ふくろう日記・別室

日々の備忘録です。

オルフォイスへのソネット第一部・17

2009-11-29 23:40:11 | Poem
いちばん下には老いた男、
成り立ったすべてのものの
もつれた根、隠れていて、
見たもののない泉。

闘いの兜と猟の角笛、
古老たちの託宣、
骨肉の怒りの男たち、
ラウテのような女たち・・・・・

ひしめき合う枝と枝、
どこにも自由な枝はない・・・・・
いや ひとつが! おお 昇れ・・・・・昇れ・・・・・

しかしやはり折れる枝々。
この1枝がけれどもようやく、
梢で 竪琴の形にたわむ。

 (田口義弘訳)


 このソネットでは、リルケは自らの系図に貴族性を証明したかったという偏執性が見られます。紋章は「2頭の猟犬」だったらしいという説もあって、前記の「オルフォイスへのソネット第一部・16」の犬の詩が連想されますね。しかし、リルケの系図が貴族であったという確証はありません。「老いた男」「もつれた根」「見たもののない泉」・・・・・・これらはこのソネットにたびたび表れる「大地の内部にある死」のイメージですね。

 「系統樹」という言葉がありますが、これはキリストの系図を樹木の形で表わした絵画です。また言葉としては「イザヤ書第11章・1&2」のメシア預言が最も古いものとされているようです。さらに10世紀のモアサックのベネディクト修道院で、はじまった(マリアへの)賛美歌はこのように歌われています。


エッサイの実りゆたかな根より
1つの若芽が1本の茎を伸ばして
露を宿した花をつけ、
そのなかに聖霊が降(くだ)りたもうた。
茨のもつれるなかから
柔らかな薔薇が溢れ出るように、エヴァの不幸のうちより
花咲く若枝マリアが伸び立った


 リルケの自己系図は「系統樹」に模したもののように思えます。


 さて次は「ラウテ 」です。これは古代の弦楽器。ササン朝ペルシャの「バルバット」という楽器が母体です。東に伝わって「琵琶」となり、アラブ、北アフリカを経て西に伝わったものが「ラウテ(または、リュート)」です。リルケの「新詩集・別巻」には「ラウテ」という詩があります。


ラウテ

私はラウテです。もしも 私のからだを、その
きれいな丸みをおびた縞模様を 描きたいのなら
ふっくらと熟した無花果を あなたが歌うように、
お歌いなさい。私のなかに あなたがみている

暗さを誇張して お歌いなさい。それは
トゥリアの暗さであったのです。彼女の恥辱(はじらい)にも
これほどの暗さはありませんでした。彼女の明るんだ
金髪は 明るい広間のようでした。ときおり

彼女は 私の表面(うわべ)を爪弾いて なにかと楽音(ひびき)を
彼女の顔のなかにとりいれて、私にあわせて歌ったものでした。
そのとき 私は 彼女の弱さに抗って 身をひきしめて
ついには 私の内部も 彼女のなかにあるのでした。

「トゥリア」は、16世紀ヴェネチアの高級娼婦です。「顔」はリルケの場合「仮面」との対立語です。


 こうしてリルケを読み続けていますと、「マルテの手記」の1節を証明しているような気がしてきます。それはリルケが、時をかけて繰り返し同じテーマを書き直し続けたというようにわたくしには見えるのでした。


若くて詩なんか書いたって始まらぬ。
本当は待つべきものなのだ。
一生涯かかって、しかも出来たら
年老いるまでの長い一生をかけて、
意味と蜜を集めるべきものなのだ
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詩はどこへ行ったのか

2009-11-25 16:13:10 | Memorandum

 このタイトルは今日の朝日新聞の「オピニオン」における、詩人の谷川俊太郎(1931年生まれ)のインタビュー記事です。聞き手は鈴木繁。この種の問いかけは、戦後の詩の歴史のなかで、ほぼ10年間隔で行われてきました。

