ふくろう日記・別室

日々の備忘録です。

きな子

2010-08-31 22:18:41 | Movie
『きな子~見習い警察犬の物語~』予告編




きな子~見習い警察犬の物語・オフィシャルサイト

きな子~見習い警察犬の物語・Wikipedia

この映画は実話です。まだ訓練中らしい。詳細は上記の2つのサイトでどーぞ。

ドッグトレーナーの「宮忠臣さん」のおっかけ及び犬の映画のおっかけです(^^)。

不幸な国の幸福論  加賀乙彦

2010-08-28 00:44:55 | Book
この本の第1章の冒頭では、2008年6月の「秋葉原通り魔事件」で17人もの無差別殺傷の罪を犯した「K青年」について書かれています。非正規労働者の使い捨てと経済不況、その反対側には富める者たちが生きているという格差社会のなかにおいて、今日の日本では誰もが幸福に生きてゆくことは難しいのです。さらに政治への無関心、あるいは生きてゆくことに一切の希望やら期待を持たない人々・・・・・・。

この不幸な国において、人間がどのように物事を考えて、自らを幸福に向かわせることができるのか?・・・・・・という視点が本書の目的と思われる。そのために時には「神」さえも呼び出さなければならない。

80歳(本書の出版年は2009年。)の精神科医であり、作家である加賀氏が「悪魔のささやき」の続編として、より読みやすく書かれたものと思われます。本書の結びには、分子生物学者の「村上和雄」の言葉が引用されています。


『私たちの遺伝子は38億年前に存在したと思われます。そこからずっと進化を遂げてきて、1度も途切れていない。どこかで途切れていたら、もう人間の存在はありません。私は存在できないんです。ですから人間として生まれてきたということは、それぞれの人が38億年間、1度も負けていないことなんです。勝ちっぱなしということです。』


上記のように永いスタンスで人間の生命の歴史を、あらためて見つめ直してゆけば、人間の目先の「勝ち組」やら「負け組」やらというおろかしい世間値が、どれほど馬鹿馬鹿しいものであるか、よくわかる。

かつて幼稚園から高校(ここでその先の大学もほぼ決まる。)時代までの子供を育てていた頃のこと、周囲の母親たちの異様な熱気を感じとったことは今でも忘れない。大方の母親たちが、運動会では1等に、学業成績全般でも1等に・・・・・・というように我が子を「勝ち馬←失礼!!」として育てることに専念する熱意に、息がつまる思いに悩まされました。

1つの生命の誕生が、すでに決められた遺伝子によって構成されているとしたら、この運命を謙虚に引き受けて生きてゆく以外ないのだと思います。加賀氏が各章に置いた言葉「正しく悩む」「正しく諦める」「幸せには理想型はない」「死を思うことから生きることを思う」「日本人は個(子ではありませんよ。)育てができない」・・・・・・この言葉を道標としてあらためて考えて、この国で生きてゆこうと思う。

 (2009年第1刷~2010年第5刷・集英社新書)

遅れてきた夏休み

2010-08-19 23:55:48 | Letter
8月15日までなんとか頑張って書いてきましたが、この辺でしばらく夏休みとします。
子供たちはまだ夏休みですね。それに倣って遅い夏休みとします。最後に・・・・・・。

大王が海賊に「海を荒らすのはどういうつもりか」と問うたとき、海賊はすこしも臆するところなく「陛下が全世界を荒らすのと同じです。ただ、わたしは小さい舟でするので盗賊と呼ばれ、陛下は大艦隊でなさるので、皇帝と呼ばれているだけです」と答えた。

 (アウグスティヌス・「神の国」より)

月曜物語 アルフォンス・ドーデー

2010-08-16 01:25:50 | Book
アルフォンス・ドーデー(1840~1897)は、普仏戦争(1870年7月19日~1871年5月10日)の時代を生きた作家です。
これは、フランスのドイツからの侵略時代を描いた短編(第1部・幻想と物語26編&第2部・空想と追憶15編)41編が収録されています。


