性2人は「海を司る女神=わたつみの神」です。「いろこ」は古事記の「魚鱗」だと思います。


《黄泉比良坂 1903年》
これも古事記の「イザナギとイザナミ」のお話で、「オルフォイスとユリディス」のお話によく似ています。
不慮の死を遂げた妻を、夫が黄泉の国まで探しに行き、ある条件のもとに、連れ戻しが認められますが、
「黄泉神…古事記」「冥王ハデス…ギリシャ神話」との約束を夫は不用意に破ってしまって、結局連れ戻しはできませんでした。


《大穴牟知命 1905年》
これは古事記の「大国主命」ではないか?


《海の幸 1904年》
これが青木繁の代表作と言われているが、この男ばかりの漁師の列だけれど、ひそかに顔だけが、
青木の恋人「福田たね」の顔になっているのに気づいた。


《女の顔 1904年》
これはあきらかに「福田たね」でしょう。


《幸彦像》
青木繁と「福田たね」との間に生まれた男の子。「海幸彦」「山幸彦」から名前をつけたものと思われます。
この子は「福田家」の末っ子として育てられます。後の「福田蘭童」です。


《朝日》
これが絶筆である。28歳の若さで、「幸彦」3歳のときに逝去。
この太陽がどうしても人の顔(幸彦?)に見えてしまう。

ワシントン・ナショナル・ギャラリー展

2011-08-25 22:55:04 | Art

ワシントン・ナショナル・ギャラリー展・オフィシャルサイト」

アメリカ合衆国の首都、ワシントンD.C.のワシントン・ナショナル・ギャラリーより、
「印象派・ポスト印象派 奇跡のコレクション」と銘打った展覧会である。

2011年、ワシントン・ナショナル・ギャラリーは開館70年を迎え、西館の大規模改修により、
当館所蔵の「印象派」と「ポスト印象派」の作品群の貸し出しが実現しました。(←よくあるお話です。)
このような展覧会の開催はワシントン・ナショナル・ギャラリーの歴史上かつてないし、将来においてもないと言われていますが。

 
12世紀から現代までの世界有数の西洋美術コレクションで知られるこの美術館は、「アンドリュー・メロン」によって創設。
彼は19世紀末から20世紀にかけて銀行家、実業家としてアメリカ屈指の大富豪となった人物です。
そして1941年に完成した西館は当時世界最大の大理石造りの建造物であった。

そして今日に至るまで同館の所蔵品約12万点およびそのための資金ははすべて一般市民による国への寄贈で成り立っています。

この展覧会の全貌なり、印象、感想なりを書くことはやめよう。
どの美術展に行っても、わたくしが必ず気になるのは「子供」が描かれたものでした。
今回わたくしの目を釘付けにした「メアリー・カサット」の「麦わら帽子の子ども」を観てから、
今回は「マイ・コレクション」にすることにしました。つまり勝手に子供特集です。


《メアリー・カサット 麦わら帽子の子ども 1886年》


《メアリー・カサット 《青いひじ掛け椅子に座る少女 1878年》


《ルノアール すわるジョルジェット・シャルパンティ嬢 1876年》
次に行った「ブリジストン美術館」の「青木繁没後100年」の展覧会の隣室にあった「常設展」でみつけました。
(「青木繁没後100年」については後日書きます。)

今回の展覧会のなかからは……


《クロード・モネ 揺りかご、カミーユと画家の息子ジャン》

これによく似たものに……


《ベルト・モリゾ ゆりかご》がありますが、この展覧会にはありません。
「ベルト・モリゾ」は「メアリー・カサット」と同じく、数少ない女性画家です。


《クロード・モネ 日傘の女性、モネ夫人と息子 1875年》


ここからは、展覧会には関係ありません。忘れられない絵をアップします。


《ルノアール ジュリー・マネ》


《ミレイ 初めての説教 1863年》


《ミレイ 2度目の説教 1863年》


《ドガ ジョヴァンナ・ベレッリの肖像》

以上、勝手にコレクションでした。すみませぬ。

僕が大人になったら(若き指揮者のヨーロッパ孤軍奮闘記) 佐渡裕

2011-08-18 22:05:01 | Book


この著書は、月刊誌「CDジャーナル」に1997年から2001年までに連載されたエッセーを1冊にまとめたものです。
佐渡裕36歳から40歳までに書かれたものであり、それが10年後に本となる。彼はすでに50歳となっている。
ご本人は躊躇するのだが、周囲は放ってはおかない。

彼は世界的指揮者ではあるが、もちろん物書きではない。文章がうまいわけでもない。(←失礼!)
しかし、京都弁を交えながら楽しい(時々脱線。)文章を書くお方である。
……というよりも、この書き手のお人柄によるものが多く、ついつい読んでしまう。
そして結果として、彼の足跡を知ることになる。

