ふくろう日記・別室

日々の備忘録です。

モンド  ル・クレジオ

2009-10-30 02:23:23 | Book

翻訳:豊崎光一・佐藤領時


 この物語は「海を見たことがなかった少年・モンドほか子供たちの物語」に収められた8編の物語のなかの最初に置かれた1編です。

 モンドは不思議な浮浪児でした。どこからこの南仏(多分・・・ここには地名が書いてありません。)の小さな海辺の町に来たのかを誰も知りません。町の人々が知っていることは「モンド」という名前と、気に入った人に遭った時には「僕を養子にしてくれませんか?」と挨拶することでした。この挨拶に人々が驚く表情を見せる前に、モンドはもうそこにはいませんでした。

 モンドが1番恐れていたことは「シアパカン」の灰色の小型トラックでした。これは浮浪者を収容して、更生させるという名目で施設に閉じ込めるのでした。モンドはこの物語の瀬戸際まで、見事に逃げきっていました。朝の市場では荷物を降ろす手伝いをして、わずかなお金と食べ物をもらえましたし、届け物をすればそこでお駄賃のパンやお菓子ももらえました。友達はたくさんいました。遊びもたくさんありました。あたたかい土地でしたので、眠る場所はどこにでもありました。

 1番好きな場所は海辺。毎日釣りをしているおじさんと仲良しになって、いつかあんな船に乗って海に出ようと約束したり・・・・・・もちろん実現はしません。また砂浜のお掃除をするおじいさんに「字」を教えてもらいます。砂浜の平たい石を集めて、そこにおじいさんはナイフでアルファベットを刻みこみ、それを並べて教えたのでした。その教え方はわくわくするような文字の短い物語があったのでした。全部書いてみませう。(←ヒマだなぁ・・・。)しかしこの物語の中で1番いいところ、1行の詩のようです。


A・・・2枚の羽根を後ろに折りたたんだ大きな蝿。
B・・・お腹が2つある、おかしなヤツ。
C・・・三日月
D・・・半月
E・・・熊手
F・・・シャベル
G・・・肘掛椅子に腰掛けた太った人。
H・・・高い樹や家の屋根にのぼる梯子。
I・・・爪先で踊り、飛び上がるたびに小さな頭が胴体から離れる。
J・・・バランスをとって体を揺らせている。
K・・・老人みたいに折れ曲がっている。
L・・・川岸に立っている木。
M・・・山。
N・・・名前(ノン)のためで、人々が挨拶している。
O・・・満月
P・・・片足で立って、眠っている。
Q・・・尻尾の上に坐っている。
R・・・兵士のように大股で歩く。
S・・・いつだって蛇。
T・・・きれいな船のマスト。
U・・・花瓶。
V&W・・・鳥たちが飛んでいる。
X・・・十字架。
Y・・・両腕を上げて立っており、「助けてくれ!」と叫んでいる。
Z・・・いつだって稲妻。


 そして「MONDO」は、山があって、お月さまがあって、三日月(これは半月の間違いではないか?)に挨拶する人がいて、それからまたお月さま・・・たくさんのお月さまのいる名前となって、モンドをおおいに喜ばせた。「MARCEL」は、山で生まれ、前世は蝿で、元兵士で、三日月の夜に生まれて、今は熊手で砂浜のお掃除をしていて、死んだら川辺の木になるというおじいさんの名前だった。ああ、楽しい♪

 モンドが母親のように1番大切に思う小さな老女は、ベトナム人の「ティ・シン」でした。しかしモンドはどうしたわけか「僕を養子にしてくれませんか?」とは言わない。一定の距離を置きながら彼女を大事に思っていた。彼女も同じ思いだったが、モンドはついに「シアパカン」に捕まる。「ティ・シン」の願いはモンドを今度こそ引き取るつもりであったけれど、モンドは脱走して、そのままその町から姿を消しました。彼女の庭に文字石のメッセージを残して。

