ふくろう日記・別室

日々の備忘録です。

人生の冬はそれほど甘くはない。

2012-07-18 22:02:31 | Mama


老親の介護をしていた時代、私がほとんど孤立無援だったことは、今でも忘れない。
2人の姉がいながら、私1人で95%は引き受けた。
70%専業主婦だった私に、仕事のある姉たちが甘えたことは事実。私は仕事をすべて辞めた。
時々、そのころの事を言うと、聞き手の返事はいつでもこうだった。

「1人で抱え込むから、そのようなトラブルが発生するのだ。
公的支援に依頼すれば、そういうトラブルはなかった。」
両親と独身の姉を看取った後で「ごくろうさん」はなかったし、
「こっちだって主婦のいない生活は大変だったんだよ。」と。
それはわかる。家族に申し訳ないとは思う。しかし君たちは健康だったじゃないか。

しかし、ショートスティを引きうけて下さる施設の介護はあまりにもお粗末。
入浴は週2回、食事はまずい。徘徊がひどいご老人は車椅子にしばりつけられていた。
そのような状況の仲間として、そこに身を置くとなれば、
認知症の母はともかく、末期癌の父は尊厳をひどく傷つけられる。
そんな施設にいることは、認知症を悪化させるし、父はひどく嫌がった。
それでも、わたしの体力が限界にくると、それを頼るしかない。

そして、父の癌はだんだんひどくなる。最後の入院となった。
その時、順番待ちをしていた老人ホームが偶然に入所可能になった。母を急場しのぎに預けるしかない。
迎えに来て下さったホームの方の最初の科白には驚いた。
「今後はすべて施設のやり方に従っていただきます。わかりましたか?」
認知症の母はおびえていた。
その時、私について来て下さったのは、高校時代からの友人だった。姉は来ない。
ホームの方に「その言い方はなんですか!」と抗議して下さったのは、その友人だった。

それから10日で父は逝った。
その2か月後に姉の「死の宣告」…癌の再発、もう手の施しようがないとのこと。
また母をホームから出してやることができない。
そして父の死の半年後に姉も逝った。
状況が落ち着いたら、母を迎えて一緒に暮らしたかった。
しかし、ホームにいる間に母の認知症は急速に進んでいた。

それでも、面会に行って私が玄関を出ると、母は泣きながら走って追ってきた。
戻ろうとする私に、いつも一緒にきて下さった友は「今は我慢しなさい。」と…。
家で暮らすことができたら、認知症はここまで進むことはなかったと今でも思う。
それでも母を引き取りたかった。
しかし、それを反対された。「今度はお前が狂うぞ。」これが同居人の意見。
そして母は施設で心不全で突然の死。間に合わなかった。

公的機関が、入所者さんのそれぞれの人格を考えてはいない。
個人の力でなんとかなるのなら、私は自分の両親や姉の介護を自分の力で乗り切りたかった。
お粗末な公的機関の実態がどうなのか?以下が今の現状です。安心できるものとは程遠い。
しかも、わたしが介護していた時より、さらにひどい。

「介護保険制度」

だから国をあげて、成人病の予防とか、老人の健康管理の情報ばかりを流布する。
これで健康で長生きしたところで、老人が幸せになれるわけではない。
国が「介護保険制度」のお粗末さに気付くわけではない。

この制度を利用することを安心だと思う人はそう思っていてもいいけれどね。
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モンスター・ママ(メモ9) 子ども

2012-03-16 22:51:24 | Mama


吉本隆明氏がご逝去。
今の日本の大きな思想の支柱を失ったという思いが深い。
あらゆる分野に、柔軟で自然体のお考えをお持ちだったと思う。

その1つをここにリンクしておきます。

「ほぼ日刊イトイ新聞・日本の子ども・吉本隆明×糸井重里」

わたくしが余計なことを書かない方がいいようです。
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モンスター・ママ(メモ8) 姥捨て

