ふくろう日記・別室

日々の備忘録です。

万緑叢中紅一点

2013-06-25 00:24:29 | Memorandum


ほとんど「耳にタコ」のお話なのですが、覚書として書いておこうか。
柘榴の花が散ってしまう前に。

近所に柘榴の樹があります。
散歩や買い物やあるいは病院に行く時には必ずそこを通ります。
紅色の花の季節になると、同行者が何度も同じおはなしを繰り返します。
初めて聞いた時には「そうだったの!」と、いたく感激したものでしたが……。

この様子を「紅一点」と言うことの語源は
中国の王安石の詩「詠柘榴」のなかに「万緑叢中紅一点・ばんりょくそうちゅうこういってん」という一節に由来する。
豊かな緑の中に咲いた一輪の柘榴の紅い花という情景である。

初夏の万緑のなかに、石榴の紅い花が咲く様子は、たしかにはっとするものがあります。
他に紅い花は見当たりませんし。

それが、いつのまにか男性ばかりの中にいる一人の女性という意味に使われたり、
多くの者のなかで、異彩を放つ者という意味になっていったということでした。

ちなみに、柘榴は中国から渡来した落葉喬木です。

今年も同行者の「御説?」により、「耳のタコ」がふとりました(笑)。


   柘榴咲く市井にかくれ棲みにけり   (高橋淡路女)

「帝国」という時代

2013-06-22 02:21:24 | Haiku



履歴書に残す帝国酸素かな   (摂津幸彦)


攝津幸彦(せっつ ゆきひこ)は、1947年1月28日生まれで1996年10月13日に49歳の若さで病死なさったようだ。
この生年から考えると、彼は戦後生まれで「帝国」とは無縁の人生を送っていると思われる。

1930年 - 帝國酸素株式会社 設立。
1981年 - テイサン株式会社に社名変更
1998年 - 日本エア・リキード株式会社に社名変更

この「帝国酸素」に在籍していたのは、おそらくお父上か、その世代の方と思われる。
戦前には創業当時は多くの会社の名前に「帝国」が付けられていた。
戦後大分時を経てから徐々に社名は変更されていった。
その幾つかの例として……。


●帝国人造絹絲株式会社 → 帝人株式会社 →  ロゴマークをテイジンからTEIJINに変更。

●帝國蓄音機商会 →  テイチク

●帝国興信社 → 帝国興信所 → 帝国データーバンク (ここだけは帝国を外さないのね。笑。)


「帝国」という言葉の存在は、歴史を語るものだ。それもかなりの重さで。
「大日本帝国」……なんて恥ずかしい名前だ。

お父上あるいはその世代の方の書かれた履歴書であろうか?
あるいは、自らの履歴書に、お父上のかつて所属していた会社と、その最終身分を書いたのかもしれない。
「書く」ではなく「残す」のである。時の流れとともに「帝国」を脱いだ時代へと移行してゆく時代に……。


国家よりワタクシ大事さくらんぼ   (摂津幸彦)

草取りと草刈り

2013-06-19 00:27:13 | Haiku



「草取り」とは、庭などの雑草を取ること。これは根こそぎ取る。

「草刈り」とは、農家などが家畜の飼料や耕地の肥料にするために里山などで草を刈ること。根こそぎ取らない。
この草を干して牛馬の飼料にする。雑草は花を持つころが収量も多く養分に富むので、花期の頃に草刈りをして干草にする。
耕地の肥料にするには、刈りとった草を堆肥にする。

草刈り・ウィキペディア


十指みな使いきったる草刈女   (長谷川栄子)

雨あしをともに刈りこむ草刈女   (庄中健吉)

雨のあくる日の柔らかな草をひいて居る   (尾崎放哉)


「草刈女」は、庭の草取りをする女性のことではない。
農業の大切な部分を担う仕事をしている。その名の通り女性が担う。今は機械がやるのかしら?

上に伸びてゆく草、下降線を描く雨足……その2つの線を草刈女は同時に刈るのですね。

そして「草をひく」のは、雑草を抜いていることであって「草取り」の意味になる。

菖蒲・花菖蒲・あやめ・杜若

2013-06-18 13:46:44 | Stroll
この季節になると悩ましい花となる。しかしこれらはすべて「アヤメ科」である。

菖蒲=「ショウブ」と読めば、端午の節句の菖蒲である。これだけは「サトイモ科」です。

菖蒲=「アヤメ」と読めば、外花被片の基部に黄色と紫色の網目模様(虎斑)がある。「アヤメ」だけは花壇でも育つ。


 《アヤメ》

花菖蒲=沼地や湿地に育つ。基部に黄色が見えるのが特徴。
しかし、某公園に花菖蒲を観に行ったが、「菖蒲祭り」という横断幕がある。
そこにあるのは、花菖蒲田である。ややこしい。
花菖蒲で名高い公園などでも、「○○菖蒲園」という通称が固定しているので、さらにややこしい(笑)。


