ふくろう日記・別室

日々の備忘録です。

54年ぶりの早い初雪

2016-11-24 13:21:44 | Stroll
1962年(昭和37年 11月22日)から数えて、54年ぶりの初雪だそうです。
こちらはまだ降り続いています。









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気になる木、そして紅葉&黄葉。

2016-11-22 22:04:10 | Stroll
バスの窓から、なにやらピンク色の花が咲いている木がある。気になる。気になる。
一旦、家に帰ってから、バスの道を戻って、歩きながら、その花を探してみました。(暇人です。)





 「皇帝ダリア」でした。背が高い木でした。



 幹が竹のような形をしていました。それからさらに歩いて……。


 桜紅葉


 カツラの黄葉


 ケヤキの紅葉


 プラタナスの落葉


 松の木には、すでに……。

 季節はどんどん表情を変えてゆきます。




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太陽の帝国

2016-11-21 22:01:25 | Movie
日本版予告篇 / 太陽の帝国



原作
ジェームズ・グレアム・バラード(James Graham Ballard, 1930年11月15日 - 2009年4月19日)は、上海(中華民国)生まれのイギリスの小説家、SF作家。


彼の実体験をつづった半自伝的な長編小説を、スティーヴン・スピルバーグによって映画化され、1987年に公開されました。


日中戦争中の上海。イギリス租界で生まれ育ったイギリス人少年ジェイミー(通称ジム)は、日本の零戦に憧れる少年だった。
だが、1941年12月にマレー作戦を皮切りに日英間で開戦し、日本軍が上海のイギリス租界を制圧した際に、避難民の大混乱のなかで両親とはぐれる。

独りぼっちになった少年は、生き抜くために空き巣・泥棒などの悪事を重ねるが日本軍に捕えられ、蘇州の収容所へ送られる。
無邪気な、飛行機好きの少年が戦争のもたらす現実に翻弄されながらも、健気に、時にはずる賢く(?)生き抜こうとする姿を活写している。

米空軍ムスタングが収容所を急襲し、戦争は終結へと向かう。
さらに、東の上空に美しい閃光が走った。それは長崎に落とされた原爆の光だった。戦争は終わった。

やがてジムは戦災孤児の集まる施設で両親と数年ぶりの再会をする。
たくましい少年となったジムに新たな生活が始まったのだが、心と体に負った傷は癒される時はいつか?
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映画 「秋の理由」 福間健二監督

2016-11-17 14:18:46 | Movie
【映画 予告編】 秋の理由




2000年に出版された福間健二氏の詩集「秋の理由」の言葉たちが、映像のなかに時々落葉する。詩人である福間健二氏の独自の映画作法のように思える。
この映画は、福間監督作品のなかで、私は一番好きだなぁ。K’s cinemaにて16日に。

声が出ない作家が書けなくなる。(演じた俳優さんは、現実にも声が出ない。)
編集者は本をつくることができない。
初老を迎えた二人の男が、互いの才能を認め合いながら、最も不幸な関係に陥ってゆく。
その男たちの間で揺れる、作家の妻。
そして、妖精のように大きな樹の後から突然現れる、愛らしい女性。魔法の粉を振りまくように、大人たちの世界に、ささやかな奇跡を起こす。

人生の秋をどうやらくぐり抜けて、死も退けて、ラスト・ランに向かう男たち。
人生はさらに続く。「ぼくはまだ黒い芯を昂ぶらせている」と。



   ゆるされたと思うのは錯覚だが
   この世界はいい匂いがする
   自分の力でわかったことも少しはある
   旅をして
   長い列のうしろに並んで
   キンモクセイの坂道の下
   わたしは
   顔や手に粘りつく暗示を洗いおとして
   誰かが泣いているために
   秋が来たわけではないことを知った

     (秋の理由より。最終連。)



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14歳〈フォーティーン〉 満洲開拓村からの帰還

2016-11-09 15:54:50 | Book



ノンフィクション作家「澤地久枝・1930年9月3日生まれ」の記憶による、少女時代の自伝である。4歳の時、建築技師だった父親の仕事の関係で家族とともに満州へ移住。1945年、吉林で敗戦を迎え1年間の難民生活の後に日本に引き揚げるまでの記録です。

戦後70年、澤地久枝の弟の孫が14歳になった時にこれは書きはじめられた。しかし14歳だった頃の彼女自身が、70年前の歴史をきちんと把握していなかったことも思う。その揺らぎのなかで、彼女は「書く」という方向を選んだ。

この本を読み終えて、何気なく「奥の細道」を開いた。(突然の展開で申し訳ない。)

行く春や鳥啼き魚の目は涙

耳慣れた芭蕉の句が、突然別の景色に変わった。引揚船の風景である。乗船する前に死んでしまった人もいたのだ。葫芦島に着いてからも待たされる難民の方々。そして、乗船できた引揚船のなかでも人は死ぬ。死んだ赤子は水葬に付される。(これは澤地さんの本には書かれていません。念の為。)共に身を投げようとした母親を男たちが引き留める。狂い泣く母親。海では誰が泣いてくれるのだろう?
私の内で、見えない糸がほつれながら伸びてきて、海の鳥が啼いて、魚の目が涙を流すのだと、私の脳内に巻き付いてきた。そこから次々と芭蕉の句が立ち上がる。

