ふくろう日記・別室

日々の備忘録です。

ガマの穂、大破裂!

2014-09-28 22:15:36 | Movie
ガマの穂、大破裂!
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水脈の果て炎天の墓碑を置きて去る

2014-09-27 22:00:40 | Haiku





水脈の果て炎天の墓碑を置きて去る   金子兜太



1944年、金子兜太さんがトラック島(現ミクロネシア連邦チューク諸島)に
第4海軍施設部に着任したが、ここが「死の現場」でしかなく、多くの兵士が飢死した。
1946年11月、最終の復員船で帰国する時に、その船の最後尾でトラック島を見つめながら詠んだ句である。


以下のリンク先にて、金子兜太さんの怒りの声が読めます。


俳人 金子兜太さん語る 無残に死んだ人に代わって とんでもねえ時代です 「赤旗」9/8


九条守れの俳句掲載拒否 俳人・金子兜太さん「文化的に貧しい」2014年8月17日(日)埼玉新聞
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ハルビンの詩がきこえる  加藤淑子著 加藤登紀子編

2014-09-12 00:00:26 | Book


加藤淑子は、加藤登紀子(歌手)の母上です。
この母上が1935年4月から、夫幸四郎と共に過ごし、3人の子供に恵まれて、
敗戦によって日本に引揚げて来るまでの旧満州国ハルビンでの11年間の思い出を綴ったものです。
このなかに登紀子の作詞作曲した歌「遠い祖国」が数箇所に挿入されています。
冒頭の4行を引用してみます。その下にわたくしの詩「河辺の家」の一部も引用します。
登紀子とわたくしの年齢差は一年足らず、わたしがわずかに遅い生まれのようです。
共に三番目の子供であり、「ハルビン」の具体的な記憶がない年齢です。
申し遅れましたが、わたくしもハルビン生まれです。
この本を読み、当時の古い地図を見ていますと、
この加藤一家とわたくしたち一家はどこかですれちがっているのではないか、と思うくらい共通するのです。


  生まれた街の話をしよう
  そこは遠い北の街
  戦争の中で生まれてそして
  幼い日に追われた街   (加藤登紀子・遠い祖国)


  占領国の子として そこに産まれ
  敗戦国の子として そこを追われた
  その家は いつも
  記憶の届かないところに佇んでいた   (高田昭子・河辺の家)


おわかり頂けるでしょうか?その時わたくし達の親の世代は占領者だったということです。
財部鳥子の小説「天府 冥府・2005年・講談社刊」にもありますように、
占領者としての「天府」のような生活(この小説の舞台となるのはジャムスですが。)、
「冥府」のような敗戦国民としての異国の生活がそこにはあったということです。

それでも何故あのハルビンは、そこで暮した人々の心に美しい街として記憶に残り続けるのでしょうか?
列車が走っても走っても続く同じ風景の続く広大な大地、そこに落ちてゆく大きな赤い夕日、
温かい人々との思い出、杏や林檎の樹、おいしい食べ物、
キタイスカヤ通りの石畳、風と光、スンガリー河の流れ、太陽島の休日。。。

加藤淑子の書くさまざまなお話のほとんどは、
わたくしの幼い日々からずっと母が語ってくれたことと重なりました。たとえばこんなこと。。。

●牛乳はしぼりたてのものなので、一回沸騰させてから飲んだり、保存したりしたこと。

●「ペチカ=ロシア語」をわたくしの母は「オンドル=朝鮮語」と言っていましたが、
これは暖炉の熱を利用した壁床暖房です。
零下20度、30度となる酷寒のハルビンでは、
縦に細長い形の二重窓とともに重要な暖房だったのです。燃料は薪と石炭でした。