「最後の授業」

これはアルザスの小学校が舞台となっています。ドイツが間もなく攻囲するであろう最後の授業なのです。つまりフランス語の授業はこれが最後です。このたった7ページの短編ですが、ここには侵略というものの実態がよくわかります。侵略は必ず母国語と宗教を取り上げるのですから。


「ベルリン攻囲」

第一帝政時代の胸甲騎兵であったジューヴ老大佐の住まいは、フランス軍の凱旋を見るがためにシャンゼリゼー通りのバルコンつきのアパートだった。

しかし「敗報」が届くと、大佐は倒れ、そのまま寝たきりになってしまう。回復の見込みのない大佐に次は「勝報」が届くと、たちまち元気になりましたが、これは誤報でした。しかし家族はそれを隠し通したのです。

ドイツの戦場に行っている息子から便りがこなければ、娘は嘘の手紙を大佐に読んで聞かせたのでした。上記はその手紙への大佐の返事です。これはとても大切なことがたくさん含まれています。

『フランス人であることを決して忘れるな・・・・・・哀れな人たちに寛大であれ。あまりひどい侵略をしてはならない。・・・・・・そして所有権を尊敬すること、婦人に対して礼儀を守ること。(中略)講和の条件としては戦費の賠償のみ、他に何も望むな・・・・・・土地をとってなんの得るろころがあろう?・・・・・・ドイツをもってフランスは作れない・・・・・・』


以上、こころに残った2編を書いておきます。体調が思わしくなく、15日までに全部読みきることができませんでした。残念ですが、またいつか書くこともあるでしょう。なによりもこの本を薦めて下さった方に深く感謝いたします。

  (1997年・第57刷・岩波書店刊)

退廃姉妹  島田雅彦

2010-08-15 21:23:44 | Book
8月15日、この小説を「旧ふくろう日記」より再録します。

 「そんな日本へようこそ。いつの時代も退廃姉妹がお相手します。」これがこの小説の結びの一行です。この小説は東京の目黒の一家族の辿った戦中から戦後六十年までの歴史が書かれています。主人公は敗戦を女学生の時にむかえた美しい二人の姉妹(有希子・久美子)です。母親は戦争勃発直前に恋人と心中。父親は映画制作会社をやっていましたが、戦時下では戦争高揚の映画制作を余儀なくされ、また戦後には、「国策」としての「売春組織」へも協力をしていました。一家三人の貧しい生活の最中、父親は納得のいかない罪(米兵の人肉を食した。)により検挙され、父の借財を背負いながら、姉妹は生計の道を考えなければならなかった。

 やがて目黒の自宅は、二人の女性も加わって「スプリング・ハウス」となりました。姉は体を売らず(生きて帰れたら、必ず逢いに来る、と約束した後藤青年のため。)妹を含めた三人の女性は体を米兵に売りました。父親が釈放されるまで、その生活は続き、姉は後藤と再会、父の帰宅とともに「スプリング・ハウス」は閉じられた。
 
姉の有希子は特攻帰りの後藤とむすばれる。有希子はその時、それは原初から引き継がれた人間の営みのその末端にいることを思いめぐらして、亡き祖母や母の視線にさらされている自分の肉体を思うのだった。(稲葉真弓の詩集「母音の川」などをふと思い出す。)


   (前略)
   祖祖祖祖母から祖祖祖母 祖祖母から祖母に 母にと
   白い種子は流れてきた
   うめき 叫び ゼリーのようにふるえ
   芽吹き 噴火し 落下してゆく カラダのなかの
   なづけようもない種の反復

   蛇行する川 次々と生まれる川を
   きょうも少女たちが渡ってゆく
   白い素足を濡らし 生温かい声を上げ
   ここは木曽川
   (カラダなんてウ~ザッタイじゃん)(足から魚になりたいよ)
   (後略)

