ふくろう日記・別室

日々の備忘録です。

山形交響楽団

2010-06-27 11:47:37 | Music
 26日、東京オペラシティ・コンサートホールにて、山形交響楽団の「さくらんぼコンサート・2010」に行ってきました。愛娘からの「母の日」には遅すぎるし、「誕生日」には早すぎるプレゼント(?)でした。なんでもいいけど、楽しい時間でした♪

指揮:飯森範親
ピアノ:河村尚子


 音楽をCDで聴くことは日常的にあることですが、生で聴くのは久しぶりです。「群馬交響楽団」の存在は子供の頃から知っていたのですが、「山形交響楽団」は初めて知りました。素晴らしい交響楽団でした。それは演奏者と指揮者との響きあいによって創りあげる音の世界です。CDを聴いているだけではその光景を思い浮かべることを忘れがちになりますね。その上指揮者の「飯森範親氏」の指揮はスマートかつ情熱的でした。

 演奏を聴きながら、最初になつかしく思い出したことは、何故か小学校時代の合奏部のことでした。オルガン、ピアノ、アコーディオン、半音付き木琴&鉄琴・・・・・・これらが経験としてあります。吹奏楽器、弦楽器はダメでした。つまり「ここをたたけばドという音がでる。」ということがわかる楽器だけでした(^^)。そこから始まって、お絵かき、作文までが子供時代の興味でした。今になってもそこから1歩も出ていない自分に驚きました。そしてとりあえず長続きしたものは「作文」から繋がる「詩」だったのだと、奇妙なことを考えながら、演奏を聴いていました。

 途中の休憩の後からは、その想念から離れて、楽器の音を聴き分けようと、身を乗り出して演奏家たちを目で追っていました。教会の鐘のような音を出す「トライアングル奏者」がどこにいるのか?と探したり、映画「道」を思い出すような「トランペット奏者」はどこなのか?交響楽団の前面を占めるのはほとんど主旋律の「バイオリン奏者」、ピアノ協奏曲の場合は「ピアノ奏者」となりますので、そういうことが生で聴いていますと奇妙に気になりました。

 ただし、地方の交響楽団は、いつもその地元から離れることはできないのですね。つまり「町おこし」にも一役かうわけです。ロビーでは「さくらんぼ」や「お米」「お漬物」などの販売までしていました。混んでいるし、帰宅時間の余裕もありませんので、素通りしました。その上、出口では「ささやかながら「おみやげ」もいただきました。なんだか「交響楽団」と「アンテナショップ」の連携のようでした。これもまたよきかな。

 再度、最後に申し上げます。いろいろ思うことはありましたが、生の演奏を聴く&見ることは、CDを聴くこととは大違いだったということです。それぞれの曲目についての感想は書きません。これは複雑極まりないことになりますので。

音楽について話す時、1番いい方法は黙っていることだ。(シューマン)

 *    *    *

しばらくここをお休みしていましたが、2週間以上続いた仕事がやっと終わりました。26日の音楽会までには終わりたいなぁと思っていましたが、どうやら24日で終わりました。
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床下の小人たち メアリー・ノートン

2010-06-16 21:19:04 | Book
 宮崎駿監督のアニメ映画「借りぐらしのアリエッティー」の上映が始まるようだ。テレビでこの映画の紹介があった途端に、メアリー・ノートンの「床下の小人たち=The borrowers」「野に出た小人たち=The borrowers A field」を思い出しました。やっぱりこれが原作だったのですね。過去に書いたメモを書いてみます。

 この原題からわかりますように、「小人たち」は「借りる人」なのですね。この小人たちは普通のサイズの人間の世界の片隅で、人間の暮らしからさまざまな、暮らしに必要なものを借りて生きているのです。ひっそりと。 たとえば糸巻きは椅子に、マッチ箱は引き出しに、安全ピンはドアーの錠前に、編み上げ靴は野の家に、切手は額縁に入れて壁に飾る絵画に、石鹸箱の蓋は舟に、という風に。そういえばわたしが失くした、たくさんの「まち針」は小人の仕業だったのかしらん?「まち針」は小人が人間の部屋の高い場所に行く時に、カーテンに突き刺しながら登るのでした。

