ふくろう日記・別室

日々の備忘録です。

言葉の誕生を科学する 岡ノ谷一夫×小川洋子

2012-03-30 01:31:32 | Book


岡ノ谷 一夫(1959年~ )は、動物行動学者、東京大学教授。
栃木県足利市生まれ。慶應義塾大学文学部卒業後、米国メリーランド大学大学院で博士号取得。東京大学助教授。
2004年理化学研究所脳科学総合研究センター生物言語研究チーム・チームリーダー。
2008年ERATO情動情報プロジェクト総括を兼任、2010年東京大学総合文化研究科教授兼任。

著書
「小鳥の歌からヒトの言葉へ」 岩波書店 2003年 (岩波科学ライブラリー)
「ハダカデバネズミ 女王・兵隊・ふとん係」 吉田重人共著 岩波書店 2008年 (岩波科学ライブラリー)
「さえずり言語起源論 ― 新版小鳥の歌からヒトの言葉へ」 岩波書店、2010年

参考資料サイト
言葉は動物の“歌”から生まれた 生物学・認知科学者 岡ノ谷一夫

小川洋子は、ご存じの小説家。「博士の愛した数式」は数学者「藤原正彦」との出会いから生まれたようですが、
この対談から、また新しい小説が生まれるのかな?

さて、前置きが長すぎました。しかしこの本の感想を書くのは困難なことですよ。
心に残ったところをメモすることにしようかな。


言葉は「求愛の歌」から出発した、というのが岡ノ谷教授の基本的な考え方らしい。
鳥のさえずり、クジラの泣き声、ハダカデバネズミの歌などの言語以前の「音」から、
人間だけが「言葉」を獲得した過程について、動物行動学者と言葉の仕事をする作家との対談となる。
小川洋子の素直な好奇心が大変好ましく感じられ、対談のリズムを奏でるようでした。
しかし、過去の岡ノ谷教授の著書を読んでいないと、読者にとってはまとまりもなく、
脈絡もない雑談になったのは残念です。

しかし、岡ノ谷教授の唱える理論は、今だどこまで信じていいのかわかりません。
たとえば、ある程度のデータが揃えば、シュミレーションでもってきれいなデータが完成するという怖さ。
これでいいのかな?それから男性的論理のある種の単純さなど。その1つの例を以下に。



赤ちゃんの泣き方の分類が「おしっこ?」「眠い?」「ミルク?」となっているけれど、
赤ちゃんの泣く理由の大きな要素は、2人の子供を育てた経験から言えば、
「一人にしないで。」「だっこしてちょうだい。」に代表される。
「おしっこ」や「うんち」は生まれた時から「おむつ」をしているのですから、
母親が定期的に様子を見て、「おむつ」を取り換えてあげられるし、
「ミルク」だって時間を決めているし、眠くなれば眠るものですし……。

世界共通にある「ママ」「マンマ」は教えなくても子供は語りだします。
最初は「まんまんまん……」と言います。これはその段階では「母」でもなく「ごはん」でもない。「音」です。
それから機嫌がよければ、1人でも「ああああ」とか「きゃっきゃ」とか、限りなく「音」を言います。
そして、1年も経てば「名詞」を語り、その後「動詞」を語り、「要求」を主張して、
言葉によって伝えることを学びます。ほとんどこれは母親から自然に学びます。気をつけませう。

母親の胎内で微生物から1つの生命体となる。赤ちゃんはその段階では「四足」です。
そこから胎内を出て、「四足歩行」から「二足歩行」までに1年かかります。
そこから言葉を覚えるまでの歳月は「原始」から「現代」までを駆け足で時代を超えてゆくのです。

……などと、岡ノ谷教授にお伝えしたいです。

 (2011年4月・河出書房新社刊)

