ふくろう日記・別室

日々の備忘録です。

秋の終章

2010-11-29 16:12:05 | Stroll

いのちとは軽きものらし紅落ち葉    Aki

今日は秋晴れ、静かな日ではありましたが、窓辺から聴こえる音は絶え間ない。
何の音かといえば、樹々が落葉して風に舞い落ちる音でした。さわさわさわさわ……。










虫たちは、わずかに咲いている花にひっそりといる。






これは川辺にいた「赤とんぼ」。すでに動きが静かだ。わたくしのカメラが追えるのですから……。




散歩道。






最後の1輪が咲いていました。エンジェル・トランペット。

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The African Queen (1951)

2010-11-25 14:19:02 | Movie
The African Queen (1951)



「アフリカの女王(The African Queen)」は、1951年のアメリカ・イギリス合作の映画。

監督: ジョン・ヒューストン
原作: セシル・スコット・フォレスター
脚本: ジェームズ・エイジー、ジョン・ヒューストン
音楽: アラン・グレイ

《キャスト》
チャールズ(チャーリー)・オルナット:ハンフリー・ボガート
ローズ(ロージー)・セイヤー:キャサリン・ヘップバーン
セイヤー牧師(ローズの兄):ロバート・モーリー


「セシル・スコット・フォレスター」は海洋冒険小説家、同名の原作を「ジョン・ヒューストン」が映画化した。
アフリカで本格的なロケを敢行したこの映画の撮影は困難を極めた。
天候不順、セットが流される、体調悪化や病気で倒れる出演者やスタッフが続出、撮影は長引いた。
にもかかわらず監督のヒューストンは、ハンティングに興じている。

「キャサリン・ヘップバーン」はこの時の監督について、後年「アフリカの女王とわたし」という本を出版している。
更にこのロケに同行した脚本家のピーター・ヴィアテルも、この時の体験を元に小説『ホワイトハンター ブラックハート』を書く。
これはクリント・イーストウッドの監督で、映画化された。
ヒューストンがモデルの映画監督ジョン・ウィルソンはイーストウッド自身が演じた。なんと話題の多彩な映画だこと(^^)。

しかし、この映画は2度観たのですが、面白い。
キャサリン・ヘップバーン演じるのは「牧師の妹」という清楚な面と大胆不敵な面とを合わせ持っていて魅力的な女性。
チャールズは下品な男で、「The African Queen」というおんぼろ船で、イギリスとアフリカとを往復しながら、
アフリカに必要な物資を運ぶ仕事をしていた。

舞台はドイツ領東アフリカの奥地。イギリス人女性ローズ・セイヤーは宣教師の兄とともに布教活動をしていた。
しかし第一次世界大戦が勃発し、アフリカ原住民たちはすべて無理矢理徴収され、村は焼き払われ、そのショックから兄は死んでしまう。

1人ぼっちになったローズは、チャールズ(イギリス人)に助けられる。
ところが、ローズは突拍子もないことを言い出す。
川下の湖に浮かぶ、東アフリカ最強とされるドイツの砲艦「ルイザ号」を、酸素ボンベと爆発性ゼラチンで作ったお手製の魚雷で攻撃、沈没させようというのだ。
途中にドイツ軍の砦や航行不能の激流や大瀑布があり、自殺行為だと反対したチャールズだったが、頑固なローズを前にしぶしぶ承諾させられる。

性格がまるで違う2人だったが、いがみ合いつつお互いに惹かれていく。
2人を待ち受けていた船旅は想像を絶する数々の困難だったが、2人は最後まで希望も愛も失うことはなかった。
しかし魚雷発砲の前に、「ルイザ号」に捕まり、船上での絞首刑寸前、チャールズは「死ぬ前に2人の結婚式をあげてくれ。」と依頼。
その後で絞首刑になる寸前「The African Queen」の魚雷が「ルイザ号」を襲う。海に投げ出された2人は無事に生き抜いた。

この映画製作は、困難を極めたものだと思うのだが、「キャサリン・ヘップバーン」の魅力がすべてを救った名画となっている。
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手塚雄二・一瞬と永遠のはざまで