 「借りる」と、小人たちは言っておりますが、実は普通サイズの人間社会では「盗む」ということになりますね。でもほんのわずかですから、ほとんど人間は気付かれないし、影響もない。そうして人間の家の床下で暮らしていたのですが、ある日みつかってしまう。そして野に出て暮らすことになるのです。床下の暗い生活から、陽の明るい、しかし風雨も雪もある暮らしが待っているのです。

 この小人たちは、なんの魔力も霊力もない、普通の人間が小さくなっただけなのです。読みながら同じ気持でドキドキしたり、ほっとしたり、おなかをすかせたり、疲れたりしている自分がいるのです。この小人たちにもしも触れることができたなら、きっと体温もあるのでしょうし、時には汗くさいかもしれません。これを書いているわたし自身も実は小さいのです。ジャイアント馬場と並んだら、きっと世界の見え方が違うはずだと思います。ちなみに、かつて東京駅の新幹線のホームで、ジャイアント馬場とすれ違った実体験があるのです。あの時のわたしの感覚としては、彼のお腹のあたりとすれ違ったようでした。

 このお話がいつどんな時に語られたのかといえば、それはメイおばさんがケイトに編み物を教えながらの時なのでした。この編み物は鈎針編みで、小さなモチーフをいくつも編んで、それを繋ぎ合わせて大きな毛布にする作業ですから、時間はたっぷりかかります。その時間が同時に二人のお話の時間だったわけです。女性の単純な手仕事の楽しさは、手は忙しくても、空想したり、考えたり、会話したりする時間もあるということです。この時間のなかで、メイおばさんはケイトにたくさんのことを伝承したはずです。編み物と物語のほかにも。これはメイおばさんの素敵な本当と嘘のお話と、ケイトの想像力が産んだ物語なのかもしれません。

 わたしが子供時代に読んだ物語には、フィリパ・ピアスの「トムは真夜中の庭で」というのもあります。真夜中の13時を告げる時、現在の少年と過去の少女が時を超えて逢うお話です。トムと少女のどちらが幽霊なのか?そうでないのか?物語の楽しさはきっと、ほんの少しだけ日常を超えることのできる楽しさなのでしょう。そして「ほんの少し」と思うことが実は「途方もなく遠い」ということなのでしょうか。
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ボストン美術館展

2010-06-06 13:24:59 | Art

 《ベラスケス  ルイス・デ・ゴンゴラ・イ・アルゴテ(詩人)1622年)

4日快晴、涼しい風の吹く午後に、六本木の「森アーツセンターギャラリー」にて「ボストン美術館展」観て参りました。

 米国のMuseum of Fine Arts, Bostonのヨーロッパ絵画コレクションから、16~20世紀の画家47人の絵画80点の展覧会です。これらを時代順に展示するのではなく、時代や地域を超えて、画家の作品をテーマごとに展示してありました。西洋絵画史の時間の流れで展示してありませんので、ある意味では分野毎に歴史を追えるという利点はありました。

①多彩なる肖像画
②宗教画の運命
③オランダの室内
④描かれた日常生活
⑤風景画の系譜
⑥モネの冒険
⑦印象派の風景画
⑧静物と近代絵画

 以下は、わたくしの独断と偏見で選びました。まずは5月末に訪問した、瀬戸内海の直島の「ベネッセ・ミュージアム」の風景をおもいだしたこの絵画を。


 《モネ ヴァランジュヴィルの漁師小屋 1882年》


 《ミレー 馬鈴薯植え 1861年》


 《コロー 花輪を編む少女 1861年》


 《ルノワール 島の海岸の子どもたち 1883年》


 平日午後とはいえ、会場は混んでいました。ボストン美術館の所蔵作品の質の高さ(名品?)とともに、その点数の多さにおいても世界屈指の美術館からの作品ですから、仕方のないことですが、できれば絵画は静かな環境で観たいものです。
 それにしましても確かに優れた絵画ばかりで、混んでいても素通りできない作品ばかりでした。書棚が美術展の図録で住宅難になってきましたので、「今度こそ買わないぞ!」という決心はあっけなく崩壊しました(^^)。