モンスター・ママ(メモ9) 子ども

2012-03-16 22:51:24 | Mama


吉本隆明氏がご逝去。
今の日本の大きな思想の支柱を失ったという思いが深い。
あらゆる分野に、柔軟で自然体のお考えをお持ちだったと思う。

その1つをここにリンクしておきます。

「ほぼ日刊イトイ新聞・日本の子ども・吉本隆明×糸井重里」

わたくしが余計なことを書かない方がいいようです。

ボクの音楽武者修行(続)  小澤征爾

2012-03-14 23:05:41 | Book


前回に書き落としたことがある。(以下、引用)

『指揮をするには、ものすごく鋭敏な運動神経がいるものだ。マラソン選手が毎朝走る練習をするように、
 僕も手を振り身体を動かす運動を続けた。
 試験だからといって普通の入学試験のように暗譜だけでやっていたら、体がナマってしまう。
 それでは大勢の人間の寄り集まりであるオーケストラを、自分の意のままに動かすことなど、とてもできるものではない。
 今後もぼくのように指揮の試験を受けようとする者があるだろうが、ぼくはその人たちに言っておきたい。
 何より、柔軟で鋭敏で、しかもエネルギッシュな体を作っておくこと。
 また音楽家になるよりスポーツマンになるようなつもりで、スコアに向かうこと。
 それが、指揮をする動作を作り、これが言葉以上に的確のオーケストラの人たちに通じるのだ。
 ぼくが外国に行って各国のオーケストラを指揮して得た経験のうちで、1番貴重なものはこれである。』



指揮者のほとんどが「ムチウチ症」になるというお話は、たしか小澤さんの言ったことだったと思う。
指揮する姿を観ながら「なるほど。」と思ったことがある。
その上、小澤さんは「腰痛」もある。長い指揮者生活のご苦労を思う。

小澤征爾さんが「ブザンソン指揮者コンクール」で優勝したのは1959年。
その弟子筋にあたる佐渡裕が1989年……ちょうど30年後にあたる。

改めて、世界的指揮者として生きてこられた小澤さんの永年のすさまじいパワーを思う。
ここで少し休憩されて、また指揮棒を振り、後進の指導をなさってくださいませ。

ボクの音楽武者修行  小澤征爾

2012-03-12 12:33:25 | Book
小澤征爾64歳の挑戦 1/2 ~Autumnsnake おぉたむすねィく


小澤征爾さん復活!気迫のタクトに喝采


小澤征爾氏の1年間指揮活動中止の案内が、所属事務所から発信されました。

この本に関しましては、後ほど書きます。


《追記》

……と、書いたものの、この本は非常に楽しかったのですが、まとめるのは難しいことがわかりました。
簡単なメモでお許しくだされ。

  

若き指揮者時代(かわいい。)。バーンスタインとともに、初めての帰国を果たした小沢氏。


この著書のご本人の「あとがき」は「昭和37(1960)年2月」となっています。
ですからこれは小澤征爾(1935年9月1日生まれ)がまだ無名の若き日、貨物船に乗って日本を出て、ヨーロッパに渡り、
さまざまな国際音楽コンクールに優勝し、ニューヨーク・フィルの副指揮者に就任するまでの3年間の記録です。
フランス、ドイツ、アメリカが舞台です。その後の大いなる指揮者としての記録はありません。

しかし、その自然児のような、日々の疾走ぶりはわくわくします。
貨物船に同行した「スクーター」は、ヨーロッパの陸地を疾走します。
日本の旗(スクーター・メーカーからの無料提供&その宣伝を兼ねて。修理方法まで学んで。)を翻しつつ。
彼の天性の性格のせいなのか?ご家族のあたたかな、そして大らかな包容力のなせることなのか?
なによりも「西洋音楽」に触れたいという強い願いのなせることなのでしょう。
この後、彼は車を買います。簡単な運転免許証も取得します。
彼の行動範囲を広げるために欠かせないものだったと思います。

それでも日本を出て、10か月ほどでホームシックに。
幸せな小澤一族を離れて、1人で外国に暮らせば、それはごく自然の出来事かもしれない。
そしてドクターは、お金のない患者を病院ではなくて修道院に入れた。パリの毒気を抜くため。
寒いが、規則的な日常の仕事と食事、賛美歌を聴いた時の感動などなど…少し痩せたが元気になったとか。

