ふくろう日記・別室

日々の備忘録です。

老いというもの

2018-10-17 00:44:19 | Care
   

かつて、老いた両親の看護を三姉妹の三女の私が
たった一人で背負った時期があった。
父は医師の手の施しようもない末期の病故自宅へ帰された。
母の認知症は急速に進んでいた。
老父母の心身の限界は明らかだった。
しかし、老人施設に入れるのはあまりにも可哀想だ。
両親も行きたくないのだ。
その当時には、施設は病人は預からない。

誰もが逃れたい希望のない役目、私はを迷わずに受け入れた。
報酬のある仕事に追われている者に見捨てられた仕事を。

その時「老人施設があるだろう。そこに頼れ。」
と私に強く助言した者は、今は老いて、そして病んでいる。
「老人施設になど入りたくないなぁ。」とつぶやいている。
「入れる。」と私は一度も言っていない。

私は絶句する。 沈黙する。
いつか私も倒れる日がくるだろう。
そこから目を逸らしているのは誰だ?
「老い」とは身勝手になることではないだろう。


こんなこと書きたくないけれど、一つの記録としよう。

退院記念日

2018-10-12 20:38:51 | Care


夫が退院してから、一年過ぎました。
病状は悪化するでもなく、快癒することもない一年でした。
こうして、この病気と共に生きてゆくのでしょう。

夫はリハビリを欠かさず続けました。
週一回の訪問リハビリにきて下さるMさんにも褒められました。

それでも、この夫にほとんど付き合うばかりの私は誰にも褒められません(笑)。

月に一度くらいの、一人の外出が許されるだけの日々でした。
それは遊びではなく、同人との合評会ですよ。


その他の外出は、駅前のショッピングモールまで夫を連れてゆくだけです。
日常の買い物とランチと書店だけです。

こうして一年を過ごしました。
私が病気になったら、もうどうにもなりません。
それを考えることを、みんなで避けているのす。