2012-02-24 22:40:07 | Mama


先の映画「楢山節考」と「デンデラ」を紹介したことには実はわけがある。それについて少々記してみます。
「楢山節考」に共通することは、70歳になると男女共に、山奥に捨てられるという村の規律があった。これは「死」を意味する。
「デンデラ」の場合は女性のみが捨てられる。しかしこの映画の場合は「捨てられた」というところから
物語ははじまる。その後実は「死」ではなく老女たちが逞しく山の中で集団で生きたという物語です。
「姥捨て」はもちろん貧しさのためである。

「楢山節考」で最もわたくしが魅かれたことは2つあります。
「おりん」が70歳の「姥捨て」を迎える時が来ても、歯が丈夫な自分と「食べられる身」を恥じるというところ。
そのために、石臼の縁に自分の前歯を打ちつけてしまう、鬼気せまるシーンがある。
さらにそれに関連して、息子に背負われて山へ行くことを想定すれば、自分は痩せていた方がよいという思いやり。
そして「姥捨て」の前夜、粗末な家の破れ障子を、ありあわせの紙で塞ぎ、古びた床をみがいていたおりん。

この「おりん」を演じた「田中絹代」と「坂本スミ子」は、お2人ともこの役のために本当に歯を抜いたという。
こちらもすごいお話です。

さらに山の中で、なるべく眠るように早く死ねるために、山に雪が降りはじめる日を選ぶおりん。
息子の苦悩を先取りするように、おりんは着々と事をはこぶ。

これは過去の歴史のなかでの物語ではない。
現代版「楢山節考」と「デンデラ」は形を変えながら、人間の根底にあるということだ。
老いても、人間の生きようとする意志。死の準備をする意志。どちらを選ぶか?
現代の老人の周囲は「殺意」や「悪意」すらある時代です。
それは貧しさのためではない。何のため?それを言葉にもしたくはない。

あらゆる反感や侮辱を買おうとも、わたくしは「おりん」を生きたい。


「うばすてやま」は諸説あります。
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モンスター・ママ(メモ7) アンチ・フェミニズム??

2012-02-15 00:51:43 | Mama


フェミニズムとは、女性の社会的、政治的、法律的、性的、経済的な自己決定権を主張し、男性支配的な文明と社会を批判し、改正しようとする思想運動。
19世紀から20世紀初頭の欧米諸国を中心とする女性参政権運動の盛り上がりを第一波、
1960年代以後の「ウーマン・リブ」に代表される動きを第二波と区別することが多いようです。

「青鞜」は、上記のほぼ第一波に当るのでしょうか?
それは1911年(明治44年)から1916年(大正5年)にかけて発行された女性だけによる文学誌です。
当時の家父長制度から女性を解放するという思想のもとに、平塚らいてうが創刊。誌名は生田長江の命名。
当時のヨーロッパで知的な女性達がはいていた靴下が青かったことから「ブルー・ストッキング」と呼ばれたことに由来する。

同誌第1巻第1号に平塚が著した「元始、女性は太陽であつた。」という創刊の辞は、日本における婦人解放の宣言として注目され、多大な影響を及ぼしました。
1913年4月、文部省の提唱する「良妻賢母」の理念にそぐわないとの理由により、発禁処分を受けました。
1915年1月号より、発行人が平塚から伊藤野枝に交替。1916年2月に無期休刊となりました。


この重い歴史に反論するつもりは全くないのですが、これによって「家の外で働く女性」の歴史の基礎が築かれたのだろうと思います。
ここからは打ち寄せる波のごとく、女性運動は拡大、拡散してゆくことになりますね。その流れはどこまで行くのやら。。。