   「22・それでも川は流れていく」より抜粋。


 また、2人の姉妹はそれぞれに生き迷いながら、未遂に終わった自殺(母親と同じ)も潜り抜ける。妹の久美子は女優になり、「肉体の門」の主役を演じて好評を得たが、結婚。姉妹は共に母となり、祖母となってゆくが、孫たちはまたその時代の「スプリング・ガール」を繰り返すのだった。この本来重いテーマを島田雅彦はスムーズにストーリー展開させながら、見事にその裏側には、島田特有の戦争と天皇制への皮肉あるいは批判が、チクチクと姿を現すのが小気味よい。

 母親の恋と自殺、父親の売春組織の仕事、これらは結局二人の娘が轍を踏む運命を背負っていた。そしてそれは形を変え、表情を変えながらも世代を流れてゆくのだった。戦争もまた。。。

【付記】
 戦争体験のない島田雅彦氏が、何故このような小説を書いたのか、その後でずっと考えていました。つまり時代は受け渡されてゆく。戦争も国家も天皇制も、経験者は高齢化しました。今その実体験のない若い世代の視点から、新たにこれらの問題を雪ぎ直し、再検討されることはとても必要なことかもしれません。

(2005年8月10日・文藝春秋刊) ←これは戦後60年敗戦記念日5日前ですね。

名犬ラッシー

2010-08-14 15:10:26 | Movie

名犬ラッシーオフィシャルサイト

監督:チャールズ・スターリッジ
プロデューサー:エド・ギニー
原作:エリック・ナイト(1940年)「名犬ラッシー 家路」

《キャスト》
ラッシー:イギリスのスコットランド原産の牧羊犬種であるラフ・コリーの雌犬
ジョー:ジョナサン・メイソン
ジョーの父親のサム:ジョン・リンチ
ジョーの母親のサラ:サマンサ・モートン
シーラ:ヘスター・オジャース
ラドリング公爵=シーラの祖父:ピーター・オトゥール
旅芸人のロウリー:ピーター・ディンクレイジ


すみませぬ。最近はお子様向きの映画ばっかりですねぇ。「戦後65年」に関することを考えてばかりいますと、こうした脳の余白に入るものがあるとすれば、もう観ただけでトロトロしてしまうような映画だけです。犬が大好き♪

過去に繰り返し、連続テレビドラマ化、アニメ映画化されてきましたが、これは劇場用映画として制作されています。原作に忠実なストーリー展開と、美しい自然が展開されて「ラッシー」のやさしさやひたむきさが見事に描かれています。普通、動物映画では容貌の似た数頭の動物が、演じることが多いのですが、この映画ではほとんど1頭の犬が頑張ったそうです。なんておりこうさん♪

舞台はイギリスのヨークシャーの小さな炭鉱の街。両親と暮らす9歳の少年「ジョー」を放課後になるといつも校門の前で待っているのが「ラッシー」でした。道行く人が振り返るほど美しい雌のラフ・コリー犬でした。「シーラ」も魅せられた1人でした。

ところが父親が働く炭鉱が閉鎖し、生活に困った両親がラッシーを裕福なラドリング公爵に売ってしまったのです。ラドリング公爵は気難し屋ですが、孫娘の「シーラ」だけは大層可愛がっていました。「ラッシー」を手に入れたのも、第二次世界大戦の影響でロンドンから疎開してきたシーラをなぐさめるためでした。(ほら。ここにも戦争の犠牲者が・・・。)しかし、両親と離れて寂しい思いをしている「シーラ」は「ラッシー」も同じ気持ちなのではないか?と感じます。

「ラッシー」は3度の脱走をします。まずは「ジョー」の下校時間に。檻の下の土を掘って、そこを潜りぬけて脱走!

