ふくろう日記・別室

日々の備忘録です。

ベートーヴェン「第九」特別演奏会

2011-12-22 13:30:00 | Music


指揮:佐渡裕
演奏:創立100周年を迎えた「東京フィルハーモニー交響楽団」
会場:東京文化会館大ホール

12月20日午後6時30分開場、開演午後7時。
午後6時30分より早く文化会館に入った途端、フロアーは大混雑。開場時間は早められ、入場口は2つになるほどに。
席は当然決まっているのですが、何故かせわしない気分。(←こういう気分は苦手。)
それでもわずかな空席があるのですね。

どうやら席に座って、開演を待つだけ。しかしきっちり7時になっても舞台には誰も現れない。ずる。
5分後にやっとチャイムが鳴る。
演奏家たちが現われ、合唱の方々が揃い、やっとマエストロ「佐渡裕」が登場。演奏開始。
今回の目的は「佐渡裕」です。「Love♪♪♪!」です。
大きな体で指揮する姿を見ること。彼が指揮すると「第九」はどのような表情をするのか?という興味でした。

予想通り、快活であり、そして心地よい。
この「心地よい」が曲者で、一心にマエストロの後姿と、時々見せる横顔を見ているうちに、時々うとうと……。
オペラを含めて何回かの演奏会に足を運んでいますが、こういうことはしばしば起きます。
何故か?心地よいからです。睡眠薬よりも10倍贅沢な「うとうと」です。

同行者の1人は「高価なチケット代がもったいない。」という。
もう1人の同行者は「うとうとは自然。ヒーリング音楽には決まったものはない。」という。
どちらも正論ではあるが、マエストロ佐渡裕が下さった「74分?秒の幸福」でした。

  *     *     *

74分で思いだすこと。
まだ開発途上であったカセットテープ、MD、CDの音楽収録時間の基準をどうするか?というメーカーの試案があった。
開発の過程でカセットテープの対角線と同じでDINに適合する(11.5センチ・約60分)を主張するフィリップスに対し、
当時ソニー副社長で声楽家出身の大賀典雄が「オペラ一幕分、あるいはベートーベンの第九が収まる収録時間」(12cm・75分)を主張した。
調査した結果クラシック音楽の95%が75分あれば1枚に収められることからそれを押し通したという伝説めいた話がある。


《ソニーのMD》

さらにカラヤンが「ベートーベンの交響曲第九番を収録できるように」と提言したという伝説もある。
しかし指揮者によって演奏時間は変わり、実際には彼の演奏時間は60数分である。
フルトヴェングラー指揮の交響曲第九番は歴史に残る名演奏とされ、演奏時間もおよそ74分32秒。
同時代のウィーン・フィルとベームやバーンスタインの演奏がそれに匹敵する長さであることから、
これらの演奏がコンパクトディスクの規格になったといわれる。

指揮者によって、演奏時間は異なる。
その面白い例が「小澤征爾」と「村上春樹」との対談のなかにある。(まだ読みかけですので1例だけを。)
バーンスタインがニューヨーク・フィルの演奏会を始める前に、異例のコメントがあった。カーネギー・ホールにて。
「これは本来私がやりたいスタイルの演奏ではない。ミスター・グールドの意思でこうなった。」と。
曲目は「ブラームスのピアノ協奏曲第1番」。
2拍が3拍になるような……。こういうこともあるのですね。

《追記》

23日の15:55からTBSにて「1万人の第九 yell for TOHOKU」が放送されるとのこと。
詩人「和合亮一」&マエストロ「佐渡裕」などなどの共演です。「From OSAKA To SENDAI」です。また逢える♪

モンスター・ママ(メモ2) やさしい虐待

2011-12-16 16:51:52 | Mama


15日、NHK「クローズアップ現代」において下記の内容が放送されました。

「やさしい虐待 ~良い子の異変の陰で~」

「やさしい"虐待……子育てについて考えてみませんか?」


このカテゴリーは、もしかしたらわたくしの遺言かもしれない。
(子供や孫が読んでいるのかどうか?知らないけどね♪)まぁ。思いつくまま(ママ?)にメモしておこう。


かつては「母原病」という言葉もあった。
母親のみが子供へ多大な影響を与えるわけではないし、しかし男は仕事、女は家を守るというかつての常識のなかで生まれた言葉か?
ならば「一族原病」である。


まずは、自分の忘れられない経験から記す。
子供を家庭の外に預ける時(この時代、我が子は4歳から幼稚園。仕事をするお母さんは0歳児から保育所。)
我が子を濁流に投げ込むような心境だった。できることなら行かせたくない。
しかし、これから善きにつけ悪しきにつけ、広い世界が待っている。その広さは母親にはない。
ならば、目をつむり幸運を祈って送り出すのみ。
母親が手を貸さずに、自分のことをできるように準備した。
大したことではない。ボタンをかけられること。トイレを一人でできること。自分の名前が読めること。

子供が、幼稚園、小学校、高校あたりまでの時期に、わたくしは否応なく母親集団のなかにあった。
そこはすさまじい熱気に満ちた世界だった。
日本の経済状態が、かなり楽観できる時代であったせいか、一億中流の時期であった。
どの子供にも、等しく望む教育を受けられる時代でもあった。
するとどうなるか?

算数の不得意な子供は「そろばん塾←まだ、こんなものがあった!」へ。
水泳授業についてゆけない子供は「スイミング・スクール」へ。
先手をとって「英会話スクール」へ。
後はなんだっけ???