 いつまでも たくさん

  *   *   *

 ル・クレジオの初期作品は明確な輪郭を示しているのですが、かなり込み入った構文やイメージをそなえた、濃密で難解な文章が多い作家です。それが彼の自然な文体とするなら、この子供を主人公とした作品群は、ル・クレジオが意識的に獲得した文章だということになります。しかしわたくしとしては、これで「ル・クレジオ」に一歩近づけたという安堵感がありました。感謝したい気持です。


 (1988年・第6刷・集英社刊)

オルフォイスへのソネット第二部・5・・・アネモネ

2009-10-28 21:54:23 | Poem
       

アネモネの 草地の朝をつぎつぎに
開いてゆく 花の筋肉、
やがてこの花の胎内に高らかな
天空の多声の光が注ぎこむまで。

静かな星形の花のなかで限りない
受容のために張りつめている筋肉
時としてはあまりの充実に圧倒され、
日没が発する憩いへの合図さえ

その反りかえった花びらをおまえに
もどすことができぬかのよう――
おまえは なんと多くの世界の決意にして力!

私たち 荒らかなこの私たちは、もっと長く生きるだろう。
けれども いつ あらゆる生のうちのどのなかで
私たちはついに開いているもの 受け容れるものなのか?

 (田口義弘訳)


花の筋肉よ、牧場の朝をつぎつぎに
ひらいてゆくアネモネの筋肉よ、
やがてその花のふところに、高らかに鳴る天の
多声の光がそそぎこむまで。

ひかりは、筋肉を張りひろげ
限りなく受容するしずかな星形の花にそそぎ、
ときとしてアネモネは、あまりの充実に圧倒せられ、
落日の、憩えよという合図すら、

はじけたように反りかえる花びらの先端を
もとにもどしてやることもできないほど。
なんという、多くの世界の決意、力であるおまえよ!

力ずくのわれわれは、おまえよりも長く生きるだろう。
しかしいつ、どのようないのちのなかで、
わたしたちはついに開かれ、受容する者となるだろうか?

 (生野幸吉訳)


 ローマにて、かつてリルケは「ルー・アンドレアス=ザロメ」宛てに書かれた手紙のなかに「それは昼のあいだあまりにも強く開いていたために、夜になっても閉じることができないままでした!暗い草地のなかにその花を見るのは恐ろしいことでした。」と書いています。この手紙の時からこのソネットを書くまでには長い歳月がありましたので、その時の恐怖や驚きが、そのまま詩作されたわけではないのですが・・・・・・。

 「薔薇」と「アネモネ」はこのソネットのなかで、最も早く書かれました。わたくしが、このソネットをランダムに読み、書いてゆくことはどうやらお許しいただけるだろう、と勝手に考えています。すみませぬ。

 植物である「花」に対して「筋肉」「胎内」というような動物的用語があえて与えられているのは何故でしょうか?「生殖」という意味においては動植物は共に「いのちの連鎖」を生きているという点で共有できるやもしれません。別の言い方をすれば、これは動植物共有の「Eroticism」とも言えますね。

 朝の光を受けて、次々に開花するアネモネの花びらは、「やがてこの花の胎内に高らかな/天空の多声の光が注ぎこむまで。」人間や獣たちが憩う夜が来ても閉じることがない。ここにもまぎれもなく光だけではなく「音楽」が聴こえています。しかし、夜の闇のなかで花びらを閉じない花は「アネモネ」だけとは限りませんので、こうした花たちへの驚愕と賛歌と思うことにしませう。

オルフォイスへのソネット第二部・6・・・薔薇よ

2009-10-27 15:54:18 | Poem
 

薔薇よ 花の王座にあるものよ、古代の人びとにとって
おまえは単純な縁をもつ蕚(うてな)だった。
私たちにとってしかしおまえは 豊かな無量の花、
汲みつくすことのできぬ対象。

