ふくろう日記・別室

日々の備忘録です。

リンカーン

2013-04-26 16:27:19 | Movie
映画「リンカーン」本予告


映画「リンカーン」特報


『リンカーン』特別映像


監督:スティーブン・スピルバーグ
製作:スティーブン・スピルバーグ  キャスリーン・ケネディ
原作:ドリス・カーンズ・グッドウィン
脚本:トニー・クシュナー
衣装:ジョアンナ・ジョンストン
音楽:ジョン・ウィリアムズ


《キャスト》
エイブラハム・リンカーン:ダニエル・デイ=ルイス
メアリー・トッド・リンカーン:サリー・フィールド
ロバート・リンカーン:ジョセフ・ゴードン=レビット
タッド・リンカーン:ガリバー・マクグラス
ダグラス・スティーブンス:トミー・リー・ジョーンズ

リンカーンのお話はあまりにも有名だから語ることはないのですが、
スティーブン・スピルバーグ監督が、これをどのように映画化したか?が気になるのだった。
映画は、リンカーンが「奴隷制廃止」へ向けて、議会を丹念にその方向へ導く姿を克明に描き出しました。
「奴隷制廃止」がアメリカを二分する戦争にまでなって、それを抑止するには気の遠くなるような策略が必要だったのだな。
さらにリンカーンの家族の、戦時下におけるそれぞれの悲しみや葛藤を愛情深く表現されていました。


リンカーンはアメリカ合衆国の歴史上初の共和党所属の大統領である。
「奴隷解放の父」、有名なゲティスバーグ演説、南北戦争による国家分裂の危機を乗り越えた、
「最も偉大な大統領」と評価される。
しかし、ワシントンD.C.のフォード劇場で観劇中にジョン・ウィルクス・ブースの凶弾に倒れた。
これにより、リンカーンはアメリカ史上最初の暗殺された大統領となった。

しかし一方で、リンカーンはインディアンに対しては強い迫害の姿勢を見せ、
多くのインディアン戦争はリンカーン政権下で行われた。(これは今回の映画にはないのだが。)
これを矛盾と言うべきか?どうかはわからない。
しかし、すぐに思い出すのが、映画「ダンス・ウィズ・ウルブズ」です。
北軍のジョン・ダンバー中尉は、サウスダコタ州のセッジウィック砦へ赴任を希望。スー族との友情を育てたという物語。

さらに「アンクル・トムの小屋(ストウ夫人=ハリエット・ビーチャー・ストウ作)」も思い出す。
当時のアメリカは奴隷解放問題で南北分裂の危機を抱えていたため、大きな反響を呼び、奴隷解放への世論を喚起する一方、
奴隷制の擁護論者からは激しい批判を浴びることになる。
リンカーンはストウ夫人と会見した際、
「あなたのような小さな方が、この大きな戦争を引き起こしたのですね」と挨拶したという逸話がある。

こうして歴史を辿ってゆけば、アメリカという国は、先住民族を迫害し、奴隷として拉致してきた黒人を差別し、
その結果、戦争を続けるしかない大国になったのだなぁ。リンカーン1人ではどうにもならぬ大国なんだなぁ。

福祉先進国スウェーデンのいじめ対策  高橋たかこ

2013-04-23 22:11:37 | Book


筆者の「高橋たかこ」は1978年生まれ。スウェーデン・ストックホルム大学人文学科卒業。
ストックホルム在住25年(この本が出版された2000年時点での数字であるから、そのまま在住であるならば38年在住?)。
通訳、翻訳、毎日放送レポーター。2人のお子様も今は30歳前後?
確認したいことがあるけれど、Googleには出てこないし、Amazonでは「高橋たか子」ばかりでてくる。
(いやはや、たか子さんの本は膨大にある。改めて驚いている。)


とにかく読了。(図書館の本である。)
13年前のスウェーデンのいじめ対策であるから、現在ではどの位の推移があるのだろうか? 
日本の13年前と比較すればいいのだろうか?

福祉先進国と言われるスウェーデンにおいても、「いじめ」は7人に1人の子供が関係しているとのこと。
日本における「通信簿」というものは、スウェーデンでは中学2年から始まるとのこと。
子供たちが、成績においてはじめて篩にかけられるのは高校受験である。
もちろん定期試験もなく、スウェーデンの子供たちは突然始まる成績競争を迎えることとなる。

スウェーデンの「いじめ対策」は日本よりも進んでいたと思われる。
それは国が主導権を行使して、組織化され、命令系統も学校現場へ早急に下る仕組みになっている。
また親たち、子供たちの「いじめ対策」に向かう様々な活動は日本よりもはるかに活発である。

しかし、「いじめ」の根底に動かし難くある「第三者の見て見ぬふり」は、日本でもスウェーデンも変わりはない。
これが一番の障害となることはあきらかなのではないか?