 例えば一応詩壇の中心的な雑誌とされる「現代詩手帖」創刊50年祭の報告書とも言える、今年の8月号では、討論「これからの詩どうなる」でした。さらに9月号では「現代詩の前線・ゼロ年代の詩人たち」と続き、この「前線」ということもほぼ10年間隔で繰り返し企画されてきたように思います。さらにこの9月号の後半は「復刻版」でありまして「現代詩手帖・1982年11月号・・・詩はこれでいいのか」でした。これもその時代を代表する詩人たちです。すでに鬼籍にはいった詩人もいらっしゃいました。

 さてさて、この繰り返される問いかけ、彷徨う詩人たち(わたくしも???)それ自体が詩の歴史だったのではないでしょうか?誰も明確な答は出せないのです。今後もそうかもしれないと思っていました。

 しかししかし、ほぼ空白期間もなく60年間詩作を続けられ、(職業詩人として、商品としての詩を書くとまで明言できた唯一の詩人です。)の言葉は、わかりやすく、深く、やっと彷徨うことからひととき大樹の下に立ったような思いでした。

 谷川俊太郎は自らの詩人としての生き方を正しかったのだとは言っていません。批評の基準が共有されていない今日において、人気者である立場もよしとはしていません。詩は権力や財力のようなマスを相手にするものではなく、ミニマルな微小なエネルギーで働きかけていくものだとおっしゃいます。そして「ウイリアム・ブレイク」のこの詩を紹介しています。

一粒の砂に 世界を見
一輪の野の花に 天国を見る


  *   *   *

 以下は、新聞に書かれた谷川俊太郎の言葉の抜粋です。

 『詩は宇宙内存在としてのあり方にふれようとする。言語に覆われる以前の存在そのもをとらえようとするんです。秩序を守ろうと働く散文と違い、詩はことばを使っているのに、ことばを超えた混沌にかかわる』

 『ぼくは詩を書く時は、アホみたいに待ってるだけです。意味にならないモヤモヤからぽこっとことばが出てくる瞬間を』

 『まず、「社会的存在」として、経済的に自立する道を考えることを勧めます。今の詩人は、秩序の外に出て生きることは難しい』(←これは聞き手からの「詩人体質の若者は、現代をどう生きたらいいんでしょう。という質問に答えたものです。)
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スケッチ  吉野弘

2009-11-23 20:37:31 | Poem

雨あがり。
赤土の大造成宅地は一枚の広く薄い水溜り。
強い風が吹けば端からめくれてゆきそうな水溜りの
向う岸。
曇天の落想のように
ぽつんと
黒い犬がいて
鼻を空に向けています。
動かずに、長いこと、鼻を空に入れたままです。
普段、彼を飢えさせない豊饒な大地を
せわしくこすっていた日常の鼻
その鼻を、なぜか今、空に差しこんでいます。
――大地の上に高く
おれの生活とは無縁なひろがりがある――
そんな眩しい認識が
唐突に彼の頭脳を訪れたと仮定しようか。
高いひろがりを哲学するために使えるのは鼻しかない
  とでもいうように
ああ、鼻先を非日常の空に泳がせています。

黒い犬の困惑を察しながら、私は
水溜りのこちら側から見ています。

・・・・・・詩集「陽を浴びて・1983年」より。・・・・・・

 
 前回の日記に書いた「オルフォイスへのソネット第一部・16」のなかには「犬」が登場しました。この訳詩と註解を読みながら、しきりに思い出していた詩がありました。それがこの吉野弘の「スケッチ」でした。

その鼻を、なぜか今、空に差しこんでいます。

 この1行だけは何故か忘れたことがありませんでしたが、果たしてどの詩集に収められていたのか?タイトルは何だったのか?思い出せませんでした。結果、広辞苑のごとき956ページの「吉野弘全詩集・1994年青土社刊」を、最初から丹念に探すことになりました。(←この情熱はどこから来るのか???)ついに602ページで探し出した歓びよ!♪

 そしてまた、ここまで1人の詩人の足跡を見たことにもなります。このことも大きな収穫でした。やはり吉野弘はすごい。この一見たやすく見える詩を背後で支えているものは、膨大な読書、日常を見つめるたしかな、おだやかな目、の両面の視座でした。