富裕に咲きほこりつつ おまえは衣に衣を重ねて、
輝きからのみなる肉体を包んでいるかのよう。
だがおまえの花びらのひとひらひとひらは同時に
あらゆる衣裳の回避であり拒否なのだ。

幾世紀にもわたっておまえの香りは私たちに向かって
さまざまなこよなく甘美な名を呼びかけている――
ふとそれは賞賛のように 大気のなかを漂っている。

けれども 私たちはそれを名づけるすべなく憶測し・・・・・・
そして想い出がその香りと化して流れる、
呼びおこしうる時間から私たちの乞い受けた想い出が。

 (田口義弘訳)


ばらよ、女王の座を占める花よ、古代にあって
おまえは単純な花びらをもつ蕚だった。
わたしたちにはしかし、かずしれぬ花弁を重ねて充ちる花、
汲みつくせない対象。

おまえはその豊富のなかで、かがやきにほかならぬ
ひとつの裸身を包む衣だ、それはまた包む衣だ。
けれどもおまえの花びらのひとつびとつは、同時に
あらゆる衣裳を避け、否んでいる。

幾世紀このかた、おまえの香りは
その甘美きわまる名をさまざまにわれらに呼びつづけた。
突然、その名は名声のように空中にひろがっている。

しかしわれわれは、どう名付けてよいのかを知らず、憶測を重ねるばかり・・・・・・
そして追憶がその香りに移り住む、
呼びかけのできる時間からわたしたちが乞い受けた追憶が。

 (生野幸吉訳)


おまえは単純な花びらをもつ蕚だった。

 古代の薔薇は花びらが一重の「エグランティーヌ←この花を探しましたが、残念ながらみつかりません。」という種類のもので、色は炎のなかに現れる赫と黄に限られていると言う説と、古代にはすでに花びらが豊富な種類の薔薇があり、「エグランティーヌ」はオリエント起源のものとする説に分かれています。いずれにしましても、このソネットが書かれたヴァレーの庭園には、すでに豊富な花びらを持った薔薇や、「単純な花びらをもつ蕚」の薔薇が共存して咲いていたのでしょう。

 リルケの薔薇に寄せる想いは初期の時代から、比喩として、あるいは光を纏う美しいものの化身として何度も登場する花で、その1例は「新詩集」にある「薔薇の内部」にも読むことができます。そしてついに薔薇はリルケ自身の墓碑銘ともなったわけです。

 またこのソネットの後半部では、「香り」という見えないものを繰り返し、言葉に翻訳(この場合の翻訳は異国の言葉を自国の言葉の変換するという精神の作業ではなく・・・・・・。)しようとさえ感じられます。それは単に「香り」だけに留まらず、その内部と外部との2つの構造であり、あるいは光のように把握できない肉体であり、それすら虚構のように捕まえることはできない。花びらのように幾層にも隠され、そして拡散する光りのようなもの?薔薇を讃えるためにリルケは言葉を駆使し、それでも届くことのないという断念すら見えてきます。

オルフォイスへのソネット第一部・5

2009-10-24 23:21:33 | Poem


記念の石は建てるな。ただ年毎に
薔薇を彼のために咲かせるがよい。
なぜならそれがオルフォイスなのだから。あれこれの存在のなかの
彼の変容よ。私たちは心を労してほかの名を

求めはしない。歌うものがあれば
それはいつもオルフォイスだ。彼は来てはまた去ってゆく。
時として彼が薔薇の水盤に数日のあいだ踏みとどまれば、
それだけでもうたいしたことではないか?