わたくし自身は、この流れにおかまいなく、「外で働かない女性」を生きてきました。
育児、家事、老親の看取り、これは重い労働でありながら、社会的評価は低い。
「最初」の育児、最後の「老親問題」は、まず働く女性には出来ない。
子供を持った働く女性は、身内の援助や、「育児」の賃金をどこぞに支払って、「育児」負担を減らしただけにすぎない。
「老親問題」は「仕事が休めない。」という理由で免除されてきた。(←誰に?)こうして「外で働かない女性」が担ってきた役割は大きい。

お次は「まごまご問題」です。こういう時代の若い母親の育児期間の憂鬱は、深刻な社会問題です。
これをなんとか助けるのは、またまた「外で働かない女性」の新たな仕事となるわけですね。なんとまぁ。充実した人生でしょう♪
それでも、世の中では「働く女性」は、それだけで世間からは高い評価を受けるのですよ。ごくろうさまです。乞う反論(^^)。

詩を書いている者には市民権がないのです。(←深刻なジョーク。笑。)
これはさておき。
「青鞜」に始まった「女性解放」の思想は、あまりにも拡散してしまったという感覚がわたくしには拭えないのです。
そしてその素朴な出発点がなんであったのか、それを継承しているのか?という疑問もあるのです。
「女性」であることが生きる上での「武器?」にもなる、ということもあります。これも含めて今の若い女性は本当に自立できているのか?
「自由・平等」をはきちがえていないか?という老婆心が拭いきれないのです。

また、「外で働く女性」=多忙&困難。「外で働かない女性」=有閑。と言う単純な世の図式に立腹しているのです。専業主婦が担ってきたものは大きいのです。
大分前の、ありふれたテレビドラマでしたが、そのなかで娘が母親に「いつも感謝しているのよ。」という言葉に対して、
「トイレにいつも花を欠かさなかったことに気付いていた?」という母親の質問に娘は絶句します。それは奇妙にいつまでもわたくしのなかに残りました。

三十年以上の主婦人生を総括することは困難なことです。
なんとかきちんとまとめたいのですが、申し訳ありません。
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モンスター・ママ(メモ6) 老親介護

2012-02-03 13:58:09 | Mama


すでに父母と姉(56歳で逝去)がなくなってから10年以上の歳月が流れた。
姉の死は想定外の出来事だったわけで、その友人たちの多くはお元気でいらっしゃることでせう。
3人姉妹の末っ子でありながら、何故か「老親介護」のすべてをわたくしが背負った。
何故かと言えば、わたくしが「主婦」であり、姉たちはそれぞれに「仕事」なるものがあったから。
簡単な道理ではあるが、そのことに今さら不満はない。
老親介護の体験は無駄なものは何もなかった。たくさんの両親との最後の思い出も共有できたのですから。
別の面から見たら「苦労」と思い、そこから遠い位置にいた人間の方がはるかに寂しいのでは?

しかし、1人で老親介護にあたっているわたくしを見て、「親子関係が悪かったのですか?」と訊ねた方がいました。
死んだ姉もソーシャル・ケースワーカーでしたが、それを訊ねた方も病院のケースワーカーでした。
「何故、そのような質問をなさるのですか?我々親子は普通でしたけれど…。」
「統計から推定すると、老親看護を熱心にやる方は過去において親子関係が不幸だったケースが多いのですので。」

ああ、そうですか。それで「ケースワーカー」と言われるのですね?
残念ながら、そのケースにはあてはまりませんです。
80歳を過ぎた両親の2人暮らしに手を差し伸べるのに、理由がいりますか?
そこから約8年、負担は徐々に重くなってきましたが、相変わらず仕事をする方は仕事をします。
主婦はまだ元気な夫と、もう大人と言ってもいい子供たちを放り出して、
主婦から老親看護人になりました。父が逝き、その半年後に姉が逝き、その次に母を見送りました。

