ふくろう日記・別室

日々の備忘録です。

八月

2019-08-10 15:19:50 | Memorandum

今年の8月は、新聞でもテレビでも「戦争」をテーマにした記事報道が

例年より多くなったようだ。

それが、今の政治が示す危険な方向性への怒りではないか?

我が詩集「胴吹き桜」を取材して下さった新聞社の方の呟きを思い出す。

「8月だけが、反戦ではないのですが・・・・・・・。」

 

子供時代に学童疎開を強いられた女性詩人が、独りで歩いていた時に、

米軍の飛行機から襲撃を受けたというお話を読んだのは二人目。

もっとたくさんの少女、少年がこんな目に遭ったのではないか?

 

幸福な国はない

幸福を願い続ける者があまたいるだけだ

生き残った者が語り続けるだけだ

気の遠くなるような永い物語を

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悲しみが深い時に。

2017-08-16 16:39:00 | Memorandum


突然の悲しい出来事に、追い詰められてしまった時には、
人間はそれをどこかに預けたくなるだろう。

しかし、どこにもないと思い詰めると、
悲しみは重みばかりを増してゆく。

だが、悲しみには必ず出口がある。

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731部隊の真実

2017-08-13 22:48:21 | Memorandum

NHKスペシャル・731部隊の真実を観ました。

731部隊のエライ方々は、日本の敗戦を8月15日以前に、すでに知っていました。
証拠をすべて消して、早々と釜山港から帰国しています。
それに遅れた若い部隊兵たちが戦争裁判に立たされ、ソ連側に残された証言のテープがあった。

その時代のエリート科学者が、すべての人体実験の指揮をしたのだ。
戦争にもルールがあるにも関わらず、そこを731部隊のエリートたちは無視したのだ。

若い部隊兵も、今は高齢者になっている。
その方々から、絞り出すように語られる真実は、重い。

戦争をするな。残酷な人殺しをするな。
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作文教育が罪にされた時代

2015-08-18 21:57:12 | Memorandum



8月18日、朝日新聞に佐竹直子さんの御本「獄中メモは問う/作文教育が罪にされた時代」が
紹介されていました。

この記事を読みながら、小学校時代の担任のS女性教師を思い出しました。
それまでは作文を書くのが苦痛でならなかった私を、
作文好きな少女に生まれ変わらせて下さったのは、このS先生でした。
4年生になったら、毎週1回作文授業がありました。
この苦役を克服するために、どうしたらいいのか幼い頭で考えました。

3年生までの私は、たとえば「遠足の作文を書きなさい。」と言われると、
朝の起床から帰宅までの全てを書いていましたので、大仕事だったのです。
しかも、引き揚げ子の栄養失調からまだ健康に戻りきっていない体には、
遠足そのものも苦痛でした。

それでも、私は幼い頭で必死で考えました。
つまり苦痛の原因は「すべて書く」からで、書く範囲を決めればいいのではないか?
それで時間を限定しました。
「雨の日の昼休み」・・・・・・校庭で遊べない子供たちは色々な遊びをします。
遊ぶ場所は教室か廊下です。その様子を書きました。

よい作文は先生がみんなの前で読み上げて下さいます。
その時「もうちょっと頑張ろう。」と言って、先生が読み上げて下さったのは
私の作文でした。

魔法のように、私は書くことが大好きな少女になりました。
将来の夢は「作家」あるいは「詩人」になりました(笑)。
今でも、下手な詩を書き続けています。


あ。お話が長くなりました。
なぜS先生が熱心に作文教育をなさったのか?
この記事を読んで、その謎が解けたのでした。
気付くのが遅すぎました。ごめんなさい。S先生。

おかげさまで、書くことはそれからずっと続けてまいりました。
ありがとうございました。
自由に書けることを幸せに思います。
ずっとずっと、この自由が続きますように!