 これも前回の日記に書きましたが、「犬は動物として下層の実在界を故郷としながら、人間の意識の働く上層の現実界に迷い込んでしまった存在なのでした。」ということに繋がってゆきます。このような繋がりはなんと幸福なことよ。

 「ダンテの『神曲』を読みなさい。」という吉野弘さんからの課題をまだ、成し遂げていない自分にも気付きました。ごめんなさい。
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オルフォイスへのソネット第一部・16

2009-11-21 22:50:55 | Poem
友よ おまえは孤独だ、なぜなら・・・・・・。
私たちは言葉と指さすことで
徐々に世界を自分のものにしてゆく、
おそらく そのもっとも弱く危うい部分を。

だれが指で匂いを指し示せよう?
だが 私たちはかつて脅かした力の多くを
いまもおまえは感じ取っている。・・・・・・おまえは死者たちを知っている、
そしておまえは呪文におびえる。

いや 実はともに私たちは堪えるべきなのだ、
さまざまな断片や部分を それが全体であるかのように。
おまえを助けることは難しいだろう。何よりも、おまえの心に

私を植えつけないように。たちまち私は成長してしまうから。
だが私の主の手をみちびいて 私は彼にこう言いたい――
ほら これが毛皮をつけたエサウです と。

 (田口義弘訳)


 リルケの妻クララへの手紙、またジッツォー伯爵夫人への手紙に記されていたものからわかるように、このソネットで「友よ」と呼びかけられているのは「一匹の犬」です。リルケは大変犬好きでした。

 犬は人間と親密な関係にあります。さらに犬は人間と動物との境界におかれている存在とされています。犬は動物として下層の実在界を故郷としながら、人間の意識の働く上層の現実界に迷い込んでしまった存在なのでした。
 この犬と「エサウ」は同一化されていると考えてもいいのではないか?しかし、リルケは兄の「エサウ」と弟の「ヤコブ」とを取り違えているのではないのか?という説もあります。この双子の兄弟の盲目の父「イサク」の祝福を兄にではなく自分で受けたいがために、獣のように毛深い「エサウ」に見せかけるために、毛皮を被って盲目の父親を騙したのは「ヤコブ」でしたから。

 リルケの「新詩集・別巻・・・・・・我が偉大なる友 オーギュスト・ロダンに捧ぐ・1908年」のなかにこのような詩があります。1907年、パリにて書かれた下記の詩は、犬そのものでありますが、また芸術家そのものでもあると。当時のリルケを知る上では重要な作品とのことです。


犬   (塚越敏訳)

あの上層では 眼差しからなる一つの世界の像が
絶えず あらためられては 罷り通っている。
ほんのときたま 密かに事物が現れて 彼のそばに立つ、
そうしたことも 彼がこの世界の像をおし分けてすすみ、

下層にいたって ちがった彼になるときに起こるのだ。
突きはなされてもいないが 組みいれられてもいない彼は
まるで疑念をいだいているかのように 自分の現実を
彼が忘れている世界の像に 手渡してしまう、

疑っているにもかかわらず 自分の顔を差し出しておくために。
哀願せんばかりの顔をして、ほとんど 世界の像を
理解しながらも 世界の像に通じるや 思い切ってしまうのだ。
もし通じるなら 彼は存在しなくなるであろうから。


追記
「ドゥイノの悲歌・8」も参照されたし。長いので省きました。すみませぬ。
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贈答のうた  竹西寛子

2009-11-21 01:47:41 | Book

 この本は5年ほど前に購入したものですが、以下の文章はこの著書の「はじめに」のなかから抜粋しました。大変に魅力的な導入の言葉です。ぽちぽちと読んで楽しんでいます。しかし大切な本になるであろうというたしかな予感があります。