一つ家に遊女も寝たり萩と月

蚤虱馬の尿する枕もと

そこに「遊女」はいなかったと思うけれど、内地へ強制送還(引揚)されることになった在満日本人は、住み慣れた自宅を出され、指定された場所に収容される。それぞれの異なる生き方をしていた人々が、狭さと不衛生とに耐えながら、引揚の時を待つ日々。

しかし、14歳の筆者が1か月滞在した(授業の一環として。)満蒙開拓の方々の生活は、これに同じであった。帰宅した少女は、まず母親にお風呂に入れられ、頭のなかの虱退治をされた。1か月間入浴しなかったし、泥まみれになって農業に従事してきたのだった。満蒙開拓の男たちはほとんどが召集されていたから。

ヘンな展開になったことをお許し願いたい。
澤地久枝氏がこういう展開を願ってはいないだろうと思うと申し訳ない。

哈爾浜で生まれ、敗戦後は父の判断で新京に移住。そしてほぼ筆者と同じ時期に2歳で葫芦島から一家で引き揚げてきた私である。父母の思い出話はすべてではないし、2人の姉はわずかな記憶があるらしいのだが、私は内地の記憶しかない。そのために私は、こうした本を読み続けるしかない。澤地氏の弟さんのお孫さんに語り伝える術もないのだ。

(2015年 集英社新書 第一刷)
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今日の夕暮れ&夕月

2016-11-06 21:53:58 | Stroll


秋空らしい色になってきましたね。





今日の夕月です。
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戦地の図書館 海を越えた一億四千万冊

2016-11-04 16:08:56 | Book
 

モリー・グプティル・マニング

翻訳 松尾恭子

1933年、ナチス・ドイツは、ベルリンにおいて、大々的な焚書を行なった。
その中に、「ハイネ」の書籍も含まれていた。しかし、人々の「ローレライ」の記憶は消せない。そのためナチスは「全体主義らしい丁重さで……ハイネの名前を抹消し、歌だけ残した。」という。数え切れないほどの書物が焼かれ、1935年、ヒットラーの「我が闘争」のみが兵士の書物とされた。

それに対して、アメリカの図書館活動は戦場の兵士たちに、本を送ることを始める。筆舌につくしがたい戦うばかりの兵士の日々を、もっと人間らしくいきられるようにとの願いをこめて。
始めは本の寄付を呼びかけ、出版社には兵士のための本を依頼し、その協力は大きな力となった。しかし、紙がない。「戦時図書審議会」が組織されて、「兵隊文庫」と呼ばれる本が量産された。それは小型のペーパーバックだったが、移動の多い兵士の尻ポケットにも入るという、大きな利点があった。本の選択は発禁本にもおよび、兵士の要望にも応えたために、兵士からの感謝の手紙が届くようになる。時には作者が返事を書いた。

しかし、政治の世界には「本の規制」が動き出すが、ルーズベルト四選により、その危機をまぬがれた。(1944年11月4期目。しかし1945年春に死去。)その後間もなくヒトラーが自殺。1945年には日本の敗戦である。

その後もアメリカの戦争は終わらない。「兵隊文庫」の活動は弛まず続けられた。しかし、兵士たちが軍隊から帰国する時はきたが、陸海軍の大幅な縮小にすぎない。それでも予算縮小しながら続けて、1947年9月に「兵隊文庫」プロジェクトは終了した。

さて次は、帰還した兵士たちの就職や進学の問題が待っている。この本では、「兵隊文庫」によって学んだ兵士たちは、順調にそれぞれの生き方をしているように書かれていたが、果たしてそれは本当だろうか?

むしろ、私が納得したのは、アメリカの軍隊の規模の大きさと強さは、そうした国による兵士への待遇によるものだったのか、と思う。日本人が「天皇」と「神風」を信じて、脇目もふらずに戦争に邁進したのとは、根本的に違う発想だった。

しかし、戦争によって兵士が心を病むことを「兵隊文庫」だけで救えたとは、到底かんがえられない。そのことについては、一切触れていない本であった。ナチス・ドイツの「焚書」の数より、アメリカの「兵隊文庫」の数が上回ったことが強調されていました。

「兵隊文庫」のなかには、その後長く読み継がれたものも当然あった。
たとえば、F・スコット・フィッツジェラルドが1925年に発表した「グレート・ギャッツビー」は、作者の存命中は「失敗作」とみなされていたが、「兵隊文庫」となって、兵士の心をつかんだ。そして本土の人々も読むようになって、アメリカを代表する作品となった。どうやらこの日本語訳をしたのは2006年「村上春樹」だった。
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