おお 理解するがよい! 彼は消えてゆかなくてはならない!
そして彼自身にも消え去ることが不安であろうとも。
彼の言葉がこの地上を凌駕するとき、

彼はもう彼方にいる、きみたちの同行できぬところに。
竪琴の格子も彼の手をはばむことはない。
そして彼は従っているのだ、歩み越えながら。

 (田口義弘訳)


記念の碑(いし)を建てるな。ただ年々に
かれのためにばらを咲かせよ。
なぜならそれはオルフォイスだ。あれこれの
物のなかでのオルフォイスの変身なのだ。別の名を

わたしたちは齷齪と求めまい。何かが歌うなら
それはかならずオルフォイスだ。彼は来ては去る神。
ときとしてばらの萼(うてな)のうえに
二、三日辛抱する、それだけでも多としなければ。

消え去ることがわれながら不安だろうと、
かれは姿を消さなければならぬ、そのことわりが君らに解ればいい!
かれの言葉が地上の存在を超えるとき、

はやくもかれは、君たちのついてゆけない彼地にいる。
竪琴の絲の格子もかれの手を阻みはしない。
そして境を超えてゆきながら、オルフォイスは従順だ。

 生野幸吉訳


 ここに書かれた「薔薇」はリルケの詩「墓碑銘」と無関係ではないだろう。


墓碑銘   リルケ   生野幸吉訳

ばらよ、おお、きよらかな矛盾よ、
あまたの瞼のしたで、だれの眠りでもないという
よろこびよ。


 ローヌの流れを見下ろすラロンの丘の教会にこの墓碑はあります。『記念の石は建てるな。』という書き出しとは裏腹に。どなたが建てたのでせうか?たくさんの瞼のように見える薔薇の花びらのなかには、実は誰もいないのです。それはリルケのあらゆる所有から放たれた眠りへの願いだったのでせうか?それにしても、リルケの著書には「*****の所有なり。」という献辞が多いですね。。。

 生き残された人々は死者のために石の墓を建てて、そこに死者の位置を留めようとしますが、実は死者はそこでは安らいでいないのではないか?石の墓を建てず薔薇の花を植えよ、ということは・・・・・・?
 薔薇の花は開花と共にすぐに枯れて、ゆっくりと花びらを落としてゆくはかない花です。たくさんの花びらに囲われた世界の内側には、何もないのです。

 さらに、オルフォイスはすでに「死」を経験した者であり、だからこそ変容しつつ自由な存在としてどこへでも行けるのです。薔薇の咲く数日だけ彼はそこに宿り、また竪琴の絲の向こうへ行ってしまうのです。地上に生きる者たちの行くことのできない向こうへ。

 ここには「ボードレール」との類似点がありますね。それは詩人は言葉を持たないものたちのなかに「音楽」を聴きとることができるということです。その「音楽」を詩作に構築しなおすことができるということでしょう。その「音楽」とは薔薇であり、また香り、風、空、色などさまざまなものを内包しています。それが「オルフォイス」と名付けられたのでしょうか?

  *   *   *

 薔薇はリルケの最も愛した花であり、このソネットの「第二部・6」にはその薔薇について書かれています。またこのソネットの順番を狂わせますが、次回に書いてみます。(もともと順番どおりに読むつもりはありません。全部をここに書くつもりもありません。念の為。)

オルフォイスへのソネット 第一部・4

2009-10-21 23:17:12 | Poem
おお おまえたち優しい者よ 時には歩み入れ、
おまえたちを想っていない呼吸のなかへ。
それをおまえたちの頬で二つに分けよ、
おまえたちの背後でそれは慄えるだろう、また一つに結ばれて。

おお 幸いな者たち そこなわれていない者たち、
心のはじまりのようにみえる者たちよ。
矢をつがえる弓として矢のめざす的、
涙にぬれておまえたちの微笑は、より永遠に光り輝く。

悩むことを恐れるな、その重み、
それを大地の重みに返すがよい、
山々は重い、海もみな重い。

幼い日おまえたちが植えた樹々ですら、
すでに久しく重すぎて もちあげられぬだろう。
だが微風は・・・・・・だが空間は・・・・・・

 (田口義弘訳)


おお、君たちやさしい人々よ、ときには
君らを意に留めぬ風の息吹に立ちたまえ、
その風が頬に触れ、分かれるままにしたまえ、
君らの背後では風がふたたび合わさって慄える。