  *    *    *

 『物や事に感じて平静を乱された時に、その心の揺れをととのえようとする手立ては人次第であろう。何によって惹き起こされた心の揺れか、その原因と、人それぞれの性情や素養との関係によって、手立てのあらわし方もおのずから定まってゆく。もし仮りに言葉を頼むとすれば、言葉は原因との折り合いをつけようとする働きの中に、誰かに向って、あるいは何かに向って訴えようとする働きも兼ねることになろう。
 人は又その心の揺れを、沈黙に封じ込め得る存在である。けれども私がこれから付き合ってゆこうとしているのは、沈黙を守り通せなかった人々であって、頼られている言葉は詩歌、すなわち「うた」が中心である。』


  『うたはあのようにも詠まれてきた。』


  『人はあのようにも心を用いて生きてきた。』


  *    *    *


 取りあげられたものは「勅撰和歌集」「伊勢物語」「蜻蛉日記」「和泉式部集」「和泉式部日記」「源氏物語」「建礼門院右京大夫集」「長秋詠藻」長秋草」「拾遺愚草」などに見られる「相聞」「問答」の歌を集めたものです。たとえば「伊勢物語」では、このような歌のやりとりがあります。

梓弓ま弓つき弓年を経てわがせしがごとうるわしみせよ   男

梓弓ひけどひかねど昔より心は君によりにしものを     女


(講談社刊・2002年第一刷、2004年第二刷)
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オルフォイスへのソネット第一部・14

2009-11-18 21:18:49 | Poem
私たちは花と交わる、葡萄の葉と 果実と。
それらはただこの年の言葉を語るだけではない。
幽暗のなかから立ち昇る色とりどりの顕わなるもの、
おそらくそれは大地の力を強める死者たちの

嫉みの艶をおびている。
どれほど私たちは彼らの関与に気づいていよう?
その自由な骨隋を混ぜて粘土の地味を肥やすのが、
もう長らく死者たちの流儀なのだ。

ただそれにしても――死者たちはすすんでそうするのか?
この果実は重苦しい奴隷たちによって作られ、
丸く固められて私たちに 彼らの主人に向けて突きあげられるのか?

それとも死者たちこそ主人で、根のところに眠っている彼らが、
そのありあまる豊かさのなかから私たちに恵んでくれるのか、
無言の力と接吻から生まれたこの中間の物を?

 (田口義弘訳)


 田口義弘の註解を集中して読んではいるものの、どうしても頭の中から掃いのけることのできない一文があります。それは、梶井基次郎の「桜の樹の下には」です。ああ。とうとう書いちゃった。。。
 梶井基次郎(1901~1932年)がリルケ(1875~1926年)を意識していたのかは不明ですが、地中に抱かれてある、さまざまな「死」は、かつての地上の「生」であったことは、この生命世界では摂理であり、循環であることは明らかなことでせう。この梶井基次郎とリルケとが書いたものは特別のことではない。

 このソネットの始まりの一行そのものが、すでにこの風景を予測していたのではないか?

すると一本の樹が立ち昇った。おお 純粋な超昇!

 この「立ち昇る=steigen」というリルケの偏愛とも思える言葉の選び方は、樹だけではなく音楽にまで及ぶ。以下に「ソネット」にはありませんが「葡萄」の詩を記しておきます。以上に記したこととの共通性があまりにも多いからです。


〈『ささやかな葡萄酒の当たり年』をめぐる作品群より〉

アポロ風の巻き髪の 日の光に輝くブロンドの
葡萄畑に沿うて 山羊の群れが行く。
念入りに添木で支えられた 葡萄の木のいずれにも、
思ってみるがいい その内部には流動が溢れ漲っている。

重い乳房にゆったりと足を運ぶ 山羊の群ればかりではない。
絡まり合う葡萄の蔦の その内部にも
立ち昇って来る大群がある、僧侶たち 夢占い師たち、
槍をかざして押し進む密集方陣の軍勢が

大地の中から湧き上ってくる、半ばは死者たちの中から
半ばはいまだ思い起されたこともない土壌(つち)の中から、
太陽の圧倒的な力に立ち向かい
人の手が呼び起されて。