佐竹直子さんの御本をこれから読みます。
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平和(ひらかず)さん 70歳の談話  しりあがり寿(漫画家)

2015-08-15 00:29:05 | Memorandum

漫画家の「しりあがり寿」さんが「ポリタス」に発表されたものです。

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安倍首相の戦後70年談話全文 2015/8/14

2015-08-15 00:10:23 | Memorandum


 政治は、歴史から未来への知恵を学ばなければなりません。戦後70年という大きな節目にあたって、先の大戦への道のり、戦後の歩み、20世紀という時代を振り返り、その教訓の中から未来に向けて、世界の中で日本がどういう道を進むべきか、深く思索し、構想すべきである、私はそう考えました。

 同時に、政治は歴史に謙虚でなければなりません。政治的、外交的な意図によって歴史がゆがめられるようなことは決してあってはならない、このことも私の強い信念であります。

 ですから談話の作成にあたっては、21世紀構想懇談会を開いて、有識者のみなさまに率直、徹底的なご議論をいただきました。それぞれの視座や考え方は、当然ながら異なります。しかし、そうした有識者の皆さんが熱のこもった議論を積み重ねた結果、一定の認識を共有できた、私はこの提言を歴史の声として受け止めたいと思います。そして、この提言のうえにたって歴史から教訓をくみ取り、今後の目指すべき道を展望したいと思います。(以上、記者会見での冒頭発言)


     ◇


 終戦七十年を迎えるにあたり、先の大戦への道のり、戦後の歩み、二十世紀という時代を、私たちは、心静かに振り返り、その歴史の教訓の中から、未来への知恵を学ばなければならないと考えます。

 百年以上前の世界には、西洋諸国を中心とした国々の広大な植民地が、広がっていました。圧倒的な技術優位を背景に、植民地支配の波は、十九世紀、アジアにも押し寄せました。その危機感が、日本にとって、近代化の原動力となったことは、間違いありません。アジアで最初に立憲政治を打ち立て、独立を守り抜きました。日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました。

 世界を巻き込んだ第一次世界大戦を経て、民族自決の動きが広がり、それまでの植民地化にブレーキがかかりました。この戦争は、一千万人もの戦死者を出す、悲惨な戦争でありました。人々は「平和」を強く願い、国際連盟を創設し、不戦条約を生み出しました。戦争自体を違法化する、新たな国際社会の潮流が生まれました。

 当初は、日本も足並みを揃(そろ)えました。しかし、世界恐慌が発生し、欧米諸国が、植民地経済を巻き込んだ、経済のブロック化を進めると、日本経済は大きな打撃を受けました。その中で日本は、孤立感を深め、外交的、経済的な行き詰まりを、力の行使によって解決しようと試みました。国内の政治システムは、その歯止めたりえなかった。こうして、日本は、世界の大勢を見失っていきました。

 満州事変、そして国際連盟からの脱退。日本は、次第に、国際社会が壮絶な犠牲の上に築こうとした「新しい国際秩序」への「挑戦者」となっていった。進むべき針路を誤り、戦争への道を進んで行きました。

 そして七十年前。日本は、敗戦しました。

 戦後七十年にあたり、国内外に斃(たお)れたすべての人々の命の前に、深く頭(こうべ)を垂れ、痛惜の念を表すとともに、永劫(えいごう)の、哀悼の誠を捧げます。

 先の大戦では、三百万余の同胞の命が失われました。祖国の行く末を案じ、家族の幸せを願いながら、戦陣に散った方々。終戦後、酷寒の、あるいは灼熱(しゃくねつ)の、遠い異郷の地にあって、飢えや病に苦しみ、亡くなられた方々。広島や長崎での原爆投下、東京をはじめ各都市での爆撃、沖縄における地上戦などによって、たくさんの市井の人々が、無残にも犠牲となりました。

 戦火を交えた国々でも、将来ある若者たちの命が、数知れず失われました。中国、東南アジア、太平洋の島々など、戦場となった地域では、戦闘のみならず、食糧難などにより、多くの無辜(むこ)の民が苦しみ、犠牲となりました。戦場の陰には、深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たちがいたことも、忘れてはなりません。

 何の罪もない人々に、計り知れない損害と苦痛を、我が国が与えた事実。歴史とは実に取り返しのつかない、苛烈(かれつ)なものです。一人ひとりに、それぞれの人生があり、夢があり、愛する家族があった。この当然の事実をかみしめる時、今なお、言葉を失い、ただただ、断腸の念を禁じ得ません。

 これほどまでの尊い犠牲の上に、現在の平和がある。これが、戦後日本の原点であります。

 二度と戦争の惨禍を繰り返してはならない。

 事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない。植民地支配から永遠に訣別(けつべつ)し、すべての民族の自決の権利が尊重される世界にしなければならない。