人が死ぬとお祭りです。良くも悪くも…。
あれよあれよと言う間に遠ざかっていた方々が集まります。看護人は沈黙するのみ。

ただそれだけのことでした。


それにしても、ケースワーカーもお仕事です。
よそさまの人生のアドバイサーをなさっていれば、当然自分の肉親を看ていらっしゃる中心人物は
他にいらっしゃるわけですよね?
その矛盾と向き合いなさい、などとは申しませんが、ケースで人間をくくるのはいかがなものか?
自分が不幸な子供だったなどと思ったこともない人間を、わざわざ不幸なケースにくくらないで下さい。

気持のうごくままに、やっただけ。ただそれだけのことでした。


「河辺の家」

「川のある町」

「春がくると」

「幻の酒」
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モンスター・ママ(メモ5) ゆずり葉

2012-01-29 23:41:10 | Mama


人間の三歳までの記憶は確かなものではないだろう。
祖父母や父母が長い時間をかけて語り続けた物語のなかで、わたくしの3歳までの記憶は確かな形として支えられてきたのではないだろうか。
それほどに大人たちが語り続けたことの意味が、今のわたくしにははっきりとわかる。
3歳になってから、やっと歩き出したわたくしが一家にとっての戦後の復興の具体的な形であったということだ。
歩きはじめた小さないのちは、きっと家族の希望の形をしていたはずだ。
この思いに何度も帰りながら、わたくしはとにかくここまで生きてきたようだ。

4年前、息子のところに第1子が産まれた。娘と共に病院に会いに行く。
初対面を果たして、娘と息子と三人でイタリア・レストランにて、早々の、即席のワイン付きの祝宴となった。
このメンバーで話す機会もおそらく長い間なかったことだ。

息子は父に、娘は伯母になったわけだ。その娘の話を聞きながら胸があつくなった。
娘曰く「大人になってから、双方のおじいちゃん、おばあちゃん、それからおばちゃん(わたくしの姉。56歳で亡くなった。)と、
わたしを可愛がってくれた人たちを失うばっかりだった。
人間はみんなこうしていなくなってしまうのだと思っていたの。でも甥っ子と対面して、やっとその思いから開放された。
このようにあたらしいいのちの誕生があるのね。」と。。。


  ちちははを送りしのちの春の児よ    昭子


この↓「河井酔茗」の詩は、娘の小学校の国語の教科書に載っていたものです。覚えているだろうか?


ゆずり葉   河井酔茗

子供たちよ。
これはゆずり葉の木です。
このゆずり葉は
新しい葉が出来ると
入り代わって古い葉が落ちてしまうのです。

こんなに厚い葉
こんなに大きい葉でも
新しい葉が出来ると無造作に落ちる
新しい葉にいのちをゆずってー

子供たちよ
お前たちは何をほしがらないでも
すべてのものがお前たちにゆずられるのです
太陽のめぐるかぎり
ゆずられるものは絶えません。

かがやける大都会も
そっくりお前たちがゆずり受けるのです。
読みきれないほどの書物も
幸福なる子供たちよ
お前たちの手はまだ小さいけれどー。

世のお父さん、お母さんたちは
何一つ持ってゆかない。
みんなお前たちにゆずってゆくために
いのちあるもの、よいもの、美しいものを、
一生懸命に造っています。

今、お前たちは気が付かないけれど
ひとりでにいのちは延びる。
鳥のようにうたい、花のように笑っている間に
気が付いてきます。

そしたら子供たちよ。
もう一度ゆずり葉の木の下に立って
ゆずり葉を見るときが来るでしょう。
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モンスター・ママ(メモ4) 子供の減少

2012-01-29 22:59:05 | Mama


住宅街の歴史を振り返ると、そこにはほぼ3代で高齢化が始まり過疎化がはじまるような気がします。

その例が我が故郷にもありました。
祖父母と父母、子供の3代で暮らした家も、最後は父母だけとなり、
父母亡き後は、我々(かつて子供だった。)が最後には処分しました。
住む次世代がいないことによる、住宅街の高齢化です。
我々が通った小学校が廃校になって、子供のいない世界になったということです。