いじめる側の子供がどうしてどのようにして、そこに存在するのか?
それは両親の愛情が歪みなく、子供を抱いていたか?ということに尽きると思う。
スウェーデンはすでに、大家族の時代から核家族へ、さらに日本よりもはるかに高い離婚率である。
核家族は分子家族へ向かってゆくのではないか?
子供たちは、急いで大人にならなければならないところに追い込まれているのではないか?
「急いで大人になる。」ということは、子供にとっては「強くなる。」ということで、
その「強さ」の意味をを間違えるのだ。

そうして「いじめっ子」は子供世界を支配し、「いじめられっ子」を増殖させていく。
さらに「見て見ぬふりの子」を増殖させる。
自然に普通に愛されて育った子供にとっては、「いじめ」は想定外の体験である。
「いじめる心理」を理解できないし、「いじめをやめて。」と言っても、やめてはもらえない。

まずは「いじめっ子」を育てないことから出発しなくてはならないが、それは、どだい無理なこと。
ねばり強く、子供たち、親たち、学校などなど、さまざまな活動を通して対処するしかないだろう。
スウェーデンに始まった「オンブズマン」活動もその1つのやり方だと思うし、
行政、法律などが深く関与するというやり方もあるが、そのどれもが完璧ではない。
人間が人間として向き合うことを忘れないようなものでありたい。


 (2000年・株式会社コスモヒルズ発行)

最高の人生の見つけ方

2013-04-10 21:08:28 | Movie
最高の人生の見つけ方 予告編 -The Bucket List-




最高の人生の見つけ方/オフィシャルサイト


監督:ロブ・ライナー
脚本:ジャスティン・ザッカム

《キャスト》
エドワード・コール:ジャック・ニコルソン
カーター・チェンバーズ:モーガン・フリーマン(←この俳優さん、大好き♪)


エドワード・コールとカーター・チェンバーズは共に60代半ばであり、
ともに癌病棟で初めて同室になった者同士であった。
共に、余命半年と宣告された者同士でもある。

カーター・チェンバーズは、大学時代に恋人が身籠ったために、教師希望の人生をあきらめ、
自動車修理工として妻と子のために懸命に働き、幸福な3代にわたる家族を築いた男であった。
故に「クイズ狂」であり、博学な男であった。

反面、エドワード・コールは一代で大企業の経営者となり、離婚を繰り返し、
娘と孫娘に会うこともできない独り身の男であった。
故に、贅沢を知り尽した男であった。

この中産階級の男と、大金持の男が残された人生を2人で楽しもうと旅に出る。
そして、メモしたことをすべてやり終えて、人生を閉じるという痛快で悲哀に満ちた映画であった。
ありえないようなシチュエーションでありながら、異和感がないのが不思議であった。
つまりそれは、前期高齢者のメルヘンかもしれない。

いやはや、楽しかったぜ♪

僕の叔父さん 網野善彦    中沢新一

2013-04-01 12:09:48 | Book


読了後、一番はじめにぼんやりと感じとったことなのですが、一人の学者が育ってゆくこと、あるいは育てられてゆくためには、
わずかな人数でいいのだが他者の大きな愛がいる。
また一筋の思想が頑なでもなく偏りもなく育ってゆくためには、人間の根源から涌き出るような深い愛の力がいるのだということでした。
網野善彦の言葉を借りれば「彼はたいへんしゃれた、うまいいい方のできる人で、なかなか本質的な表現で私がぼんやり考えていることをいってくれます。」
というような中沢新一の美しい文体とともに、そのような深い感銘を受けました。

まず、哲学者であり宗教学者の中沢新一を育てた親族を記してみよう。すべて山梨県出身者でることにも注目して下さい。
父親の中沢厚は在野の民族学者、コミュニストである。叔父の中沢護人も「鉄の歴史家」と言われた在野の研究者です。
そして中沢新一が五歳の時に、父中沢厚の妹の真知子叔母の婚約者として登場するのが、この本のタイトルとなっている歴史学者「網野善彦」です。
この四人の真摯で豊かな対話の積み重ねが、さらに思考のおおきな流れをつくっていったようです。

この網野善彦は若き日の中沢新一にこのように語っています。
『貧しい甲州は、ヤクザとアナーキストと商人しか生まない土地だと言われてきたけれども、
そのおかげで、ほかのところでは消えてしまった原始、未開の精神性のおもかげが、
生き残ることができたともいえるなあ。貧しいということは、偉大なことでもあるのさ。』
この一冊に貫かれているものはこの網野の言葉に集約されているようです。

中沢厚の著書に『つぶて・一九八一年・法政大学出版局刊』がある。「飛礫(つぶて)あるいは(ひれき)」の歴史の再発見がテーマとなった著書である。
この論考の発端となった厚の意外な視点についての、新一の記述部分は心が躍り出すほどに面白かった! 
一九六八年一月、佐世保港にアメリカの原子空母「エンタープライズ」が給油のため入港する。
それを阻止しようとした「反代々木系」の学生たちはヘルメット、角棒、旗竿を持って機動隊に激突、
そして彼等のとった行動は「投石」であった。機動隊はおおいにたじろいだ。

このテレビ報道を食い入るように観ていた父親が最初に語ったことは、
父親の少年期の、笛吹川の対岸の万力村や正徳寺村の子供たちと、こちら側の加納岩村の子供たちとの「投石合戦」だったのだ。
「投石」という人類の根源的な衝動の働きかけを厚はそこに感じとったのである。原初の人間から引き継がれている行為は、
消えることなく現代の人間たちに内在されていたということだろうか?中沢厚のこの研究はそこから出発したらしい。

この中沢厚の「つぶて」は網野善彦の著書『蒙古襲来』に引き継がれる。
この著書の章のタイトルは「飛礫、博奕(ばくえき)、道祖神」から始まった。
難しいことはわからないが、わたしが感覚的に理解できたことは「アジール」的な精神世界の存在が、歴史の根底にはいつもしっかりとあって、
その上で人間の侵略戦争、反権力闘争は続いてきたのだろうということでした。

これ以後、網野善彦と中沢新一の仕事は弛むことなく続くのですが、以上書いたことは、
この一冊から極私的にわたしの心の琴線に触れた部分だけです、と責任放棄しておきます。

  (2004年・集英社新書)