 *    *    *

 ボストン美術館は1870年地元の有志によって設立され、アメリカ独立百周年にあたる1876年に開館。王室コレクションや大富豪のコレクションが元になった美術館ではなくて、民間の組織として運営されてきたという点は、ニューヨークのメトロポリタン美術館と似ています。所蔵品は50万点を数え、「古代」、「ヨーロッパ」、「アジア、オセアニア、アフリカ」、「アメリカ」、「現代」、「版画、素描、写真」、「染織、衣装」および「楽器」の8部門に分かれる。エジプト美術、フランス印象派絵画などが特に充実している。それに加えて、仏画、絵巻物、浮世絵、刀剣などの日本の美術品を多数所蔵しています。

 さらに収蔵品画像は、そのほとんどを公式サイトから検索・閲覧することができます。偉い!

 【追記】

ゴーギャンの代表作《我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか・1897-98年》も、このボストン美術館に所蔵されています。
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NoaNoa(ノアノア) ポール・ゴーギャン

2010-06-05 21:21:27 | Book


岩切正一郎訳

 タイトルの「ノアノア」とは、タヒチ語で「かぐわしい香り」を意味する形容詞です。ゴーギャンは、1891年(明治24年)4月、42歳のとき、フランス領タヒチ(フランスの植民地でしょ?)に移住します。なんと船旅で2ヶ月かかりました。タヒチでの妻テウラ(初期のゴーギャンのモデル)との日々や、現地の漁業、宗教的儀式、神と自然に触れ合う体験を、ゴーギャンは、絵画として描くと同時に、随想に書き起こしたものとされています。

 ゴーギャンは、1893年(明治26年)に一度フランス本土のパリに戻る。1895年(明治28年)にはふたたびタヒチに移住、1901年(明治34年)にマルキーズ諸島に移住、1903年(明治36年)に同地で55歳で死去。これは最初のタヒチ滞在での日々をパリで執筆したものであり、「シャルル・モリスのための〈メモ〉の総体」であって、モリスが編纂し、モリスの自作詩を挿み、さらにゴーギャンの挿絵もいれた「ノア・ノア - タヒチ・・・1891年」があったようですが、本書はゴーギャンの推敲課程やモリスの詩も割愛して、1編のゴーギャンのタヒチ滞在記となっています。パリでの1901年の初版出版時には、ゴーギャンはマルキーズにいたことになります。

 さらに「ノアノア」は、ゴーギャンの伝記的事実に照らしてみれば、とても脚色されたものとなっています。何故このように書かれたのか?まずゴーギャンはフランス政府がタヒチに送った「芸術特使」とされ、それは島民にとっては「公的なスパイ活動家」というニュアンスもある。もちろんフランスからの報酬などない。持っていったお金が尽きれば、島民ととに漁をし、採取もしなければならないのだ。フランスに戻ったのはその経済的理由である。
 また、妻の「テウラ」から、キリスト教が入ってくる前(つまり歴史のなかでの侵略とは、まず宗教統一にあるのです。それから言語。)のタヒチの土着の神々の話が詳細に語られていますが、これは「テウラ」が語ったものではないのでした。しかしながら「テウラ」が「巫女」のようであり「語り部」であったとしたら、それは素敵なことですねぇ。

 何故脚色されたか?それは「タヒチのゴーギャン」を語っているのではなく、彼の絵画を語るためであった。彼の1連のタヒチ絵画はフランスではまだ不評だったからか?