この3年間を音楽家が文章にまとめるのは、小澤さんとはいえ困難なことに違いない。
日記代わりになったものは、家族宛てに小澤さんが書いた手紙を弟さんがすべてまとめて保存しておいたことによる。

(昭和55年7月発行 平成20年6月43刷・新潮文庫)

彼の手は語りつぐ  パトシリア・ポラッコ

2012-03-06 01:55:35 | Book


翻訳:千葉茂樹
原作&挿画:パトシリア・ポラッコ

パトシリア・ポラッコは1944年、ミシガン州ランシング生まれ。現在、同州ユニオンシティー在住。
カリフォルニア美術工芸大学卒。この絵本ではご自身の家族の歴史を書いていらっしゃるようだ。
この物語は、文字が読める奴隷黒人少年ピンクスと、文字が読めない貧農の白人少年シェルダンとの物語。
シェルダンには作者ポラッコ自身が投影されているようです。
南北戦争の時代に、それぞれの土地から北軍に徴用された少年2人が、部隊からはぐれた者同士として出会う。

「アンクル・トムの小屋」や「ルーツ」などに共通するテーマです。

足を怪我して歩けなくなったシェルダンを、ピンクスが助け、ピンクスの母の家に連れていく。
匿っていることが発覚すれば、母親共々どのような惨事が待っているか?
子供たちを地下に隠し、母親は銃殺される。
その後部隊に戻る途中で2人は南軍の捕虜となる。引き離されようとした2人の手はぎりぎりまで離されることはなかった。
シェルダンの手は、かの「リンカーン」と握手した手であったからなのだ。

黒人ピンクスは即刻しばり首になる。遺体は石灰の採掘跡に放りこまれた。
数か月後に、アンダーソンヴィル捕虜収容所を開放されたシェルダンは体重35キロだった。南北戦争は終わった。
この戦争は「黒人奴隷解放」を目的とした戦争だったのではないか?

そして生き残ったシェルダンは結婚し、沢山の子供に恵まれ、孫や曾孫にまで、これを語りつぐ。
それはさらに語りつがれ、それを受け取り、このような絵本にしたのが「パトシリア・ポラッコ」だった。

ここで友人からのメールの1部をご紹介します。

パトシリア・ポラッコの絵の才能を見出し、導き、障害(失読症)をも支えた美術教師が、
ポラッコに贈ったことば。中国の古いことわざです。

Yesterday is history. Tomorrow, a mystery. Today...a gift.

そして、先生はこういいます。

That's why it is called "the present"


  *    *    *


しかし、エイブラハム・リンカーンとはどのような人間だったのか?
「黒人奴隷解放」には熱心ではあったが、アメリカ先住民への敵意はなんだったのか?
この大きな矛盾に苦しむのは読者だけではあるまい。リンカーン自身、自らの矛盾に翻弄された生涯ではなかったのか?

さらに映画「ダンス・ウィズ・ウルブズ 」を思い出す。
監督&主演「ケビン・コスナー」。南北戦争に嫌気がさした北軍の「ジョン・ダンバー中尉」が求めた任地は、スー族インディアンが住む、すぐ近くの掘立小屋だった。
しかしこの世界で中尉は人間性や信頼、愛、友情、約束を知ることになる。
これは、思い返せば「リンカーン」への批判とも思えてくる。



無駄話ですみませぬ。「ケビン・コスナー」の長年のファンですので、あしからず。

(2001年・あすなろ書房刊)

猫柳

2012-03-03 21:56:55 | Stroll




「猫柳祭 犀星の満州」で紹介した「猫柳」のその後です。

いつもの散歩道を行ったら、「この先は通行止めです。」と書かれた看板があって足止めとなる。
しかし、その木があるのはその先10メートルほどのところ。
誰もいないので、小さな隙間から入って撮影してきました。
見事に「猫」になっていました。 以上ご報告まで。