おお仕合わせな人々、おおすこやかな人々よ
心情のはじまりともみえる君たちよ、
矢をつがえる弓、弓の向かう的、
君たちの微笑は泣き濡れて、ひとしお永久にかがやく。

悩むことは怖れるな、苦悩の重さを。
その重量を大地の重さに返してやれ。
山々は重い、大海は重い。

幼いころ君たちが植えた木々さえ、
とうから重くなりすぎている。君らもそれを背負えまい。
けれども風は・・・・・・けれど、もろもろの空間は・・・・・・

 (生野幸吉訳)


 「おまえたち優しい者よ」「君たちやさしい人々よ」というのは、「愛(あるいは恋?)しあう人々」のことではないか?それも「愛あるいは恋」のはじまりにある人々を指しているようです。「矢をつがえる弓、弓の向かう的」という比喩も「愛の神・キューピット(アモール)」というわかりやすく馴染み深いものだろう。そして愛することの苦しみまではまだ至っていない若者たちに、「3」の風は「4」にも引き続き吹いています。この「ソネット」そのものが、終行がまた初行へと戻ってゆくようだ。

  *    *    *

 ここからは単なる独り言です。リルケとのことでもなく、ひととのことでもない。わたくしは日常的に残酷な言葉の洪水に襲われている。しかしこちらの言葉は一向に届かない。言葉の虹を繰り返しかける。が、すぐにかき消される。風のなかを1人で歩く。わたくしの頬や首、肩は風を切り開くように感じても、風はわたくしの背後でその流れをまた一つにするのだった。そして風の行方は途方もない。わたくしは地上のかすかな1点の重みとなって立つ尽くすのみ。人間は本来的に孤独なのだと自分に言い聞かせる。

メモ・「孤島 ジャン・グルニエ」より。

2009-10-18 22:16:07 | Memorandum
 

 ジャン・グルニエ(1898年~1971年)はパリに生まれる。美学者、哲学者。

 「孤島・1991年改訳新版・井上究一郎訳・筑摩叢書」


 「オルフォイスへのソネット 第一部・3」について、ここ数日に渡って、さまざまなことを考え、また教えていただきました。特に「神殿」というものについて・・・・・・そこで、過去に書いたメモを思い出して、探し出してきました。ううむ。やはりメモは大事かもしれない。また書棚に本を戻してしまえば、どのページだったかを探さなければならない。この下記の引用文に、付記してある我が思いはあまりにも拙く、とても公表できるものではありませんが、引用文だけここに紹介いたします。『 』内の太字部分が「孤島」からの引用です。こうして過去に読んだ本と今読んでいる本とが、繋がってゆく幸福を思います。


神にはそれができる。しかし告げたまえ、どうして
人はその狭い竪琴を通って神に従ってゆけよう?
人の心は分裂なのだ。二つの心の道の交点に
アポロンのための神殿は立っていない。


 『大景観の美は、人間の強さにつりあわない。ギリシャの神殿が比較的小さいのは、それが人間たちの避難所として建築されたからだ。希望のない光り。度はずれた光景は人間たちを途方に暮れさせたであろう。』


おまえが歌ってきたことを。それは流れ去る。
真に歌うこと、それは別のいぶき。
何を求めもせぬいぶき。神のなかのそよぎ。風。


  『至上の幸福感は、悲劇的なものの頂点なのだ。激情のざわめきが最高潮に達するとき、まさにその瞬間に、魂のなかに大きな沈黙がつくられる。(中略)そのような瞬間のあと、ただちに、人生はふたたびもとにもどるだろう。――だが、さしあたってひととき人生は停止して、人生は無限に越える何物かにまたがるのだ。何か?私は知らない。その沈黙には多くのものが宿っている。そこには、物音も、感動も、欠けてはいない。』

オルフォイスへのソネット 第一部・3

2009-10-14 21:49:51 | Poem

神にはそれができる。しかし告げたまえ、どうして
人はその狭い竪琴を通って神に従ってゆけよう?
人の心は分裂なのだ。二つの心の道の交点に
アポロンのための神殿は立っていない。

