ふくろう日記・別室

日々の備忘録です。

ことり 小川洋子

2016-01-30 14:11:02 | Book
メジロ(目白)~幻♪黄金の高鳴♪



孤独死をした「ことりの小父さん」が、両腕で抱えていたものは、怪我をしてしまったために保護した「メジロ」の竹製の鳥籠だった。小父さんの声に応えて、美しい鳴き声を奏でる鳥であった。
かつて「ことりの小父さん」は家族四人の時代があった。兄がいたが、彼の言葉は誰にも通じない言葉だった。それを理解できたのは「ことりの小父さん」だけだった。やがて母が亡くなり、追うように父が亡くなり、兄弟だけの静かな生活になった。古い家は手入れをしないまま、たくさんの鳥の餌場として機能していた。それが二人の幸せだった。

「ことりの小父さん」は、人との接触の少ない仕事をしながら、兄との生活をしていたが、やがて兄も亡くなる。兄が好んで見ていた幼稚園の鳥小屋の掃除を奉仕活動として願い出る。その仕事ぶりは見事だった。園児との接触は控えながら…。
こうして彼は、あくまでもこの生き方を変えない。しかし世間の目は残酷で、地域内で起きた「少女への悪戯事件」の容疑者にされたり、荒れた家に対する、ご近所からの苦情がきたり…。次に来たのは「メジロ」の美しい鳴き声に興味を持った男で、彼の仲間は「鳴き合わせ会」を行っているのだった。

その会に強引に誘われて、会に集められた鳥をすべて逃がしてしまうという暴挙に出た。
今まで経験のないほどに逃げて、走って、帰宅した彼は「メジロ」に明日は逃がす約束をして、「疲れたから眠る。」と言ったまま永遠の眠りに入った。

これが彼の一生だった。輝く日々がわずかにあったとすれば、鳥の本ばかり読む彼に親切にしてくれた図書館の受付嬢だったかもしれない。

世間から「おかしい…」と思われる人間の存在はどこにでもいますが、人間がシンプルに孤独に生きていく姿を美しいと思える小説でした。ことりの美しいさえずりがページをめくる度に聴こえてきました。

 (2012年 第一刷 朝日新聞出版刊)

蚕 絹糸を吐く虫と日本人  畑中章宏

2016-01-22 20:53:00 | Book

《オシラサマ》

私事ですが(すみませぬ。)、栃木県足利市の母方の祖父の代まで、家業は絹織物の機屋であったようだ。その後の祖父はニューヨークに輸出される絹織物を生産する会社に所属する。(ここからが私の幼い記憶です。)ご近所を歩けば、のこぎり屋根の機屋の織機の音が聞こえる。渡良瀬川では反物をさらす作業が見られ、染物工場の用水路では色とりどりの水が流れていました。祖父の話では繭を茹でて糸をとった後の茹で蚕は鯉の餌にしたそうです。ですから養蚕農家の庭の池には必ず鯉を飼っていたそうです。子供時代に鯉料理を食べた記憶が多いのは、そのせいだったのね。
祖父の所属する会社では、ドイツ製の織機がたくさんあって、色とりどりの絹布が生産されていました。
これらの何気ない記憶が「足利織物」の歴史の一部であったことに気付くのが遅すぎたようです。下野国の足利義康の時代から、すでに足利は絹織物の産地であった。

群馬県の「富岡製糸場」が、にわかに浮上した今になって、改めて「絹糸」と「蚕」の歴史を考えるようになりました。その時期に、このよき本に出会いました。絹織物は群馬と栃木しか知らない私でしたが、養蚕農家は全国と言っていいほどにあって、絹織物も様々な土地の特色あるものが生産されていたのですね。

また「女工哀史」で洗脳された頭に「工女」という言葉があったことも知りました。「工女」とは、絹織物の技術と知識を身につけて、「女工」を指導する女性のことです。「工女」は比較的に恵まれた身分にあって、始めから指導者としての教育を受けます。政府が始めた富岡製糸場に集められた女性たちは「工女」だったのではないか。
母方の伯母の昔話のなかには、思いかえせば伯母は「工女」であったのではないか?と思われる節がありました。さらに「女工」と言われる方々の待遇のひどさも伯母の昔話のなかに含まれていました。確かではないので、これ以上は控えます。

養蚕が盛んな土地には、必ず様々な守り神が生まれ、神社に祀られている。日本の農家により豊かな暮らしをもたらした「蚕」を信仰にまで高めた歴史を想う。足利にも「織姫神社」がありました。