2度目の脱走を図った「ラッシー」を、自らの手で公爵に返した「ジョー」は、父の言いつけに従い、「ラッシー」に別れを宣言します。「ここで幸せになれ。2度と帰ってくるな。お前みたいな悪い子は嫌いだよ。」それでもラッシーは3度帰ってきました。

しかし、公爵は遠いスコットランドの城に「シーラ」と「ラッシー」を連れて帰ることになりました。初夏のスコットランドの城で、「ラッシー」の規則正しい生活が始まりました。しかし「シーラ」だけが、ラッシーがまだ帰りたがっていることを知っていました。遠く離れたこの地でも、やはり「ジョー」を迎えにいく時間になると、「ラッシー」は落ち着きません。(これは「忠犬ハチ」に似ています。)「シーラ」は遂に「ラッシー」を城から開放します。

険しい岩山を越え、ネス湖の優美な湖岸線を走り、厳しい大自然の中をひた走る「ラッシー」は、心やさしい道連れと出逢います。人形芝居を子供たちに披露する旅芸人のロウリーと、彼の相棒の小型犬トゥーツです。仲間とのひとときの旅に別れを告げた頃には、厳しい冬がもうすぐそこまで近づいていました。

とうとうラッシーは、懐かしい街へとたどり着きます。その距離800キロ。泥で汚れ、痩せ細っていましたが、「ジョー」と再会できたのはクリスマスの夜でした。

しかし、公爵の忠実な犬係りは、しつこく「ラッシー」を見つけ出し、ヨークシャーの屋敷に戻った公爵のもとに連れていきますが、公爵は「こんな痩せた汚い犬を買った覚えはない。」としらばっくれて(^^)。。。

それから「シーラ」は自転車に乗って、「ジョー」の家の「ラッシー」に会いにゆくようになりましたとさ。元気になった「ラッシー」はやがてママになりました。少年と少女と母犬と仔犬が草原で楽しく遊びましたとさ♪

ミス・ポター

2010-08-12 21:16:21 | Movie
「ミス・ポター・オフィシャルサイト」

製作国: イギリス アメリカ
製作年: 2006年
配給: 角川映画

監督:クリス・ヌーナン
脚本:リチャード・モルトビー・Jr
撮影:アンドリュー・ダン
美術:マーティン・チャイルズ
衣装:アンソニー・パウエル

《キャスト》
ビアトリクス・ポター:レニー・ゼルウィガー
ノーマン・ウォーン:ユアン・マクレガー
ミリー・ウォーン(ノーマンの姉):エミリー・ワトソン
ヘレン・ポター(ビアトリクスの母親):バーバラ・フリン
ルパート・ポター(ビアトリクスの父親):ビル・パターソン
バートラム・ポター(少年時代):オリバー・ジェンキンス
ミス・ウィギン(ビアトリクスの付添い):マテロック・ギブス
ミセル・ウォーン(ノーマンの母親):フィリーダ・ロウ
フルーイング・ウォーン(ノーマンの兄):デヴィッド・バンバー
ハロルド・ウォーン(ノーマンの兄):アントン・レッサー
ウィリアム・ヒーリス(弁護士、ビアトリクスの幼なじみ):ロイド・オーウェン


『ピーターラビットのおはなし』シリーズで知られる「ヘレン・ビアトリクス・ポター・1866年~1943年」は、イギリスのロンドン出身の絵本作家。その彼女の半生を描いた映画である。

1902年、新世紀になってもヴィクトリア朝の封建的な空気が漂うイギリスでは、ポターのような上流階級の女性が仕事を持つことなどあり得ない時代だった。しかし彼女の夢は、幼い頃に保養地の湖水地方で出逢った動物たちの絵本を出版することでした。親がすすめる縁談を断り、1人で生きることを望んでいたのでした。ついに出版を引き受ける会社が現れ、ピーターラビットと仲間たちの物語は、たちまちベストセラーとなる。

最初の夢が叶うと同時に、ポターは編集者のノーマン・ウォーンとの恋に。当然家族の反対(出版社はポターの両親に言わせれば「ただの商売人」でした。)があり、ノーマンの姉ミリーはいつでも彼女を支えましたが、初めての恋は、恋人の突然の死で終わりました。その後ポターは湖水地方に移り住み、豊かな自然に心身を委ねます。ここでウィリアム・ヒーリス(弁護士、ポターの幼なじみ)に再会。