 昨年8月5日に、東京国立近代美術館で「ゴーギャン展」を観ましたが、タヒチで書かれた絵画には、孤独な画家の姿が描かれていたように思います。代表作《我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか・1897-98年》は2度目のタヒチ滞在の時に描かれたものでしょう。




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 ここで、少しだけタヒチの昔話をします。 
 「アリオイ」という王がいました。その頃のタヒチには「生まれた嬰児を殺すこと」があたりまえのこととして行われていました。それは洪水によって島の高い部分に生き残った人々によって、島の人口は徐々に回復したものの、小さな島ゆえ、人口が増大することを避けるためでした。「食人種」と言われたのはそのためです。
 18世紀末からタヒチに来島したキリスト教伝道団は、「アリオイ」で行われていた「生まれた嬰児を殺すこと」を特に人間としての反逆行為として弾圧しました。そして、タヒチアンダンスもまた19世紀初頭に宣教師たちによって踊る事を禁じられました。
 子豚が産まれると、すぐに数頭は祝いとして食べられて、次代保存種として2頭くらいが残されるという風習はその名残りです。

 (2009年・第4刷・筑摩書房刊)
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内田樹氏のブログより。

2010-06-03 21:25:36 | Social studies
 鳩山首相辞任より、内田氏のブログになかなか繋がらない。ご本人も投稿に難儀なさったとおっしゃる。おそらくアクセス急増によるものでせう。ようやく繋がって読むことができました。「転載可」とのことですので、こちらに転載させていただきました。また繋がらない状況になる危険性が大きいからです。あしからず。以下、転載です。

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2010.06.03
首相辞任について
鳩山首相が辞任した。
テレビニュースで辞意表明会見があったらしいが、他出していて見逃したので、正午少し前に朝日新聞からの電話取材でニュースを知らされた。
コメントを求められたので、次のようなことを答えた。
民主党政権は8ヶ月のあいだに、自民党政権下では前景化しなかった日本の「エスタブリッシュメント」を露呈させた。
結果的にはそれに潰されたわけだが、そのような強固な「変化を嫌う抵抗勢力」が存在していることを明らかにしたことが鳩山政権の最大の功績だろう。
エスタブリッシュメントとは「米軍・霞ヶ関・マスメディア」である。
米軍は東アジアの現状維持を望み、霞ヶ関は国内諸制度の現状維持を望み、マスメディアは世論の形成プロセスの現状維持を望んでいる。
誰も変化を求めていない。
鳩山=小沢ラインというのは、政治スタイルはまったく違うが、短期的な政治目標として「東アジアにおけるアメリカのプレザンスの減殺と国防における日本のフリーハンドの確保:霞ヶ関支配の抑制:政治プロセスを語るときに『これまでマスメディアの人々が操ってきたのとは違う言語』の必要性」を認識しているという点で、共通するものがあった。
言葉を換えて言えば、米軍の統制下から逃れ出て、自主的に防衛構想を起案する「自由」、官僚の既得権に配慮せずに政策を実施する「自由」、マスメディアの定型句とは違う語法で政治を語る「自由」を求めていた。
その要求は21世紀の日本国民が抱いて当然のものだと私は思うが、残念ながら、アメリカも霞ヶ関もマスメディアも、国民がそのような「自由」を享受することを好まなかった。
彼ら「抵抗勢力」の共通点は、日本がほんとうの意味での主権国家ではないことを日本人に「知らせない」ことから受益していることである。
鳩山首相はそのような「自由」を日本人に贈ることができると思っていた。しかし、「抵抗勢力」のあまりの強大さに、とりわけアメリカの世界戦略の中に日本が逃げ道のないかたちでビルトインされていることに深い無力感を覚えたのではないかと思う。
政治史が教えるように、アメリカの政略に抵抗する政治家は日本では長期政権を保つことができない。
日中共同声明によってアメリカの「頭越し」に東アジア外交構想を展開した田中角栄に対するアメリカの徹底的な攻撃はまだ私たちの記憶に新しい。
中曽根康弘・小泉純一郎という際立って「親米的」な政治家が例外的な長期政権を保ったことと対比的である。
実際には、中曽根・小泉はいずれも気質的には「反米愛国」的な人物であるが、それだけに「アメリカは侮れない」ということについてはリアリストだった。彼らの「アメリカを出し抜く」ためには「アメリカに取り入る」必要があるというシニスムは(残念ながら)鳩山首相には無縁のものだった。
アメリカに対するイノセントな信頼が逆に鳩山首相に対するアメリカ側の評価を下げたというのは皮肉である。
朝日新聞のコメント依頼に対しては「マスメディアの責任」を強く指摘したが、(当然ながら)紙面ではずいぶんトーンダウンしているはずであるので、ここに書きとめておくのである。