2010-11-18 23:30:32 | Art
15日午後、「ドガ展」を観てから、地下鉄「みなとみらい」駅から「横浜」駅に移動。
「そごう美術館」にて「手塚雄二」展を観る。

招待状を頂いたのですが、はずかしながら、この日本画家「手塚雄二」への予備知識はありませんでした。
夫に話しましたら、身を乗り出すように「行く。」と言ったので、横浜への一日小旅行となりました。

「手塚雄二」は「平山郁夫」の弟子だと言うことになっているようですが、師を超えた弟子ではないだろうか?
それくらい魅力的な絵画でした。
非常に繊細でありながら、大胆さをも併せ持つ画家でした。

どう素晴らしいのかは、言葉では言い表わせません。美術評論家ではないのでごめんね。
夫が身を乗り出した意味がわかりました。過去の作品ではないことも嬉しい。


 
 (朝霧・2008)


 (これはわたくしが1番気に入った作品でした。蜘蛛の巣にかかった枯れ葉。)




 (雨明・2010)
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ドガ展

2010-11-17 14:30:50 | Art
15日正午曇天、地下鉄「みなとみらい」駅を出ると、あたりは静かだった。時々薄日もさす。
13~14日に「APEC JAPAN 2010」が開催されたとは思えないほどに。

横浜市で開かれていた「APEC=アジア太平洋経済協力会議」は、13日に首脳会議が開幕し、
経済発展に向けた域内での経済統合に向けた道筋や成長戦略の策定などについて、2日間にわたって意見が交わされました。
「TPP=環太平洋パートナーシップ協定」のほか、「ASEAN=東南アジア諸国連合」に日本、中国、韓国を加えた枠組みでの
自由貿易構想などの取り組みを発展させて、実現を目指すことなどで各国が一致する見通しだった。APECの首脳会議は14日午後閉幕。

久し振りのドガ展では「エトワール」が初来日と話題になっていましたので、会場の混雑を予想していましたが、
この「APEC」終了翌日のおかげだと言えば「TPP」の反対運動などををなさった方々に申し訳ないと思いますが、
横浜美術館は入場者がほどほどで、大変ゆっくりと観られました。すみませぬ。


 (エトワール)

美しいエトワールの踊る舞台の袖には黒衣の男性が見えるのはなぜか?

独り言……今は「芸術」と呼ばれるもののはじまりというものは、大方こうしたことから出発している。
このバレリーナは、別の意味では値ぶみされる「娼婦」に似た存在であったこと。
このような歴史から始まって「芸術」と呼ばれるまでに洗練されてきたものは「バレー」のみではあるまい。


ドガの画業の中心は、やはり「踊り子」だとは思うのだが、初期から後期まで一貫していることは
女性の肉体の動き(傾き、捩れ、あるいは真っ直ぐに伸びる足や腕。)それに付随する衣装の動きとなだらかな線だったように思う。
おびただしい枚数のバレリーナあるいは入浴する裸婦、娼婦などを描いているのはそのためではないか?


また、この時代の画家が必ず手掛けたものは「肖像画」や、その時代に流行ったもの(ドガの場合は「競馬」や「乗馬」)、
あるいは身近に見る市民の生活など……。


 (ジョヴァンナ・ベレッリの肖像「ベレッリ家の家族」のための習作)


 (綿花取引所の人々「ニューオリンズ」)画面手前にいる人物は叔父のミシェル・ミュソン氏


 *     *     *



 (テオドール・ゴビラール夫人「イヴ・モリゾ」 )

この美術展で初めて知ったこと。ドガは女性画家「ベルト・モリゾ」の姉「イヴ」の肖像画を描いていた。
ドガはほとんどが自分のアトリエで絵を描いていたのですが、これは「モリゾ家」の3人姉妹のために
ご両親が自宅の庭に建てたアトリエに通って描かれたものです。

ベルト・モリゾは1841年生まれ。ルノワールと同じ年に生まれています。三人姉妹の三女として、裕福な家庭に育つ。
この時代のこの階級の娘たちの「花嫁修業」の一環として、「美術」もあったということで、特別な出会いではない。
母親は娘たちのさまざまな花嫁修業のためには、よき師を捜す。そのモリゾ家の次女「エドマ」と三女「ベルト」が絵画に強く惹かれ、
才能を開花させましたが、この時代に女性が「画家」となることはとても困難なことで、
美術学校にすら入学できない。個人的に画家に指導を受け、ルーブル美術館で「模写」による勉強などに専念した。