 先の大戦への深い悔悟の念と共に、我が国は、そう誓いました。自由で民主的な国を創り上げ、法の支配を重んじ、ひたすら不戦の誓いを堅持してまいりました。七十年間に及ぶ平和国家としての歩みに、私たちは、静かな誇りを抱きながら、この不動の方針を、これからも貫いてまいります。

 我が国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのお詫(わ)びの気持ちを表明してきました。その思いを実際の行動で示すため、インドネシア、フィリピンはじめ東南アジアの国々、台湾、韓国、中国など、隣人であるアジアの人々が歩んできた苦難の歴史を胸に刻み、戦後一貫して、その平和と繁栄のために力を尽くしてきました。

 こうした歴代内閣の立場は、今後も、揺るぎないものであります。

 ただ、私たちがいかなる努力を尽くそうとも、家族を失った方々の悲しみ、戦禍によって塗炭の苦しみを味わった人々の辛(つら)い記憶は、これからも、決して癒えることはないでしょう。

 ですから、私たちは、心に留(とど)めなければなりません。

 戦後、六百万人を超える引き揚げ者が、アジア太平洋の各地から無事帰還でき、日本再建の原動力となった事実を。中国に置き去りにされた三千人近い日本人の子どもたちが、無事成長し、再び祖国の土を踏むことができた事実を。米国や英国、オランダ、豪州などの元捕虜の皆さんが、長年にわたり、日本を訪れ、互いの戦死者のために慰霊を続けてくれている事実を。

 戦争の苦痛を嘗(な)め尽くした中国人の皆さんや、日本軍によって耐え難い苦痛を受けた元捕虜の皆さんが、それほど寛容であるためには、どれほどの心の葛藤があり、いかほどの努力が必要であったか。

 そのことに、私たちは、思いを致さなければなりません。

 寛容の心によって、日本は、戦後、国際社会に復帰することができました。戦後七十年のこの機にあたり、我が国は、和解のために力を尽くしてくださった、すべての国々、すべての方々に、心からの感謝の気持ちを表したいと思います。

 日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の八割を超えています。あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。

 しかし、それでもなお、私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません。謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります。

 私たちの親、そのまた親の世代が、戦後の焼け野原、貧しさのどん底の中で、命をつなぐことができた。そして、現在の私たちの世代、さらに次の世代へと、未来をつないでいくことができる。それは、先人たちのたゆまぬ努力と共に、敵として熾烈(しれつ)に戦った、米国、豪州、欧州諸国をはじめ、本当にたくさんの国々から、恩讐(おんしゅう)を越えて、善意と支援の手が差しのべられたおかげであります。

 そのことを、私たちは、未来へと語り継いでいかなければならない。歴史の教訓を深く胸に刻み、より良い未来を切り拓いていく、アジア、そして世界の平和と繁栄に力を尽くす。その大きな責任があります。

 私たちは、自らの行き詰まりを力によって打開しようとした過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、いかなる紛争も、法の支配を尊重し、力の行使ではなく、平和的・外交的に解決すべきである。この原則を、これからも堅く守り、世界の国々にも働きかけてまいります。唯一の戦争被爆国として、核兵器の不拡散と究極の廃絶を目指し、国際社会でその責任を果たしてまいります。

 私たちは、二十世紀において、戦時下、多くの女性たちの尊厳や名誉が深く傷つけられた過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、そうした女性たちの心に、常に寄り添う国でありたい。二十一世紀こそ、女性の人権が傷つけられることのない世紀とするため、世界をリードしてまいります。

 私たちは、経済のブロック化が紛争の芽を育てた過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、いかなる国の恣意(しい)にも左右されない、自由で、公正で、開かれた国際経済システムを発展させ、途上国支援を強化し、世界の更なる繁栄を牽引(けんいん)してまいります。繁栄こそ、平和の礎です。暴力の温床ともなる貧困に立ち向かい、世界のあらゆる人々に、医療と教育、自立の機会を提供するため、一層、力を尽くしてまいります。

 私たちは、国際秩序への挑戦者となってしまった過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、自由、民主主義、人権といった基本的価値を揺るぎないものとして堅持し、その価値を共有する国々と手を携えて、「積極的平和主義」の旗を高く掲げ、世界の平和と繁栄にこれまで以上に貢献してまいります。