その中でも「オシラサマ」のお話は一番興味深いものでした。娘が馬に恋する。それに怒った父親が馬の首を切って、桑の木の枝に吊るした。嘆き悲しんだ娘と馬はそのまま天に上ったというお話です。桑は蚕の食べ物です。この桑に「オシラサマ」という神が宿った。これには諸説あるが、興味深く確かなことは、「オシラサマ」に祭りの度に着せる布の重なりの中に、織物の歴史がはっきりと見てとれるということでした。

「だるま」「天狗」「まゆだま」「猫」「蛇」などなど、養蚕とは無縁ではない信仰の対象になっています。養蚕農家が蚕を守るために必死であったことがうかがえます。

さらに、蚕の神とは異なるが、養蚕の盛んな土地には「キリスト教」が広まるという現象があった。畑中氏の解説によれば、絹糸の輸出によって西洋文化を受け入れやすくなっていたとのことです。ここでも私個人の謎が解けました。祖父の周囲には「キリスト教」の存在は希薄ではあったが、叔母の嫁ぎ先である群馬県伊勢崎市の家はキリスト教であったことは、私の幼い記憶にある。私より幼い従妹が亡くなったのだ。広い居間に祭壇が設えられ、飾る花がすべて生花だったことを覚えている。その花をすべて墓地へもっていって、小さな墓標の周りを埋め尽くした。コスモスの種が大量にこぼれて、翌年にはコスモスがたくさん咲いていました。年毎に花の位置は風によって遠のいていきました。(すみませぬ。私事ばかりで。)

書いていたらきりがない程に、自分のかすかな記憶に、畑中章宏氏の確かな論考が力を与えて下さったように思えます。
様々な文献と、筆者自らの足で土地への調査をされた結果としての、この一冊は、一読では頭に入りきれないほどの豊かさでありました。畑中氏の真摯な研究と調査が導いた一冊でありました。

 (2015年 晶文社刊 初版)

七福に二つ足りない神めぐり

2016-01-21 21:19:21 | Stroll
20日は寒かった。雪が少しだけ残っていました。
最近、恒例となった「時期はずれの七福神めぐり」に出かけることに。
ウォーキングも兼ねての散歩でもある。

 待乳山聖天 (毘沙門天)


 待乳山聖天 奉納神楽


 今戸神社 (福禄寿) ▲


 石浜神社 (寿老人) ★


 橋場不動尊 (布袋尊)


 吉原神社 (弁財天)


 鷺神社 (寿老人) ★


 矢先神社 (福禄寿) ▲


これでは、7ヵ所廻ったけれども、五福神しか巡っていない。

何度も行っているから、浅草寺(大黒天)と、浅草神社(恵比寿)を
除外してしまったせいでした。

御利益はいかに?
バチが当たって、風邪をひきました。

帰り道にみた夕月です。

マンボウ愛妻記  北杜夫

2016-01-11 23:42:28 | Book



15年前に出版されたエッセー集であるが、急に読みたくなった。

長年にわたり「夫婦」という体制のなかで「主婦」を生きてきた私だが、
時折、非常に怒りと理不尽な思いが立ち上がってくる。
どう考えてみても、男女は平等ではないし、男性の日々は、
女性の日常の見えない働きの上に成り立っているに過ぎないと感じる。

その上、更に深い問題点は「フェミニズム」を頭の中でだけ理解していて、
心の内は「近代史」のままであるからだ。

マンボウ先生は、その最たるものであった。世代の違いはあるものの。
それをぬけぬけと書いて、反省の色もない。
ただ見事に書いていることは、さすがで物書きである。
躁鬱病を交互に繰り返すマンボウ先生の苦しみも理解できるけれど、
その壮絶な日々を共に生きていらした奥様に魅せられました。
私の世代までは、男女平等などは、決してあり得ないと思う。
そういう時代のなかで、いかに女性が賢く生き抜いたのか?
そこがポイントだったのだと思う。

もうマンボウ先生の生きてゆける時代は終わりました。
斎藤茂吉先生の生き方は更に遠い時代となりました。
私はもう少し生きてゆかなければなりません。
マンボウ先生と斎藤茂吉先生の奥様方の生き方を見習って、生きてまいります。

きっぱり!


 (2001年 講談社刊)



謹賀新年

2016-01-01 14:27:05 | Letter



もうすぐ夢のなかから
左手が垂れさがり
うつつの水辺に浸される
それから左肩……左足・・・・・・

右手は まだ
やわらかな夢の尻尾を握っていて
半身は夢のなか
覚めないで……

「寝返りは右側です」
けれども左右を取り違えて
夢から堕ちて……

「ハッピー・ニューイヤー」




今年もどうやら生きているようです。

よろしくお願い致します。