昨年夏に「さて、最期の詩集を。」と準備にかかった時に、私の日常は大きく方向転換をしてしまいました。
実は「最期」ではなかった。人生の最期とはなかなか手強いものです。
夫の相次ぐ入院、その入院中に私の骨折事件も。
やっと私の骨折が快方に向かい、どうやら日常生活がゆっくりと動き出した時には、夫の退院という、綱渡りの日々であった。
そこには病院の方々が、私の日常の負担を最大限に軽減するために、夫にはあらゆるリハビリが行われました。感謝します。
夫も頑張りました。そして助けてくれた子供たちに感謝します。
詩集をまとめる時期が大幅に遅れましたが、これが最期ではないようです。
人生は読みにくいものであった。
そして「最期」が見えない介護の日々がすでに始まっている。
受け入れ難いこの現実を次の一冊にするために、生きてゆこうと思う。
こう考えた時に、やっと重い空気が動き出したように思う。
死ぬまでに、最低2冊の詩集をつくるという計画は悪くないなぁ。
かつて、両親の介護と看取りをした、若くて元気だった私をもう一度呼び出しましょう。
(あの時にも、詩集を出した。)
詩にも。暮しにも。