あなたの教えられる歌は欲望ではない、
ついには達せられるものへの求愛ではない。
歌は現存在だ。神にとってはそれはたやすいこと。
いつ しかし私たちは存在するのか? いつ神は

私たちの存在に大地と星々を向けられるのか? 若者よ、
それは存在しているということではない、恋をしているということは、
たとえそのとき声が口を開いて溢れようとも。忘れよ、

おまえが歌ってきたことを。それは流れ去る。
真に歌うこと、それは別のいぶき。
何を求めもせぬいぶき。神のなかのそよぎ。風。

 (田口義弘訳)


神ならばできることだろう。だが、告げたまえ、狭い竪琴の絃をくぐって
どのように人はそのあとに従えよう?
人の心は分裂なのだ。ふたすじの心の道の
交わる場所に、アポロの神殿は立っていない。

あなたの教える歌は欲望ではなく、
やがて成就できるものへの求めでもない。
歌は現存在なのだ。神にとってはたやすいことだ。
けれどもいつ、わたしたちは存在するのか?そしていつ

神はわれらの存在のために大地と星々を用いるだろうか?
若者よ、おまえの愛はそれではない、たとえ
愛の刹那に声音は口を押し開けるとも。――おまえがかつて

叫びえた歌を、忘れるすべを学ぶがよい。その歌は流れ移ろう歌。
真実に歌うとは、それとは別の息づかい。
何のためでもない息吹。神のなかでのそよぎ。風。

 (生野幸吉訳)


 さてさて、またまた懲りもせずに難儀な読み解きをやってみようか?

 「アポロンのための神殿は立っていない。」という1行は、「第一部・1」の以下の詩行を踏まえて、対比させてはいるのではないか?

暗い欲望からの、戸口の柱が揺れうごく
隠れ家すらほとんどなかったところ――そんなかれらの
聴覚のなかに神殿を創られた。


 ここでの「神殿」は、地上に生きるものたちの耳のなかに立てられた神殿であって、これは幻聴に近いものであって、天上のものではない。アポロンとは、技芸の神「オルフォイス」の父であり、地上のものたちが「アポロンの神殿」など、立てられることなどできないのだということではないのか?

 竪琴の絃は、神の世界と現世との境界線となる「柵」のようなものではないか?この「柵」を自在にくぐり抜けて天上と地上とを自在に往来できる「オルフォイス」に対して、人間は「柵」をくぐり抜けることはできない。
 地上に生きるものの有限性、不完全性に対するものとして、「リルケ」が選んだ理想の姿が「オルフォイス」であって、双方に横たわる断絶性は動かしがたい。ただただ賞賛の言葉を送るばかりだ。

 「ドゥイノの悲歌・9」にみられる「大地への委託」とも思える断念のような感覚が、この「オルフォイスへのソネット」と対峙するように思えるのだった。「悲歌」と「ソネット」の作品誕生の時期が重複しているということは、この2つの詩集はどこかで響き合うことがあっても不思議な出来事ではない。むしろ「悲歌の兄&ソネットの弟」というような近親的な要素があるようですね。

縞模様のパジャマの少年

2009-10-13 23:27:51 | Movie

制作国:イギリス&アメリカ
撮影場所:ハンガリーのブタペスト


監督:マーク・ハーマン
   (1954年 イギリスのイーストヨークシャーのブリドリントン生まれ)
原作:ジョン・ボイン
   (1971年 アイルランドのダブリン生まれ)
音楽:ジェームズ・ホーナー
   (1953年 アメリカのカリフォルニア州・ロサンゼルス生まれ)


