ふくろう日記・別室

日々の備忘録です。

満州 奇跡の脱出  ポール・邦昭・マルヤマ

2018-04-29 23:07:49 | Book




高作自子 翻訳


この本は、ポール邦昭マルヤマの父上「丸山邦雄」と、実業家の「新甫八朗」、その若き社員の「武蔵正道」の三人による、満州に取り残された人々を、日本への引き揚げを成功させるために奔走した、勇気と人間愛に満ちた記録である。
ポール邦昭マルヤマ氏は、日本語で書いておりませんので、翻訳の方がいらっしゃるわけです。ポールは1941年日本生れ、満洲からの引き揚げ後、サンノゼ州立大学を卒業。アメリカ合衆国空軍に入隊。1964年の東京オリンピックでは、アメリカの柔道選手として出場とのこと。

敗戦後、日本政府は満洲に取り残された人々を帰国させることができなかったのだ。
その一例がこれである。

敗戦直後の哈爾浜において、外務大臣「重光葵」のお達しにはこう書かれていた!

『哈爾浜地区の事情がまったくわからないので、引揚交渉を行うにも方法がない。さらに日本内地は米軍の空襲によって壊滅状態にあり、加えて、本年度の米作は六十年来の大凶作。その上、海外からの引揚者数は満洲を除いても七百万人にのぼる見込みで、日本政府には、あなた方を受け入れる能力がない。日本政府としては、あなた方が、哈爾浜地区でよろしく自活されることを望む。』

哈爾浜のみならず、広大な満洲には、約170万人の日本人が遺されたのである。

わたくしの一家(私は1歳の赤ん坊だった。そして4歳と5歳の姉、父と母。)は、敗戦後には父の判断によって哈爾浜から新京に移動。そこで引揚までの日々を過ごした。
上記のお達しを、父が聞いたかは不明であるが。

しかし、父母の引揚体験の記録によれば、私達一家の引揚の時期は、この本に書かれた時期に合致します。おそらく私達の無事の引揚はこのお三人の命がけのご努力によるものと確信いたしました。遅ればせながら感謝します。もっと早く読めばよかったのに。

厳しい状況のなかで、命がけで秘かに満州を脱出し、日本へ渡り、満州の方々の引揚を実現されたことは、勇気ある行動であったと思います。
その勇気の後押しをして下さったのは、丸山一家がクリスチャンであったため、その神父様の協力は大きな守り神になって下さったようです。
外務大臣、総理大臣を説得し、さらにGHQに申し入れ、マッカーサーにまで辿り着いた。
引揚げ船がアメリカの船であったことは、敗戦国日本は全く無力だったということですね。

「GHQに丸投げした。」という説もあるようですが、あの時期の日本は無力でした。
GHQの判断と采配はすみやかでした。

この本を書かれたのは、丸山氏のご子息ですが、誰も書いてくれなかったのね。

多忙な春(?)

2018-04-17 16:07:51 | Stroll
春になると、マーケットに買い物に行く時、いつでもカメラを持って行きます。
(誰に頼まれたわけでもないのですが……。)
この時間を楽しまないと。


 ハナヤエムグラ


 ウマゴヤシ(ハナヤエムグラといつでも近いところに咲いています。)


 小さなカタバミ


 カスマグサ


 ノジシャ(美人に撮れました。)


 タツナミソウ(去年と同じところに咲いていました。)


 タンポポさん。すでに旅立ちのご様子。

冤罪弁護士 今村核氏

2018-04-16 16:17:26 | Social studies

冤罪弁護士 今村核氏について。

100分のNHKドキュメンタリー番組でした。
こんなに真剣にテレビを観たのは、初めてのことだと思う。

一旦、検察から「無罪」なのに「有罪」にされてしまうと、
これをひっくり返すのは、弁護士さんのしつこいほどの熱意と検証が要る。

気の遠くなるような仕事を続けていらっしゃるのでした。

どういったらいいのか。感動ではすまされません。

老婦人の勇気

2018-04-09 23:23:58 | Care


夫の護衛をしながら、バスに乗って、駅前のショッピングモールへ行く。
夫の主な目的は、本屋さんと、ランチ。
夫は左半身の軽い麻痺のため、歩くのが遅い。
スマホをしながら、歩いてくる女性は、目前の夫が見えない。
危うく、転倒寸前のところで、セーフ。(歩きスマホは本当にやめて下さい。)

ランチ、本屋さん、薬屋さん、最後にマーケットで夕食の買い物。

帰りのバスにて、素晴らしい老婦人に遭遇。
バスを降りる時に、大きな声で運転手さんに「乗車口を開けて下さい。」とおっしゃる。
その後、ご自分の腰掛付きのショッピングカートを指して「どなたか降ろしてください。」
とおっしゃる。
思わず私は腰を上げました。それより早く駆け寄ってあげたのは老紳士でした。
私は席に戻って、様子をみていましたが、老婦人は尚も声をかけます。今度は私に。
「バスを降りる手助けをお願いします。」と。
私はすぐに立って、降車口を先に降りて、婦人を待ちました。
婦人の小さな手をしっかり握って、どうやらお役にたったようでした。

その先のバス停で降りる時、今度は夫より先に降りて、夫の無事下車を見守る。

そうして老夫婦二人で語り合う。「素晴らしい老婦人だったね。」と……。
老人が世間に遠慮して生きることはないのです。

それにしても、その老婦人に手を差し伸べた二人ともが老人であった。
とりあえず、元気な老人は頑張ろう。

夫も頑張って、玄関までの4段の階段を、私のショッピングカートを運んだわ。