「映画の背景が美しいこと。」が常にわたくしの希望ですが、この希望は裏切られませんでした。イングランドの湖水地方の雄大で穏やかな風景。しかし「荒廃」に向かう自然、農場を不動産として手放す人々・・・・・・ポターはウィリアム・ヒーリスの協力のもと、次々にそれらを購入して農場を営み、自然を守る。遺言でナショナル・トラストに寄付したこの地は、今もピーターラビットの物語の舞台として知られている。

西の魔女が死んだ

2010-08-11 22:37:43 | Movie
監督&脚本:長崎俊一
脚本:矢沢由美
撮影監督:渡部眞
音楽:トベタ バジュン

《キャスト》
おばあちゃん:サチ・パーカー (本名サチコ・パーカー)
まい:高橋真悠
ママ:りょう
パパ:大森南朋
郵便屋さん:高橋克実
ゲンジ:木村祐一

「西の魔女が死んだ・オフィシャルサイト」

原作の「西の魔女が死んだ・梨木香歩著」は4年前に読んでいましたが、映画はテレビでやっと観ることができました。

なにより素敵なことは、おばあちゃんの暮らしぶりです。アメリカの童話作家「ターシャ・テューダー」のように、広大な庭には花や果物、野菜が育ち、鶏も住んでいます。野いちごのジャム、ハーブのお茶、手作りのパンやクッキー。自ら育てた野菜のサラダやスープ・・・ああ夢のようだ。一緒に観ていた愛娘が驚いて「え。お母さんって、そういう生活がしたかったの???」と驚く。

そうよ。したかったわ。でも野菜を作れば失敗ばかり、食べた後の果物の種を植えてみたら、夏みかんの小さな木はアゲハチョウの幼虫に全部葉を食べられてしまって丸坊主・・・そのおかげでアゲハチョウはひらひらと元気に飛び立っていった。それでもいいけど。枇杷の種を植えたら樹はどんどん成長しましたが、いつまでたっても実がならない。リンゴの種から木は育ったけれど10センチほどの時に「うどん粉病」に罹る。トマト、じゃがいもはなんとか成功。茄子とピーマンは実がつかない。虫や蝶が受粉の役割を放棄したのかしら?きぬさやは見事に蔓をのばしていましたが、1晩でいもむしに全部葉っぱを食べられてしまった。

第一条件として、そのような大きな庭や畑のある家に住んだことはない。それでも雑草との戦いはある・・・・・・。もう、あきらめてそれ以後の住処は西洋長屋とあいなったのですよ。魔女修行に大失敗したのですよ。

さてさて無駄話はおしまい。


そんなおばあちゃんの家に、登校拒否の孫娘「まい」が一緒に暮らすことになる。パパは単身赴任、ママは仕事で忙しい、ばらばらな家族だった。おばあちゃんはイギリス人ですが、日本人のおじいちゃんと結婚しましたが、先立たれて、今は1人暮らしです。

おばあちゃんは実は「かくれ魔女」なのです。魔法は使わない。規則正しい生活、よく働き、きちんと食事をとり、人を信じ愛すること、どろどろとした人間関係を見事に美しいものに変えてゆく力があるのです。これで充分「魔女」でしょ?「まい」も魔女修行をします。「死」さえも恐れない人間になるために。それは「死」ののちに魔女は「魂の脱出」ができるからです。

「まい」がママとともにパパの赴任先に行き3人で元通りの暮らしに戻ることになりました。おばあちゃんは、また1人になりました。その時の「まい」のおばあちゃんとの別れ方は決してよいものではありませんでした。その2年後「おばあちゃん」はひとりぼっちで亡くなりました。誰も間に合いませんでした。

「まい」のかつての小さな温室のガラス窓には、こう書いてありました。

    ニシノマジョ カラ ヒガシノマジョ ヘ
   オバアチャン ノ タマシイ、ダッシュツ、ダイセイコウ


「まい」は死に間に合わなかったとしても、おばあちゃんとはずっと一緒に話せるのです。「アイ ノウ」・・・・・・。