ふくろう日記・別室

日々の備忘録です。

アウシュヴィッツの図書係  アントニオ・G・イトゥルベ

2016-12-18 16:10:27 | Book



翻訳 小原京子

これは、ディタ・クラウス(1929年・プラハ生まれのユダヤ人)の実話をもとに書かれた小説です。
アウシュビッツ・ビルケナウ強制(絶滅)収容所の31号棟には、ユダヤ人の子供500人が収容されていました。1944年、若者アルフレート・ヒルシュはそこに学校を建てた。子供たちを20位のグループに分けて、それぞれに教師を付けた。もちろんユダヤ人の。教師たちは小声で語る。狭い収容所で、それぞれの教師の講義が邪魔をしないために。黒板も机もない。わずかな椅子があるだけでした。
そしてさらに秘密の図書館を作った。たった8冊の本だが、その図書係になったのが、「ディタ」という少女だった。彼女の仕事はたった8冊の本を教師と子供に貸し出し、傷んだ本の修理をして、毎晩違う場所に隠すことだった。もちろん彼女も秘かにそれらの本を何度も読んだ。

収容所の移動がある度に、人々は選別される。体力のある者とない者にわけられていく。そしてない者が殺される。ある者は移送される。この繰り返しで人々は淘汰されてゆく。病気で死んだ者は、大きな穴に投げ込まれるだけだ。移動先の環境、食糧事情、労働条件はどんどん悪化するだけだ。

別棟にいる父が死に、移動先で母が死に、独りぼっちのディタは、なんとか過酷な日々を生き抜き、ナチスの魔手から解放される時を迎えた。

440ページにもなる長編小説であった。中間部では辛くて読めないという思いもあったが、終章に向かってわずかな光が見えはじめたあたりから、一気に読み終えました。こんなことは二度とあってはならないと思うのは勿論のことだが、過酷極まりない状況のなかでも、ディタは懸命に生きた。その後の人生も……。そこに消えることのない「光」を見た。



 (2016年7月10日 第一刷 集英社刊)



現代詩の難解性をめぐって(抄) 鮎川信夫

2016-12-13 14:05:04 | Book


 

現代詩文庫9  鮎川信夫詩集より。

『詩の難解性をめぐって(抄)』より、引用。
『何事も国民大衆を第一とする社会は、よい社会なのだろう。しかし、他に害を及ぼさない少数者の楽しみのことを考えてやれる社会は、さらによい社会と言えよう。現代詩がその一部において難解であり、虚無的退廃的にみえたとしても、それをしいて駆逐することによって、今日の社会が急に明るくなるともおもえない。われわれの社会が寛容さを少しも持たなかった戦争期においてかえって難解、虚無、退廃の詩がひとつもなかったという事実を、もっと深くかえりみるべきである。
詩人があつかう主題は、古今東西、どこの国でも、そんなに変わりがあるわけではない。愛情、建設、戦争反対はもちろん、どんな主題であっても、それはわれわれの感情生活の母胎となっている土地や家や仕事のなかから、自由に求められてきたし、これからもそうであろう。』


これは、1958年、敗戦から13年後に書かれたものである。
戦後の鮎川信夫には、戦死した友「森川義信」への深い思いがある。

「死んだ男」

こうして、改めて読んでいくと、「荒地詩人」の考えていたことは、そのまま今の時代に引き継がれるものであった。

プロパガンダ・ポスターにみる日本の戦争  135枚が映し出す真実

2016-12-04 13:15:32 | Book







田島奈都子(編著) 
戦前戦中のポスターデザインを研究する東京都青梅市立美術館学芸員。 


長野県の阿智村に残されていた135枚のプロパガンダ・ポスターが、この本の出発点であった。戦前期の阿智村は貧しい農村だった。そのために満蒙開拓の悲劇の舞台でもあった土地である。
(かつてモンゴルに旅した時に、開拓民の墓地を訪れたことがあるが、小さな墓標に書かれた出身地が「長野県」が圧倒的に多かったことを忘れられない。)

おそらく1925年あたりから、プロパガンダ・ポスターは制作され始めて、1945年あたりまで続いていたのだろう。この本を読み進むうちに、戦状はどんどん苦しくなる。軍部は国民を追いつめていく。読む方もどんどん苦しくなって、それが怒りに変わるのだった。

兵士の募集、国民への戦意高揚、工廠要員の募集、貯蓄や国債の奨励、小児保健の奨励、銃後奉公、労務動員、米の節約、金や銅や真鍮の供出、養蚕の奨励、化学繊維産業の奨励、羊毛の供出、などなど……際限もなく続くプロパガンダ・ポスター。この費用も膨大なものだろう。

なんて、愚かな戦争に国民は騙され、苦しめられ、我慢し、さらに貯蓄や国債などただの紙になってしまったろう。憤怒の思いで読み終わりました。

こんなに愚かな日本の戦争の歴史から、まだ70年しかたっていないのに、またまた愚かな動きが感じられる今日この頃である。


 (2016年7月 勉誠出版刊)


大分以前に書いた詩ですが、ここにふたたび記します。


   この星  高田昭子  

   午後の陽だまりで
   わたしの子供がまどろんでいるとき
   君の国では明るい月が高くのぼり
   あなたの国では朝餉を囲んでいるだろう
   ――時は途方に暮れている

   いま わたしの国を温めている太陽は
   君の国からめぐってきた
   そしてやがてあなたの国へ朝を届けるだろう
   ――時がひそかに立ち上がり
     武器を手にする気配がする

   太陽が一日をかけてめぐってゆく
   この小さな星の
   わたしたちの時間が凍えてゆく

   愛よ 立ちなさい。

   この星には
   戦争と正義を一つの箱に入れて
   一羽の白い鳩に変えてみせる
   魔術師たちがいる

   わたしたちが
   その魔法にかけられる前に
   愛よ 立ちなさい。