 この詩は1923年末、ミュゾットで書かれた作品です。「草稿・断片詩篇・1906~1926年」に収録されています。「完成詩篇・1906~1926年」の「ヴァレーの谷よりの草案詩、またはささやかな葡萄酒の当たり年」をめぐるいくつかの草案・断片のひとつ、だそうで・・・・・・あああ、ややこしいなぁ。ぶつぶつ。。。ともあれ、「ドゥイノの悲歌」と「オルフォイスへのソネット」はリルケの晩年の最高の詩集となるための道のりは計りしれないものであったということは充分にわかってきます。


 付記
 「子供たちはその内に小さな死を、また大人は大きな死を。女は胎の中に、男は胸の裡にと。この自らの死というものは、いずれもみな持っていたのだ。」

 (マルテの手記より。)
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音楽に寄す  リルケ

2009-11-17 21:01:43 | Poem

音楽、それは彫像の息吹き。ひょっとして
絵画の静けさ。おまえ、言葉の終わるところにいる言葉よ。
おまえ、時間よ、消え失せる
心の方向に垂直に立つ時間よ。

おまえ、誰に向かってゆく感情?
なにに変わるのか?感情の変化?聴覚の風景にか。
おまえ、見知らぬものよ、音楽。私たちから抜けでて
成長した心の空間よ。私たちのもっとも誠実なもの、
私たちを乗り越えて 突き進んでゆくもの、――
聖なる別離――
内部が私たちを取りまくとき、
精通した遠みとして
大気の裏側としてあるものよ、
純粋に、
巨大に、
もう人の住めないところよ。  

 (完成詩・1906~1926年)より。


 河出書房新社の「リルケ全集・10巻」には、殆ど同じ時期に書かれた「草稿・断片詩篇・1906~1926年」という作品群もあります。混乱しないためにメモを書いておきます。この「音楽に寄す」は1918年に書かれています。
  
 さて、何故この詩を必死で(^^)探したのか?それはこの詩の最後の3行が「オルフォイスへのソネット第一部・13」の最後の3行・・・・・・


明澄に、めざめ、透きとおり、
二重の意味をもち、陽のように、大地のように、この世の生のものとなり、――
おお体験よ、感受よ、よろこびよ、――この巨大な!



・・・・・・に傾向を同じくする表現だと書かれていたからでした。「マルテの手記」のなかで、聴覚を失ったベートーヴェンの音楽を「宇宙のみが耐えうるものを宇宙に返却するもの」だと言い、大衆は「姦淫はするが、決して受胎することのない不妊の聴覚を持つ者」と言い、音楽を聴覚で楽しむものとしてとらえていないのでした。つまり音楽の沈黙の部分(静)をとらえるのだと。さらにマリー公爵夫人への手紙では、「音楽の裏側を呼び出すのだ。」とも書いています。


心の方向に垂直に立つ時間よ。


 この1行は、音楽を時間の流れのうえではなく、垂直に立つ時間のなかにおいて聴くことだという意味のようです。また同じく「完成詩」のなかにある、1913年に書かれた「鳩」という詩のなかでは・・・・・・


驚愕せよ私を、律動する憤激で、音楽よ!

だが聖堂の丸天井はおまえをオルガンの響きで満たそうと待ち受けている



と言う詩行があります。この時まだリルケは「音楽」を捉えかねて、苛立ってさえいたようでした。
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オルフォイスへのソネット第一部・21

2009-11-13 03:29:15 | Poem
春がまたやってきた。大地は
詩をおぼえた子供のよう。
たくさんの、おおたくさんの詩を。・・・・・・長かった勉強の
苦労のかわりに、ごほうびをもらうのだ。

彼女の先生はきびしかった。ぼくたちは
その年寄りの髯の白さが好きだった。
今こそ、緑は何か、青とは何か、と、
ぼくたちは訊いていい。彼女はできる、彼女はできるさ!

