ふくろう日記・別室

日々の備忘録です。

日本語のゆくえ  吉本隆明 (続)

2013-10-22 00:31:39 | Book


吉本氏の「無」の意味を「なにもない。」と解釈するのは違うんじゃないかな?
過去と未来が含まれる「神話的な想像力」と、その詩が俚歌(りか)のごとく
未来にむけて歌い継がれるだけの要素があるか?
それがないなら「無」だと言うことじゃないかな?

「意味を拒否した言葉」を駆使して、組み合わせて誰も描けなかった世界を
描こうとしているのではないか?そこに何があるか?ということではないの?
「今現在」だけを存在価値とすると、想像力は痩せてしまうのではないか?
「断想」ではなく、過去と未来を繋ぐものでなければ「無」になってしまう。

名作が何故ここまで残ったのか?
今の時代の詩が今後数百年生き残るだろうか?
数百年生き残る詩を意識して書いている詩人は今はいないでしょう。
そこまで高い基準で考えて吉本氏は「無」と言ったのではないでしょうか?


我が独断にて失礼。

日本語のゆくえ  吉本隆明

2013-10-13 13:30:50 | Book
すでにご逝去なさった吉本隆明氏(1924年11月25日~2012年3月16日)の
死の約3年前に出版された本ということになる。

これは、吉本氏の母校である東工大の集中講義「芸術言語論」の集成であるので、
会話体の文章で書かれています。

しかしながら、帯文に驚いた!
「今の若い人たちの詩は無だ。」と書かれていました。



さらに帯文の裏表紙にはこんな風に書かれています。



この講義は5章に分かれていますが、その最後の章「若い詩人たちの詩」のなかで
語られた言葉でした。

17人の若手詩人の詩集を、初めて読まれた吉本氏の驚きが伝わってくる。
これは単なる、若手と大御所との意識の相違ということで括れることではないだろう。
この驚きの先を考えてくださるはずの、吉本氏はもういない。

これを読んだ若手詩人が、これだけで吉本氏拒否という現象が起きたとしたら
それはとても残念なことで、吉本氏の懐の深さを理解した方がいい。
この先の会話は、もし生きていらっしゃったら実現したかもしれないのだ。


 (2008年1月30日 初版第一刷 光文社刊)