2010.06.02
思考停止と疾病利得
政治向きのことをブログに書くと、しばらく接続が困難になるということが続いている。
べつにサイバー攻撃とかそういうカラフルな事態ではなく、一時的にアクセスが増えて、「渋滞」しちゃうのである。
それだけ多くの人が政治についてのマスメディアの報道に対してつよい不信感をもっており、ミドルメディアに流布している現状分析や提言に注目していることの徴候だろうと私は思う。
今回の普天間基地問題をめぐる一連の報道によって、私は日本のマスメディアとそこを職場とする知識人たちはその信頼性を深く損なったと思っている。
新聞もテレビも、論説委員も評論家も、「複雑な問題を単純化する」「日本の制度的危機を個人の無能という属人的原因で説明する」という常同的な作業にほぼ例外なしに励んでいた。
ほとんどのメディア知識人が「同じこと」を言っているのだから、「他の人と同じことを言っていても悪目立ちはしないだろう」という思考停止がこの数ヶ月のメディアの論調を支配している。
私はその時代を知らないけれど、「大政翼賛会的なものいい」というのはたぶん同時代の人々にこのような種類の徒労感を及ぼしたのだろうと思う。
だが、私はそれを彼らの「知的怠慢」というふうに責める気にはならない。
「複雑な問題を属人的無能という単純な原因に帰して説明した気になる」というのが思考停止の病態であると言っている当の私が「これはメディア知識人たちの知的怠慢という属人的無能のせいである」とその病のよってきたるところを説明したのでは、「ミイラ取りがミイラ」になってしまう。
これだけの数の人々が一斉に同一の病態を示すときには、属人的無能には帰しがたい「構造的理由」があると推理した方がいい。個人の決断を超えた「集合的無意識レベル」でのバイアスがかかっていると考えた方がいい。
「それは何か」を考える方が、知性が不調になっている個人をひとりひとり難詰して回るよりリソースの配分としては経済的である。
メディア知識人たちは何について思考停止に陥っているのか。
「知識人」というのは「一般人より多くの知識・情報をもち、一般人より巧みに推論する」という条件をみたすことで生計を立てている。
だから、「知識人」のピットフォールは「自分が構造的にそこから眼を背けていること、それが論件になることを無意識的に忌避していること」は何かという問いを自分に向けることができないということである。「自分は何を知っているか」を誇示することに急であるため、「自分は何を知りたくないのか」という問いのためには知的リソースを割くことができない。そのような問いにうっかり適切に答えてしまったら、自分の知的威信が下がり、世人に軽んじられ、仕事を失うのではないかと彼らは怖れている。
だが、たいていの場合、「それを主題化することにつよい心理的抑制がかかる論件」の方が「それについてすらすら語れる論件」よりも自分がなにものであるかを知る上では重要な情報を含んでいる。
マスメディアを覆っているこの「構造的無知」は、日本人たちの「自分たちがほんとうはなにものであるかを知りたくない」という欲望の効果であると私は思っている。
前に未知のアメリカ人からメールで普天間問題についての見解を訊かれたことがあり、そのとき私はこんな返事を書いた。
「喫緊の仕事は東アジアにおける米軍のプレザンスが何を意味するかを問うことだと私は考えています。
しかし、日本の『専門家』たちはアメリカのこの地域における外交戦略についての首尾一貫した理解可能な説明をすることと決して試みません。彼らが問うのはどうすればアメリカの要求に応じることができるか、アメリカの軍事行動のために日本領土を最適化するためにはどうすればいいのか、それだけです。