●上記のオンドルは調理用コンロにもなるのですが、朝は火が焚けるまでに時間がかかるので、
街にはお湯売りが(日本の納豆売りのように。)いつもいました。

このような母の話としてのハルビンでの日々の記述の共通性は書いたらきりがありません。
たった1つ、加藤一家とわたくしたち一家と違っていたことは、
敗戦後約2ヶ月くらいで、わたくしの父は家族のもとに命の危険をおかしてまで、
釜山からハルビンまで帰ってくることができたこと。
そして酷寒のハルビンでは、貧しい敗戦国民となった一家が暮してゆくのは困難だと判断した父が、
すぐに新京に南下して、そこで働きながら引揚げの日を待ったことでした。
この引揚げ船の出る場所も加藤一家と同じく「葫蘆(コロ)島」でした。
そこまでの列車が「無蓋車」であったことも同じでしたが、
わたくしの父が団長を務めた引揚げ団では、無蓋車は一両五十人の割り当て、
真夏なので直射日光を遮蔽するため、みんなで日除けを作ったり、
トイレを作ったりして出発の日を待ったそうです。

どうもこの本の紹介ではなかったようですね。
あまりにも共通することが多くて、わたくし事ばかり書きましたことをお詫びいたします。
最後に加藤淑子の素晴らしい言葉をご紹介して、これを終わりといたします。


 『人は生きるためにはどんな限界も超えることができる。』


 (2006年・藤原書店刊)
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いぶしたる爐上の燕帰りけり

2014-09-06 11:33:42 | Haiku


ご存じ、「清水哲男・新・増殖する俳句歳時記」では、
7人の方々による俳句の紹介と解説が展開されています。
夏から、新たに金曜日を担当されていらっしゃる「藤嶋務」氏のこの句の解説から
たくさんのことを学びました。

以下、全文引用します。


2014/9/5(金)


いぶしたる爐上の燕帰りけり    河東碧梧桐


茅葺の古民家が目に浮かびます。真っ黒に煤けた大黒柱があって爐(いろり)があってボンボン時計がある。
そんな爐上に何故だか燕が巣を作った。成り行きながら雛がかえって巣立ちもした。
この家の者も愛しみの眼差しを向けて日々雛の成長を楽しみにする。
時々寝言で鳴く「土食って渋ーい、渋ーい」に寝付かれぬ夜もある。
何匹かの子燕の特徴を識別して名前など付けてしまう。そして燕たちが自分の家族とも思はれて来る頃その日は来る。
見知らぬ遠い国へ旅立ってしまうのだ。後にはぽかんとした空の巣がそこにあるだけ。誰にでもやって来るその日はある。

『碧梧桐句集』(1920)所収。(藤嶋 務)


さらに、つぶやく堂というBBSにて、藤嶋務氏こと「やんまさん」の鳥の鳴き声の「聞きなし」に
ついての追加解説をされていました。


「土食って渋ーい、渋ーい」は燕の鳴き声です。
ジュクジュク、ジュクジュクと聞こえるのが何時の間にが「ツチクッテシブーイ」に聞こえてきます。
他には、
うぐいす(鶯)……法、法華経
ほととぎす(杜鵑)……特許許可局
ほおじろ(頬白)……一筆啓上仕りそうろう
こじゅけい(小綬鶏)……ちょっと来い、ちょっと来い
はと(鳩)……で、で、ぽっぽー
ふくろう(梟)……ごろすけ、ほうほう
こまどり(駒鳥)……ひんからからから
せんだいむしくい(仙台虫喰)……焼酎いっぱいぐいー


こんなに楽しい解説は読み流しておくわけにいきません。
過去ログに行ってしまう前に、ここに「覚書」として書いておきます。すみませぬ。

こんなに引用してしまったからには、私自身の感想も書かなければ、と思いますが、
さて、これに加える言葉を私は持っておりませぬ。
強いて書くならば・・・…
「土食って渋ーい、渋ーい」は、燕の巣が土を固めたものだからかしら?
「爐(いろり)」の上に巣を作ってしまったら、冬にはどうするの?
いいえ、大丈夫よ。
燕は春に日本に飛来して、人家に営巣して、秋になったら南方に去ってしまう。
燕さんはちゃんと心得ておりますのでしょう。(これにて、ご勘弁を。)


追記  とりの歌

     とりの歌・2

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