大地よ、休暇になった、しあわせな大地よ、さあ、
子供たちと遊ぶがいい。君をつかまえよう、
たのしげな大地よ。いちばん朗らかな子がつかまえる。

おお、先生が彼女に教えたことを、たくさんのことを、
木の根や、長い、むずかしい幹に
刷られた言葉を、――彼女は歌う、彼女は歌う。

 (生野幸吉訳)


春がまた訪れた。大地は
詩を知っている子供のようだ。
たくさんの、おお たくさんの詩・・・・・・長い勉強の
労苦にたいし彼女は賞をもらうのだ。

彼女の先生はきびしかった。ぼくらは
あの老人のひげの白が気にいっていた。
いまぼくらは あの緑 あの青が何なのかと
たずねてもいい。彼女にはできる、できるとも!

大地よ 春休の幸福な大地、さあ
子供らとともに遊ぼう。おまえはぼくらをつかまえたい、
愉しそうな大地よ。うまくつかまえるのは いちばん愉しい子。

おお 先生が彼女に教えたこと たくさんのこと、
そして根だの 長くてむずかしい幹に
刷られていること、彼女は歌う、それを彼女は歌う!

 (田口義弘訳)



 「彼女」とは「大地←ドイツ語では女性名詞ですね?」、「先生」とは「冬」のこと、「長かった勉強」とは、冬の厳しさを言っているのではないか?「髯の白さ」とは「雪」のことでしょうか。さらに「木の根」とは語根、語幹、または数学の「根」の意味もふくまれているようです。

 「緑」は春の大地、「青」は海の色を示しているが、この作品は「空=Himmel」という語を何度も繰り返しているので、青い空を思わないことは不可能なようです。

 取り急ぎここまで書いておきます。あとから追記いたします。

《追記》

 リルケのこのソネット全体を見ますと「色彩」が鮮やかに浮かび上がるという絵画的要素が少ないなかで、この厳しい冬に耐え、春を喜ぶ子供を通して、天地の色彩が生き生きと書かれています。「詩を知っている子供のようだ。」という率直な表現にも見られますように、詩人はこの歓びを言語化するために子供に混じりこんで、子供と一体となっています。そして「彼女」はいつの間にか「少女」ともなって、「冬の厳しさ」すら、振り返ればこの春の歓びを迎える過程だったのだと、子供のように気付くのですね。

 さらにこの1編は、「インゼル書店」に原稿が渡った後に、リルケ自身が入れ替えたということです。そこでこの詩のために抜きとられた1編とは「第一部・18」「第二部・10」に共通した性質が見られる「機械文明批判」のようです。
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青の物語・ジャン=ミッシェル・モルポア

2009-11-10 22:53:28 | Poem
 
 翻訳:有働薫
 ジャン=ミッシェル・モルポア:1952年フランス生まれ。


青の歴史を誰かが書くかもしれません。(リルケ)

そして人々は山々の頂きや、海の波、川のゆったりした流れ、大洋の循環、そして天体の運行を感嘆して眺め、自分自身を忘れてしまうのです。(聖アウグスティヌス)



 この上記の二文は、この詩集の扉にあたかも「予言」のように置かれています。「リルケ」の言葉は「クララ」に送った手紙の1節です。訳者の解説によれば、それに応えるかのようにジャン=ミッシェル・モルポアの「青の物語」は書かれたようです。このように時を越えた詩人の出会いがとても嬉しい。そしてこのようにして「詩」が引き継がれてゆくことも。この詩集は海と人間との絶え間ない対話なのだと思えます。そしてその「海」に青の言葉を捧げ続ける詩人の絶えることのない作業の連続であるように思えます。その作業はとても勤勉であり、大変美しく均衡のとれた言葉の構築でありました。そしてモルポアは「人間が生きる。」ということのすべてを書き尽くしてみようと試みたのではないか?とさえ思えます。(以下、抜粋&引用です。)