出演:
ブルーノ:エイサ・バターフィールド
シュムエル:ジャック・スキャンロン



 この映画に興味を持ったのは、新聞に掲載された映画案内でした。ネット上のオフィシャル・サイトはあるものの、上映館が少なくて、上映期間も短いことに気付いて、焦ってしまい、一度も行ったことのない「シネマックス千葉」に観に行ってきました。でも澁谷や新宿に出るよりも往復の時間は短いのでした。映画館の上映時間の案内のなかに「PG-12」と書かれています。なんでしょう?と調べてみましたら、どうやら「parental guidance =12歳以下は、親が同伴した方がいい映画」と言う意味のようでした。上映時間も最後が16時30分となっていました。


 時代背景は第二次大戦下のドイツ。ナチス将校の父の昇進に伴いベルリンを離れ、父母、姉とともに人里離れた大きな屋敷(つまり、ユダヤ人強制収容所の所長の官舎です。)へ越してきた8歳の「ブルーノ」は、友達もいない、寂しい日々でした。家族以外は、頻繁に出入りしている軍人たち、お手伝いさんの女性、小間使いの「縞模様のパジャマ」を着た老人(もとはドクター。)でした。

 「ユダヤ人強制収容所」を周囲の大人たちは「農場」だと子供たちに教えていました。寝室の窓から見える森の奥にある「農場と言われている場所」には行ってはいけないと教えられた「ブルーノ」でしたが、淋しさと「冒険小説」好きの性格から、ついにそこへ行ったのでした。
 鉄条網で囲まれたそこには、人々が昼間でも縞模様のパジャマを着ていることを不思議に思いました。鉄条網の向こうにはパジャマ姿の同い年の少年「シュムエル」がいたのでした。好奇心に満ちた8歳の少年にとって、ユダヤ人は未知の存在であり、ようやく見つけた友だちが置かれている絶望的な状況など知る由もないのでした。

 「ブルーノ」と姉は学校へ行けず、家庭教師が自宅に来て、教えることは「ドイツの立派な歴史と、ユダヤ人のおろかさ」だけで、姉はそれに感化されて、大事に持ってきた、たくさんの人形を地下室に捨てて、ナチズムに向かいますが、「ブルーノ」は「冒険小説」が読めない不満ばかりでした。
 
 こっそりとパンやお菓子、遊び道具を持って、「ブルーノ」は何度もそこへ行きました。ある日「シュムエル」が「パパがいなくなった。」と泣いていました。一緒に「パパ」を探してあげるには「ブルーノ」が鉄条網の中に入るしかありません。鉄条網の下の土は意外に柔らかいことに気付いた「ブルーノ」は、シャベルを用意すると、また「シュムエル」は中にはいるための「縞模様のパジャマ」を用意すると約束して翌日を待つことにします。その翌日とは、母親が軍人の夫の仕事が「ユダヤ人大量虐殺」だったことに気付いて、子供とともにベルリンへ帰ることに決めた日でもありました。「ブルーノ」の不在に気付いた父母と姉は必死に「農園と言われている場所」に駆けつけますが、もはやすべてはおわり。

 「ブルーノ」と「シュムエル」は共に鉄条網のなかの「縞模様のパジャマ」を着た2人の子供となって、パパを探しに行きます。はじめに訪れた小屋にはたくさんの大人の男がいました。その日「ガス室」に送られる男たちです。そして2人の子供も・・・・・・。もう言いますまい。映画はそこで終わります。あの2人の少年だけが救われる奇跡はないのでした。

 戦争と虐殺とを本気で憎みなさい!!!


《付記》

 映画を観たのは4Fでしたので、観客全員がエレベーターに乗って降りました。そこは密室と化して、まるで「ガス室」に閉じ込められたような感覚に襲われたのは、多分わたくしだけではないでしょう。静かな密室ではみんな無口になって、空気までが焦げた匂いがするようでした。