 終戦八十年、九十年、さらには百年に向けて、そのような日本を、国民の皆様と共に創り上げていく。その決意であります。


     ◇


 (談話を読み上げ後)以上が私たちが歴史から学ぶべき未来への知恵であろうと考えております。冒頭私は、21世紀構想懇談会の提言を歴史の声として受け止めたいと申し上げました。

 同時に私たちは歴史に対して謙虚でなければなりません。謙虚な姿勢とは果たして、聞き漏らした声がほかにもあるのではないかと、常に歴史を見つめ続ける態度であると考えます。私はこれからも謙虚に歴史の声に耳を傾けながら、未来の知恵を学んでいく。そうした姿勢を持ち続けていきたいと考えています。私からは以上であります。



    *    *     *



これ↓は、村山元首相のご意見です。


戦後50年の村山談話について、安倍首相は「全体として引き継ぐ」と説明してきた。村山氏は会見で、安倍談話について「(村山談話を)否定もしていないし、踏襲もしていない。出す必要はなかった」と指摘。「焦点がぼけて、さっぱり何を言いたかったのか分からない」と切って捨てた。

 安倍談話の「おわび」をめぐる表現については、村山氏は「何をおわびしたのか不明確だ」と批判。「『植民地支配』『侵略』『おわび』という言葉は入っているが、日本がやってきたことに対して不明確だ」と不満を漏らし、「『植民地支配』とか『侵略』という村山談話のキーワードを薄めたい、という気持ちだったのだろう」と語った。

 また、安倍首相が談話の最後に自身が唱える「積極的平和主義」を盛り込んだことについては、「中身の説明をしていない。イメージがさっぱり分からない」と話した。

 中国、韓国などアジア諸国の受け止め方については「受け入れる国と疑問を呈する国、いろいろあると思う」。そのうえで、「村山談話とはだいぶ中身が違うな、という印象は与えると思う」と話した。


「村山談話&小泉談話」はここに。



以上、わたくしの覚書とします。なんと長い安倍談話でしょ。


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死して首相は愚痴を残す 谷川俊太郎

2015-08-13 21:48:33 | Memorandum
「ポリタス」に掲載された、谷川俊太郎さんの書かれた「死して首相は愚痴を残す」は、
さすが言葉の達人ですね。

何も言っていないように見せながら、実はすごいことを書かれていらっしゃいます。


ここをお読みくださいませ。

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覚書 村山談話&小泉談話

2015-03-05 16:27:04 | Memorandum
3月4日の朝日新聞より。

「私たちは過去のあやまちを二度と繰り返すことのないよう、
 戦争の悲惨さを若い世代に語り伝えていかなければなりません。」←←(村山)

「我が国の戦後の歴史は、まさに戦争への反省を
 行動で示した平和の60年であります。」←←(小泉)



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水無田気流さんの言葉

2015-01-08 22:16:22 | Memorandum
1月7日の朝日新聞に掲載された水無田気流さんの言葉をここに残しておきたい。

「安倍首相 その先に」「国民の欲望 読み解けぬ選挙」

社会学者、詩人の水無田気流さんが語る的確な言葉に力と輝きがありました。





この質問者となった記者の言葉も付記します。

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「戦」の「後」であり続けるために

2015-01-07 15:54:58 | Memorandum

2015年元旦の朝日新聞より。遅くなりましたがここに記しておきます。


大江健三郎が示した「渡辺一夫」の言葉です。


《「狂氣」なしでは偉大な事業はなしとげられない、と申す人々も居られます。
それはうそであります。「狂氣」によってなされた事業は、必ず荒廃と犠牲を伴います。
真に偉大な事業は、「狂氣」に捕えられやすい人間であることを人一倍自覚した人間的な人間によって、誠実に執拗に地道になされるものです。》




さらに、歴史家のジョン・W・ダワーの言葉を掲載しておきます。


《うちひしがれた日本(注・1945年)は、このような凄まじい状況のなかで、
再出発の難行に立向かい、新憲法に具体化された「平和とデモクラシー」の理想に、
社会のあらゆる層の人びとが奮いたったのでした。
政治やイデオロギーの衝突は戦後日本にいつもありました。
しかし、実に多くの日本人が豊かで平和を愛する社会を懸命に創りあげた、
その草の根の回復力、規律、反戦の理想は、どれほど称賛してもしつくせるものではありません。


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