彼らにとってアメリカの要求は彼らがそこから出発して推論を始めるべき『所与』なのです。彼らは決して『なぜ?』と問いません。
私はこの症候を『思考停止』と呼んでいます。
日本人の過半数は、『アメリカ人はどうしてこんなふうにふるまうのか?』という問いを立てるたびにこの病的状態に陥ります。
この弱さは歴史的に形成されたもので、私たちのマインドの中に深く根を下ろしています。あの圧倒的な敗戦が、ことアメリカに関する限り、条理を立てて推論する能力を私たちから奪ってしまったのです。
おそらくあなたはそのような弱さを持ち続けることは不自然だとお考えになるでしょう。それは私たちに何の利益ももたらさないから。
けれども、私がこれまで繰り返しさまざまなテクストに書いてきたように、私たちはこの弱さから実は大きな利益を引き出しているのです。
私たちは自分に向かってこう言い聞かせています。私たちとアメリカのあいだには何のフリクションもない、すべてのトラブルは国内的な矛盾に由来するのだ、と。護憲派と改憲派のあいだの対立、平和主義者と軍国主義者の対立、豊かなものと貧しいものの対立、老人と若者の対立・・・などなどこのリストはお望みならいくらでも長くすることができます。
真の問題は日本国内における対立に由来する。そして、国内的対立が問題である限り、私たちはそれをハンドルすることができる。
『私たちはそれをハンドルすることができる。』
これが私たちがそれを国際社会に向かって、とりわけアメリカ人に向かって焦がれるほどに告げたい言葉なのです。
ご存知のように、普天間基地問題について、日本のメディアはアメリカの東アジア軍略についても、日本領土に基地があることの必然性についても、ほとんど言及していません。彼らは鳩山首相の『弱さ』だけにフォーカスしています。彼らは首相を別の人間に置き換えさえすれば、私たちはまたこの問題をハンドルできるようになる、そう言いたいのです。普天間問題はなによりも国内問題である、と。
日本人がアメリカ人と向きあうときに感じる『弱さ』はこの『想像的な』主権によって代償されています。私たちはアメリカとのあいだにどのような外交的不一致も持たない。すべての混乱は日本国内的な対立関係が引き起こしているのだ。そのようにして、私たちは私たちに敗戦の苦い味を私たちに思い出させるアメリカ人をそのつど私たちの脳から厄介払いしているのです。
私はこのような急ぎ足の説明では日本人がアメリカ人と向きあうときの奇妙なマインドセットを説明するのに十分であるとは思いません。しかし、私はあなたがこの説明で日本人を理解するとりあえずの手がかりをつかんでくれることを希望します。」
アメリカ人の友人がこの説明でどこまで事情を理解してくれたのか、私にはわからない。
「そのような説明をこれまで聞いたことがなかった」という感想が届いたが、「それで納得した」とは書いていなかった。
ややこしい話だから、メール一通で説明できるとは私も思っていない。
とりあえず言えるのはメディアの「集団的思考停止」は日本人の欲望の効果だということである。
この思考停止は「私たちは主権国家であり、私たちは外交的なフリーハンドを握っている」という言葉を国際社会に向けて、アメリカに向けて、なにより自分自身に向けて告げたいという切なる国民的願いが要請しているのである。
事実を知れば自己嫌悪に陥るとき、私たちは自分自身についてさえ偽りの言明を行うことがある。
それは人性の自然であるので、それを咎めることは誰にもできない。
けれども、散文的な言い方を許してもらえば、自己欺瞞が有用なのは自分を偽ることによって得られる「疾病利得」が、適切な自己認識のもたらす自己嫌悪の「損失」を上回る限りにおいてである。
疾病利得は「自分が詐病者であることを知っている」という「病識」の裏づけがある限りかなり長期に維持できる。けれども、自分を偽りながら、かつそのことを忘れた場合、それがもたらす被害は疾病利得をいずれは上回ることになる。
私たちはもうその損益分岐点にさしかかっているのだと思う。
今回のマスメディアの「集団的思考停止」は私たちがすでに損益分岐点を一歩超えてしまったことのおそらくは徴候である。


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もう一度、確認のためにアクセスしてみましたが、またアクセスできませんでした。もしかしたらコピペが尻切れとんぼかもしれません。
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