子どものいない世界  フィリップ・クローデル

2009-10-11 21:50:55 | Book

翻訳:高橋啓
挿画:ピエール・コップ


 「フィリップ・クローデル・1962年フランスのローレンス生まれ」の著書は、「リンさんの小さな子」「灰色の魂」に続いて彼の著書を読むのはこれが3冊目です。前記の2冊とも全くタイプの違う小説でしたが、この「子どものいない世界」は絵本です。翻訳者の高橋啓氏も大いに戸惑い、かつ翻訳に苦しんだようでしたが、でも楽しんだのではないでしょうか?この著書の献辞には・・・・・・


  日々驚嘆させてくれるうちのプリンセスのために
  いずれは大人になる子どもたちのために
  そして、かつて子どもだった大人のために


 ・・・・・・と書かれています。この「うちのプリンセス」とは、「フィリップ・クローデル」のベトナム生まれの養女「クレオフェ」のことでしょう。この著書のプロデュースは「クレオフェ」の養母であり、また「フィリップ・クローデル」の奥さまでもある「ドミニク・ギョーマン」です。ここには20篇のお話や詩篇が収録されています。

 その第一話が「子どものいない世界」です。ある日突然世界中の子どもたちがいなくなってしまうのです。以下のメッセージを残して。


 『いつもしかられてばっかで、ぼくらのはなしなんかぜんぜんきいてくんないし、あそびたくてもあそべないし、やたらにはやくねなくちゃなんないし、ベッドでチョコたべちゃだめだし、いっつもはをみがけってうるさい。おとなにうんざり、でていくからね。あとはかってにしたら! 子どもいちどう』

 
 ここの部分の「高橋啓」の翻訳作業はさぞ楽しかったのではないかと想像します(^^)。さて、子どもたちが行ったのは、世界中の大人が知らない「マデラニア」という国の南の果てにある「ケランバラ」というオアシスでした。子どものいない世界は奇妙な眠りのなかにおちてしまったようで、教皇、ダライダマ、各国の大統領、元首、首相、親たちがテレビとラジオで必死で呼びかけ、子どもたちはようやく帰宅したものの、その子どもたちもやがて大人になって・・・・・・。お話はえんえんと繰り返されていくのです。。。

 もう一話「どうかでかっぽじっとくんなさい!」という奇妙なタイトルの物語は、意味をなさない造語で綴られた作品で、フランス語の「音」の効果で出来た作品ですので、翻訳者が「ほとんど翻訳不可能に近い。」と言いつつも、匙を投げるわけにはいかず、著者とのメールのやりとりで、なんとかかたちにしたそうです。フランスの子どもたちなら大笑いするそうですが、日本の子どもにはわかるだろうか???この物語の全部がこうした言葉で翻訳されているのですから。最後はこのように終ります。わかりますか?

 『では、たらっちょ、こむむすさま、たらっちょ、がりれば、よいほろんちを!』

 同じ日本国内であっても、ほぼ標準語で育ったわたくしには、特に高齢者の方言は理解不可能なほどわからないことがありますが、音を聞き分けるとなんとかぼんやりと標準語に置き換えることはできます。そんなことを思いだしました。

  *   *   *


 近頃「翻訳」というものがいかに困難なことであるのかを実感(←と言ってもわたくしができるわけではありません。すみませぬ。)しています。「翻訳」ということを考える時にいつも思い出す言葉があります。それはポーランドの1996年ノーベル文学賞受賞詩人「ヴィスワヴァ・シンボルスカ」の「橋の上の人たち」を翻訳された「工藤幸雄」の言葉です。

 『未知であった彼女の詩集の1冊をこのように晴れがましい形で〈試訳〉する幸福を訳者は恵まれた。あえて〈試訳〉とへりくだって、そこに拘泥する。訳詩とは、あくまでも〈試みの翻訳〉に過ぎないと思うからだ。ひとつの訳語の選択は詩想の伝達を大きく左右する。原詩の心の揺れの総量がそのまま伝達できるとは訳者は思えない。
 畏れ多い名を掲げるなら、かの上田敏「海潮音」、また堀口大学「月下の一群」ほか諸先輩の訳業に及ぶべくもない。』

 (2006年・みすず書房刊)