もう1つの例が、夫の実家にも起きました。
誰も住まない実家が残され、解体費用だけで手放した。
自然保護の名のもと、その山村は人口が増えない。
跡取りがいれば存続するが、その跡取りのほとんどは
定年退職した者、早めにリタイアした者であって、その子供たちは
大学や仕事でその土地には住まない。

それは故郷の過去の話ではおわらない。
我々が今住んでいるところも高齢化が進んでいます。
我が子が中学時代には、広大な高層マンション街が新たに開発されて、
子供の人数が急増して小学校と中学校が新設されました。
その20年後には、新設された小学校と中学校が閉鎖。
さらに我々の地域でも、来春に向けて小学校の統合と廃校が行われようとしています。

ご近所の、多分わたくしより年長と思われるご婦人の推察によれば。
今の若いご夫婦は生活レベルが我々の世代よりも上昇志向にあって、
家族の生活費、子供の教育費などなど、すべてに膨大な費用がかかる。
そのためには、子供を少なく育てるのではないか?ということ。
さらに、結婚を望まない若者も増えています。

先日、5人のお子さんを車から降ろしているお母さんを見ました。見惚れました!
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モンスター・ママ(メモ3)男性は仕事、女性は家庭

2012-01-09 13:34:25 | Mama


「男性は仕事、女性は家庭」 両立モデル不在か?

「男性は仕事、女性は家庭」と考える20代女性が増えている背景や要因を突き詰めようと、滋賀県が調査に乗り出した。
このほど若者を対象にしたアンケートを実施、仕事も家庭も両立している手本となる人の有無が影響しているかどうかなど、詳しい分析を進めている。

県の調査で、「男性は仕事をし、女性は家庭を守る」という考え方に肯定的な20代女性は2005年に23・1%、06年は29・8%、09年は38・2%と
増加傾向にある。国の調査でも同様の傾向がみられ、県の男女共同参画審議会で調査を始めた。

アンケートは昨年10月に実施し、県内20代の男女約560人(女性6割、男性4割)から回答を得て、中間報告をまとめた。

「男性は仕事、女性は家庭」との考え方に肯定的だった女性は33・1%。理由として、「子どもの成長にとって良い」が29・1%と最も多く、
「役割分担した方が効率が良い」「自分の家庭がそうだったから」と続いた。
子どもが小さいときは「保育園などに預けず、母親が面倒を見るべき」とした女性は33・9%だった。

また、「男は仕事、女性は家庭」とした女性のうち、仕事と家庭を両立し、社会で活躍するため手本となる人がいると答えた人は27・7%。
いないと答えた人は46・2%で、いる人よりも割合が高かった。
県男女共同参画課は「手本となる人の有無などが影響していると見ているが、より詳細に評価、分析を進めたい」としている。今年3月ごろに検討結果案をまとめる。

京都新聞より。

無断コピペ、お許しください。新聞記事はいずれリンク切れになるゆえ。
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モンスター・ママ(メモ2) やさしい虐待

2011-12-16 16:51:52 | Mama


15日、NHK「クローズアップ現代」において下記の内容が放送されました。

「やさしい虐待 ~良い子の異変の陰で~」

「やさしい"虐待……子育てについて考えてみませんか?」


このカテゴリーは、もしかしたらわたくしの遺言かもしれない。
(子供や孫が読んでいるのかどうか?知らないけどね♪)まぁ。思いつくまま(ママ?)にメモしておこう。


かつては「母原病」という言葉もあった。
母親のみが子供へ多大な影響を与えるわけではないし、しかし男は仕事、女は家を守るというかつての常識のなかで生まれた言葉か?
ならば「一族原病」である。