 《花菖蒲》


杜若(かきつばた)=基部に白色が見えるのが特徴。沼地や湿地に育つ。



一人づつ菖蒲の中を歩きけり   (長谷川かな女)

わかれわかれになりて歩きぬ菖蒲園   (長谷川かな女)

旅かなし紫あやめ野に咲けば   (富安風生)

燕子花(かきつばた)書院は池に影正し   (水原秋櫻子)

いくさ傷らいの傷秘め菖蒲湯に    (村越化石 )


上の2句はおそらく「花菖蒲」のことかしら???


《おまけ》

尾形光琳作『八ツ橋図屏風』



尾形光琳・燕子花図(かきつばたず)

巣箱まだ生きてゐるなり倒れ榛

2013-06-15 16:27:58 | Haiku
  
《ハンノキの今の季節の姿》


《ハンノキの花は、雌雄同株、雌雄異花で、若葉が出る前(2~3月)に咲きます。長いのが雄花、丸いのが雌花》

はんの木のそれでも花のつもりかな    一茶     (なるほど)


我が散歩道には、たくさんのハンノキがあるので、歩くたびに下記の句を思いだして、
気になって仕方がなかったので、自己流解釈を試みます。


巣箱まだ生きてゐるなり倒れ榛     中戸川朝人  『巨樹巡礼・2013年』所収


【榛】は「はり」と読んで、「ハンノキ」の古名ということになる。
「はしばみ」と読めば「ハシバミ」 ということになる。
5・7・5の「5」に字余りなくおさめるには「はり」が選択されるだろう。

だから「タオレハン」という読み方はあり得ない。
「タオレハリ」と読むのではないだろうか?

ハンノキは、幹は真っすぐに伸びてゆくし、根はしっかりとしていて水辺や畦に立っていることができる。
水田の畔に、稲のはざ掛け用に植えられることもあるし、川岸に護岸用に植えられることもある。
荒廃地や山の復旧対策のために植えられることもある。つまり根が強靭だということ。

その木が倒れるということは余程の状況があったはず。
だから「巣箱まだ生きてゐるなり」ということが格別のことになるのではないか?

湖北では、ハンノキを畔に植える風景が少なくなったという。
農業の機械化が村の風景を変えてゆくのだろう。
かつては、稲のはざ掛け用に、あるいは昼食の時間には、その木陰に人々が集うこともあったようだ。

消えたハンノキの里・湖北の原風景

さらにハンノキの豊かな話は尽きない。
ケルトの守護樹にもハンノキは「4月の樹」としてえらばれている。

ケルトの守護樹

夏のはじめとおわりの唄   多田智満子

2013-06-06 01:05:02 | Poem


はじめ


  子午線の上に旗が立つ
          五月
          五月
        愛を待つ


         光る鳩
キリキリ舞いするキリスト
  白い波止場に波が立つ
       夢が泡立つ
        風が立つ


  ふかくえぐれた波の跡
      まぶしい羽音
         散る鳩
  裸のマストに蜘蛛の巣
  そして孤独なママゴト
          五月
          五月
        愛を待つ



おわり

     
    首をかしげた港町
     クレーンまわり
     ひまわりまわり
まわりおえて枯れてしまい
   丘は火葬場のけむり
   海辺は工場のけむり
まじりあって消えてしまい
         ………
  遁走する船にむかって
屋上の子供たちは手旗信号


 いっせいにサイレン鳴り
 いちめんにコスモス揺れ
  幾千の眼がしばたたき
     そしてしずかに
  海は坂からずり落ちる


(詩集「薔薇宇宙」・1964年)より



詩のなかに「季節」が欲しいと切実に思うようになった。
間もなく夏の日々がやってくる。「愛を待つ」季節なのだろうか?
夏のおわりには、「海は坂からずり落ちる」のだろうか?


陽はおちてゆきながら
異国の空に朝を届けにゆく
円形の時間は几帳面に
アポロンの馬車の轍を描き続ける
短夜の闇にうなだれて
ひまわりが疲れた花首をさすっている夢をみた

『野の舟忌』

2013-06-01 01:11:24 | Poem


5月30日は、詩人清水昶さんの三回忌でした。
その日に昶さんの忌日に「御名前を。」と願っていましたが、
望み通りに「野の舟忌」と決まりました。

さて、生きている者は生きていかなければならない。

いざ生きめやも。