次女エドマは結婚とともに絵画をあきらめたが、三女ベルトはマネの弟子となって画家の道に進んだ。
この女性画家モリゾはマネの弟と結婚している。

しかし、このモデルとなった長女の「イヴ」は絵画には興味がなかったようである。

以上、思いつくままに……。次回は同じ横浜の「そごう美術館」の日本画家「手塚雄二」の展覧会について書きます。
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パートナーズ

2010-11-09 22:36:29 | Movie
映画『パートナーズ』予告編


「パートナーズ」オフィシャルサイト」はこちらです。

監督:下村 優
脚本:荒井晴彦 井上淳一

盲導犬准訓練士:末永陽介


以前このブログで簡単にご紹介しました「きな子ー見習い警察犬の物語」
「盲導犬版」という感じの映画でしたが、この映画にはドッグ・トレーナーはいないようです。
それよりも、現役の盲導犬、訓練犬、PR犬と合計30頭もの犬たちが全国の訓練センターから集められて、
実際に撮影が行われる際には、仙台にある訓練センターの准訓練士・末永陽介氏が盲導犬指導及び、監督、出演者へのアドバイザーとして参加しています。

相変わらず「犬」の映画の追っかけをしています。
「それなら犬を飼ったら?」と言われそうですが、子供時代に愛犬「ボニー」に先に死なれてしまってからは、
2度と飼う気持にはなれません。
「ボニー」は「風ととに去りぬ」のスカーレット・オハラの娘の名前から、祖父が付けてくれましたが、
あの娘も仔馬から落ちて、子供のうちに死んでしまうのね……。

盲導犬が訓練を受けて、目の不自由な人々のために働いて下さっても、
歳をとるのは人間よりも早く、そこには必ず悲しい別れがある。


ちなみに、わたくしが子供時代に飼っていたのはこんな犬です。

 (スピッツ)
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ミレー

2010-11-07 13:44:29 | Art

今朝のNHK「日曜美術館」では「ミレー」の絵画のついての考察だった。
エライ評論家や所蔵者のご意見よりも、どっと重く心に残る言葉は
長い人生を、りんご農家として生きてこられた「木村秋則」さんの言葉でした。

「落ち穂拾い」の女性の指先が親指と人差し指だけではなく中指も働いているということ。
貧しい農民は、刈り取りの後に「落ち穂」を拾い、それまでも「糧」としたということ。
その背景には刈り取られた麦の束の山が見える。それはどこに運ばれてゆくのか?




あるいは「種まき」の農夫の手のなかから、蒔かれる種の勢いやその広がり方、夕暮れまでに蒔き終わらなければならないと
いう農夫の心の内なども見据えていました。
それはすべて「木村秋則」さんの少年期の記憶に繋がっているのです。




それを観ながら、ふと思い出した農業詩人の言葉があります。
それは「鳥瞰図」に対する言葉として「蛙観図=あかんず」「仰見図」「虫観図」という言葉の存在です。
それは農民の視線と同じことだと教えて下さったのはその詩人でした。
詳しくはここをご覧下さい。
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ご無沙汰しました。

2010-11-03 23:47:46 | Letter
10月30日朝、目が覚めたら右目が真赤に……涙がぼろぼろ。。。その上かなり痛い。
あわてて眼医者さんに行きましたが、目の表面が傷だらけ。原因不明???

目下、治療中です。とりあえず眼帯からは解放されましたが。

こんなささやかな日記でも、読者がいらして、書かない期間が長引くと心配してくださる方もいらっしゃるので、ご報告しておきます。
本も読めず、パソコンも長い時間は疲れます。しばらくの休憩です。

視力への影響はありませんので、怪我の治るのを待つようなものですので、ご心配なく。
では、おやすみなさい。

 *    *    *

これは今日の午後の秋空の美しさに思わず撮りましたが、目の負担は大きかったようです(^^)。

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