まずは、自分の忘れられない経験から記す。
子供を家庭の外に預ける時(この時代、我が子は4歳から幼稚園。仕事をするお母さんは0歳児から保育所。)
我が子を濁流に投げ込むような心境だった。できることなら行かせたくない。
しかし、これから善きにつけ悪しきにつけ、広い世界が待っている。その広さは母親にはない。
ならば、目をつむり幸運を祈って送り出すのみ。
母親が手を貸さずに、自分のことをできるように準備した。
大したことではない。ボタンをかけられること。トイレを一人でできること。自分の名前が読めること。

子供が、幼稚園、小学校、高校あたりまでの時期に、わたくしは否応なく母親集団のなかにあった。
そこはすさまじい熱気に満ちた世界だった。
日本の経済状態が、かなり楽観できる時代であったせいか、一億中流の時期であった。
どの子供にも、等しく望む教育を受けられる時代でもあった。
するとどうなるか?

算数の不得意な子供は「そろばん塾←まだ、こんなものがあった!」へ。
水泳授業についてゆけない子供は「スイミング・スクール」へ。
先手をとって「英会話スクール」へ。
後はなんだっけ???

のんびり構えているわたくしは「それでいいの?」とまで言われた。
いいのです。所詮わたくしと夫の血を分けた子供……その程度なのですから。
子供からの望みで、それぞれに「ピアノ」と「スポーツチーム」だけ。
水泳もスキーも家族で遊びながら教えた。

「子育ての外部委託」と密かに思っていた。
「あなたたちは競争馬を育てているのですか?」とも……。

さて、子供は小学校へ。
ここでわたくしはちょっとばかり張り切りすぎた(^^)。
学校から帰った子供に「ランドセルをきちんといつもの場所に置きなさい。」
「遊んで帰ってきたら、すぐに宿題を。」などなど何カ条かの約束事を繰り返した。
子供は答える。「ママ、覚えきれないから紙に書いておいて。」グッ!

ここで目が覚めた。子供はすごい!君たちは正しい!

「クローズアップ現代」で紹介していた、毎日の「母子交換日記」ですと?
会話すればいいじゃないか!子供を叱るとともに子供に叱られるママになれ!
「いい子」ってなんだ?どの子も「いい子」なんだよ。母親の勝手な基準が子供を苦しめるだけだよ!

暴言多謝。
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モンスター・ママ(メモ1)

2011-12-06 21:03:32 | Mama
こういうことは、このブログには書かないという姿勢を通してきました。
しかし、幼い孫が家庭から教育機関へと世界を広げる時がきて、
我が子の育児に翻弄されていた若い時代を反省しつつ、懐かしい思いもあります。
そして、戦時を潜り抜けた我が母がどのようにしてわたくしを育てて下さったのか。
そして祖母のやさしい思い出などがどっと押し寄せてきました。
その流れのなかで、思い付いたり、思いだしたりしたものを書いてゆきたいと思います。
よって、新しいカテゴリーの「Mama」を設けました。


(ミレイ・はじめての説教)


さて「モンスター・ママ」とはなにか?
たとえば、大学生の息子が「毎日真面目に通学しているか?」と大学に問い合わせをするママ。
子供たちは幼稚園入園から家庭の外へ世界を作る。
そこからは、母親と教師の役割は分けられる。(あるいは家庭と外部教育機関に)。

その分担の境界線を乗り越えて、どこまでも我が子を追い続けるママ。
そのママに反抗もできない大人子供!
そういうママに対応すべく、教師たちも作戦をたてる。

たとえば、幼稚園での先生のママたちへの対応の1つ。
A君が悪気もなく、Bちゃんに飛びついてしまってBちゃんが軽い怪我をする。
先生は当然注意をするのだが、そのあとでA君のママに連絡。
A君のママはBちゃんのママに連絡と謝罪。

「モンスター・ママ」が教育機関へ文句を言ってくる前に手を打つ教師たち。
これらが「モンスター・ママ」への対応策である。(←責任逃れとも言う。)

こうして、モンスター・ママがどんどん増殖する。
その源を辿れば(どこまで辿ろうか?)ママのママ、そのまたママに???

(つづく)
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