 *    *    *

海はわれらの内で文章を書こうとする。

この青のすべてが苦悩なしとは思うな。

空の本質は不思議なやさしさでできている。

明日という日は、こんなに野蛮な身振りをし、こんなに汗をかき、青白く期待をかける価値が十分あるのだから。

どこまでも青は逃亡する。

おまえは海に行き、おのれの憂愁で洗われる。/その青と折り合いをつける。

言葉はときおり身を投げる。

海の上に、長い斜めの縞になって降ってくる温かい、灰色の雨。ほんのお湿りほどの雨で、雨音は聞こえない。彼女は、雨を避ける場所を探しもせず、顔を雨に差しのべる。雨が静かなので、彼女は自分がここにいることを知り、感じる。彼女は言う――雨は彼女にみずからを捧げてくれ、あるいは彼女自身気づかなかったこの優しさを、単調で自由なこの落下運動を、そして哀しみで彼女から潮が退いていらい、もはや彼女のものではなくなっているこのような軽やかな波立ちを呼び戻してくれるのだと。(註:ここがエピローグです。)

 *    *    *


 リルケのソネットについて考える日々のなかで、大分以前に読んだこの詩集を思い出したのでした。しかし数年後にまたこの詩集を開く時、きっとわたくしは別の詩行を選ぶかもしれません。「青の物語」とはそのように永い時間を息づくであろうと思われる詩集なのです。

 モルポアの「青」とは、ラヴレターの色、エンマ・ボヴァリーが行きずりの行商人から買うリボンの色、あるいは彼女がルドルフとともに出発することを夢みた幌付二輪馬車の日除けの色、海の色、処女マリアの色、そして西洋的内面性のキー・カラーだとされる。


 (1999年・思潮社刊)
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速水御舟―日本画への挑戦

2009-11-07 01:29:57 | Art
 6日、AM:9:00~PM:5:00まで、我が高層住宅全体の給水管の工事となり、その間は断水という悪夢のような時間から逃げるため、美術展へ・・・・・・と言ったら失礼ですね(^^)。つまり「速水御舟」を観に行こうという予定をこの日に当てることにしたのです。千鳥ヶ淵から広尾に移転した「山種美術館」の柿落し(?)の美術展は「速水御舟」の138点の展示でした。絵画、屏風、掛け軸、未完のスケッチなどなど。



「炎舞」(1925年(大正14年)、山種美術館蔵、重要文化財)
軽井沢に滞在中、代表作の1つであるこの「炎舞」を完成させる。この絵のヒントとなったものはひどく単純なもので、庭で炊いていた焚火に蛾が集まってきたことによる。もう1つの特徴は、蛾がすべて背中(?)を見せていること。


「名樹散椿」(1929年(昭和4年)、山種美術館蔵、重要文化財)
京都市北区にある地蔵院の椿の老木を描いた作品。日本画にキュビズム的要素を取り入れた。




 速水 御舟「1894年(明治27年)~1935年(昭和10年)」は大正期~昭和初期の日本画家。東京浅草に生まれる。従来の日本画にはなかった徹底した写実、細密描写を目指す。これはいつの時代にもあること。
 「御舟」の号の由来は俵屋宗達の「源氏物語澪標関屋図屏風」の屏風に描かれた金銀の波上に浮かぶ「御舟=貴人の乗る舟」からとったもの。また、速い水に舟を御すという意味もあるようです。

  



 1930年(昭和5年)にはイタリア政府主催のローマ日本美術展覧会の美術使節として横山大観夫妻、大智勝観らと共に渡欧。ヨーロッパ各地及びエジプトを巡る。渡欧中、ジョットやエル・グレコに会う。このエジプト人を描いた絵に「埃及土人」と題したことには、いささかたじろぐが。。。

 帰国後も日本画の新しい表現方法を模索し続け、多くの美術家から日本画の将来の担い手として嘱望されたが1935年(昭和10年)腸チフスで急逝。未完の絵画は「婦女群像」だった。数人の女性たちの着物にはまだ模様が描かれていなかったのでした。かつて「京の舞妓・1920年(大正9年)」発表時はその細密すぎる描写が話題となり賛否両論を招き、横山大観からは酷評された。つまり「美人画」ではなかったからです。御舟はこの作品以降、人物画をずっと描かなかった。



 また、関東大震災では多くの美術品が犠牲になったが、御舟の作品も例外ではない。横山大観らに激賞された、初期の傑作の多くが地震によって遺失した。その上、御舟は早世でもあった。惜しまれた画家であった。
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