以前に読んだ「僕はいかにして指揮者になったのか」の続編となるわけで、
彼が「バーンスタイン」「小澤征爾」に出会い、学び、導かれ、若き指揮者が世界の舞台に出てゆくまでを「前篇」とするならば、
この本はヨーロッパと日本を駆け回り、世界的な指揮者になるまでの「後編」となるわけです。
しかし、小学校の卒業文集に書いた「大人になったら、ベルリン・フィルの指揮者になる。」という夢はこの本の中では果たされていません。
(現実には2011年についに実現しています。)
あらたに「続編」が書かれるとしたら、特記すべき出来事になるのだろう。

指揮者の才能とは、聴力、統率力、読譜力、分析力、想像力に加えて、最も大事なものは、好奇心、探究心、勇気(!)と書かれています。

 *     *      *

以下はわたくし自身迷いながら書きます。書かなくてもいいような気もする。

しかし、こうした大きな仕事に邁進する男性の多くにありがちな「エゴ」を、ふと考える。
それは、音楽家に限らず、学者、芸術家、etc……などの「妻」の存在に対してです。

1度目の結婚、別居、離婚、そして恋愛、再婚……と書いた後で、
「今、最高の理解者、家内の公子を僕は最も誇りに思う。」と書かれています。もちろんご両親への感謝は当然のことですが…。
多くの仲間との出会いがたくさんあって、それを幸福だと素直に思える彼ならば、
出会い、共に暮らし、別れた女性(&子供)に対して、公に読まれる著書のなかで、もっとひそやかなな配慮をして欲しかったと思う。
現実はどうだったのかは、読者にはわからないのだから、片手落ちの話題だけは書かないでほしかった。
これを書いたのは10年前……佐渡裕40歳。そして10年が経った。

(2011年・PHP文庫)

フランダースの犬(1999年)

2011-08-13 00:29:45 | Movie

原作:マリー・ルイーズ・ド・ラ・ラメー(イギリス・1872年発表)
監督:ケビン・ブロディ
製作:ワーナー・ブラザーズ・1999年
配給:ギャガ・コミュニケーションズ


《キャスト》

★主演(ネロ):ジェレミー・ジェームズ・キスナー

原作(菊池寛訳・1929年)では、ネロは美しい少年であり、パトラッシュと共に荷車を引く姿を多くの画家が描いたと書かれています。


(このシーンは、ネロの才能を認めた画家のアトリエで、指導を受け、画材などをいただいたところ。)

★犬のパトラッシュ:ブーヴィエ・デ・フランドルという種類の犬



「ブーヴィエ」とは、「牛追い犬」という意味です。牧畜犬、警備犬、牽引犬として働く大型犬です。
この映画のなかでは、以前の飼い主に悲惨な仕打ちを受けて、捨てられた「パトラッシュ」を助けて介抱したのが「ネロ」とその祖父でした。
そして元気になった「パトラッシュ」は、牛乳配達をしてまわる「ネロ」の小さな荷車を引くと意志表示をしたのです。


そして少年と犬との物語は始まります。共に短い生涯でしたが…。


ネロの母親は、雪の夜に赤ん坊のネロを連れて父親のもとに帰ってきますが、間もなく亡くなります。
父親がどこの誰かも明かされていません。母親が絵を描いていたことだけは祖父から聞かされます。
ネロは貧しい祖父のもとで働き、絵を描いていましたが、その優れた才能を認めてくれた画家の援助にもかかわらず、
ネロの絵はコンクールでは認められません。それはいかにも教会と権力、人間への階級的差別によるもの。

さらにネロが憧れている画家「ルーベンス」はベルギーの首都「アントワープ」生まれ。「フランダース」から1里半。市がたつところです。
そこの大聖堂には、「キリストの昇架」「キリストの降架」の2枚が収められているものの、
厚いカーテンに隠されていて、高額なお金を払った者しか観ることができない。
聖堂にある宗教画が、一般公開されないこととは何事か?

  

たった1人の友人(のちに恋人?)「アロア」はフランダースで一番のお金持の1人娘です。
その家の風車小屋が火事になり、その濡れ衣をきせられたのも「ネロ」だった。
祖父はすでに亡くなり、小屋は家賃滞納で追い出され、2人ぼっちのネロとパトラッシュは
夜の雪道を歩いて、聖堂に向かいます。クリスマスの夜、聖堂の扉は開いていた。
深夜、凍えながらネロとパトラッシュは、「ルーベンス」の絵画のカーテンを開けるものの見えない。
やがて、窓から美しい月光が差し込んで、キリストの絵を初めて観ることができる。
そして、2人は安らかに天の召されました。2人は1つの輝く星となって。

最後の「死」はあまりにも残酷な運命であるとして、映画やアニメなどでは「ハッピーエンド」に
つくり変えられているものもあるが、原作は「死」です。村人が誤解を悔いて「ネロ」を助けようとしたのは、その後のこと。

原作者が読者に伝えたかったことは、宗教と権力の腐った関係、そして階級性への批判でせう。
さらに書き加えるならば、この物語のあちこちに「聖書」に書かれたものに類似したものが見られます。
この物語は「聖書」を意識しないで考えることはできないようです。

父と暮せば

2011-08-09 14:26:20 | Movie



原作:井上ひさし(戯曲)
監督:黒木和雄
脚本:黒木和雄、池田眞也


《キャスト》
福吉美津江:宮沢りえ
福吉竹造(実は幽霊。)原田芳雄
木下正:浅野忠信


この映画は、ほとんど忠実に原作に沿って製作された映画です。台詞も含めて。
ただし、舞台公演では父と娘との2人芝居であり、背景の転換もほとんどない。
娘の美津江の恋人「木下正」は舞台では、語りのなかでその姿を想像させるが、映画では登場する。
また娘の勤務先の図書館も出てきます。ここが恋人との出会い。彼は原爆の資料を集めていた。
しかしまだ日本では、アメリカの圧力によって、それらが公にすることを禁じていた時代であった。
それでも「瓦礫」のなかには、原爆の巨大なエネルギーとその犠牲となったものの証拠はいくらでもあった。


原爆投下から3年後の広島の、雨漏りのする一軒家を舞台に、生き残ったことへの負い目に苦しみながら生きている娘のところへ、
何故父親は幽霊(この幽霊には足があった。)となって現れたか?
それは娘が「生き残った自分には幸福になる権利はない。」という精神的呪縛と、木下正への恋情に揺れていたから。
この恋情の熱さが、父親の傷のない体を蘇らせた。

しかし、奇妙な錯覚に陥る。父親役の「原田芳雄」は亡くなったばかり。
映画だけでなく、彼は本当に「幽霊」なのだった。(しかし、彼は名優だなぁ。ほれぼれ。)

父と娘との生死を分けた出来事とは、庭にいた父と、友人に手紙を出そうとして外出しようとした娘が、
その手紙を落としてしまい、その手紙を拾うために庭の石灯籠の陰に身を屈めた。
このわずかな違いが生死を分けた。
そして、その手紙の送り先だった友人は被爆して亡くなり、その母親に「なぜあなたが生き残り、私の娘が死んだのか?」と。

被爆して瓦礫の下に倒れた父を助けようとしたが、娘の力ではどうにもならない。
「早く逃げろ。」という父親と、逃げられない娘とがじゃんけんをする。
それは子供時代からわかりきったことで、父親は「ぐー」しか出さない。
だから娘も「ぐー」しか出さない。そしてぎりぎりのところで父親を見捨てた娘だった。

もちろん娘が被爆しなかったわけではない。
3年経って、症状は軽減されたものの、被爆2世の母親にもなるわけで、それでも恋人は結婚をするという。
そこで、幽霊の父親は、なんとしても娘のところへ現れるのだった。

さらに、図書館の子供向けお話会では、娘は語り継がれた昔話を正確に伝えることに専念していたが、
父親は「原爆の現実を語れ。」と助言する。
そして、父親は役目を終えて消えてしまった。

「おとったん、ありがとありました。」

ユーモラスに仕立てながら、実は「ドスン!」と重い映画なのである。
井上ひさしはやはりすごい!

スピンク日記  町田康

2011-08-05 22:19:48 | Book


作家島田雅彦と町田康(顔で選んでいるのか?)をこよなく愛読する愛娘からのお薦めの本であった。
「犬好きのお母さんなら、絶対にはまる。」という娘の予測通り速読であった。楽しい読書だった。時々クスクス&爆笑♪

これは、平成版「吾輩は猫である」であり、さらに「犬版」でもある。ご主人が「文豪」になるかどうかについては100年待つことにしよう(^^)。

「スピンク日記」を書いているのは、スタンダードプードル(ご先祖は水猟犬)の「ラブリー・スピンク」というちょっと不細工(ブサカワイイ)な犬である。
キーボードをポチポチと叩く、自称「文学の鬼」が主人の「ポチ」、奥様の「美徴」さん、兄弟犬「キューティー・セバスチャン」との日々が綴られている。

犬の人間との共同生活における哲学には、きちんちした主従制度があって、「主人」は最も偉いのだが、どうも違うようだ。
その上、彼には人間の前世を見抜く力があるようで、「スピンク」から見ると、主人の前世は犬だったと……。
「ポチ」は間違いなく人間で作家で、この本の著者であるのだが、見事に「スピンク」の代筆をしているという奇妙で愉快な展開となる。

「スピンク」は、写真の向かって左側の犬です。右側が「キューティー・セバスチャン」…さまざまな事情があって、「スピンク」より遅れて家族になりました。
後列にこわい顔をして立っているのが「ポチ」です。

日記の合間にはたくさんの写真があります。それで2頭の犬の成長と、「ポチ」との日常がよくわかります。
この3匹(?)の犬に君臨しているのは、もしかしたら「「美徴」さんかもしれない。

犬の寿命は10年と想定している「スピンク」は3歳になって考える。
48歳になった「ポチ」が、より一層「変コ」になっているようですので、残りの人(犬)生を、
「忠犬ハチ公」や「名犬ラッシー」を目指すことを捨てました。

「まあ、仕方ありません。私たちはそのことを受けとめてみんなで暮らしていくより仕方ないのです。ルルルルル」というわけで…。
生きていること。弱者を守ること。家族のそれぞれの「変コ」ぶりを認めあって生きること。
根底に流れている「やさしさ」に読者は抱かれるのであった。


(2011年・講談社刊)