のんびり構えているわたくしは「それでいいの?」とまで言われた。
いいのです。所詮わたくしと夫の血を分けた子供……その程度なのですから。
子供からの望みで、それぞれに「ピアノ」と「スポーツチーム」だけ。
水泳もスキーも家族で遊びながら教えた。

「子育ての外部委託」と密かに思っていた。
「あなたたちは競争馬を育てているのですか?」とも……。

さて、子供は小学校へ。
ここでわたくしはちょっとばかり張り切りすぎた(^^)。
学校から帰った子供に「ランドセルをきちんといつもの場所に置きなさい。」
「遊んで帰ってきたら、すぐに宿題を。」などなど何カ条かの約束事を繰り返した。
子供は答える。「ママ、覚えきれないから紙に書いておいて。」グッ!

ここで目が覚めた。子供はすごい!君たちは正しい!

「クローズアップ現代」で紹介していた、毎日の「母子交換日記」ですと?
会話すればいいじゃないか!子供を叱るとともに子供に叱られるママになれ!
「いい子」ってなんだ?どの子も「いい子」なんだよ。母親の勝手な基準が子供を苦しめるだけだよ!

暴言多謝。

猫柳祭・犀星の満州(続)

2011-12-15 22:10:47 | Book
前日には、無駄話で終わったようなメモでした。すみませぬ。

大事なことを書き忘れました。
「猫柳」は、満州の早春を告げる銀色の花なのです。
↓の写真は偶然に、この本を読んでいる頃に、散歩中に撮ったものです。
これは赤い芽なのか?蕾なのか?わかっていませんでした。

しかし、この本を読みながら、改めて「猫柳」を調べてみましたが、これは「猫柳」の蕾でした。
早春を待って、また↓この樹に会いにゆきます。確認してきます。(こういう偶然のし・あ・わ・せ♪)





参照:「猫柳写真集」

猫柳祭・犀星の満州  財部鳥子

2011-12-14 23:46:07 | Book
哈爾濱



今日もまた天日昏し蒙古風  狼山(我が亡父の俳号)

いきなりこの拙句を出すことをお許し願いたい。この本を読む途中から思い出して、とうとう最後まで頭を離れることがありませんでした。

このエッセー集は、小説「天府 冥府・2005年7月7日・講談社刊」
書かれた詩人財部鳥子さんにとっては、「天府」の時代のみを旅した室生犀星の「満州」と、「冥府」までを幼い目で見てきた彼女の「満州」との
大きな時間の経過と、またそこに時を超えて共通する「黄砂」「広大な大陸」のイメージとが交錯した形で書かれています。
子供時代を「ジャムス」で暮らしていらした財部さんにとっても「哈爾濱」は大都会だったようです。
「哈爾濱」はロシアによってつくられた街であり、満州のなかで異国のような魅力あるところであったのだろう。
内村剛介も「哈爾濱学院」の退学を思い留まらせたのは「哈爾濱」という街の抗し難い魅力にあったという。

この本は、時には財部鳥子さんの「冷徹」とも思える犀星への視線が感じられます。
室生犀星が書いた「哈爾濱詩集」や満州を舞台にした小説は、「敗戦国日本」の時代ではないし、短い旅なのですから。
室生犀星の満州への旅(1937年)は、朝日新聞連載小説「大陸の琴」のためであったらしい。(これが犀星唯一の海外旅行である。)
この旅のために、犀星はこれも生まれて初めて「背広上下、Yシャツ、コート」を新調している。
洋服を着たことのなかった犀星は、この苦痛にも耐える旅だったらしい(^^)。


わたくしが「満州」「哈爾濱」に拘るのは、父が大学卒業と同時に「哈爾濱」へ行ったからです。
そして母はまさに「大陸の花嫁」として、父のもとへ嫁いで、敗戦、引き揚げを経験しているからです。
教師だった父には当然たくさんの教え子がいます。同僚もいます。
そういう方々も含めて、1度でも敗戦前の満洲…とりわけ「哈爾濱」で暮らした者にとっては、
そこは故郷のようになつかしい場所となるようです。敗戦ののちにもそれは変わらないのです。
母は頻繁に「マーチョ」に乗って、「キタイスカヤ街」へ買い物に行っていたようです。
幼い頃から、「哈爾濱」の思い出話ばかり聞かされて育ったわたくしにとっても、特別な故郷のようです。
(記憶は皆無ですが…。)


そして小さな島国、湿度の高い文化や風景に比べて、
数日かけて「黄砂」や「広大な風景」を通り過ぎてのちに、辿りついた「哈爾濱」という都会は驚くべきものであっただろう。
そこは「ロシア」の風景であった。
室生犀星が青春期に親しんだロシア文学への思いも重なってくるのは当然のことだったろう。
「詩は美しい若者が書くもの」と決めて、詩を離れ小説に越境していった犀星に「哈爾濱詩集」を書かせる魔力があったということか?

犀星が満州の行く先々で、新聞社の案内で行くところは、大方女性のいる(かなりきわどい)酒場であった。
そこで働く女性たちの社会的立場はひどく低いものであった。

ここでまた、父の話になるが、「哈爾濱」取材に訪れた、某作家の案内役を依頼されたという話がある。
父が連れていったところは、もとは修道院、今は酒場という場所で、そこを舞台に小説が書かれている。
……というわが一族の伝説もある。。。


一体わたくしはなにを書きたかったのか?混乱しているままで御免。

(2011年8月30日・書肆山田刊)

モンスター・ママ(メモ1)

2011-12-06 21:03:32 | Mama
こういうことは、このブログには書かないという姿勢を通してきました。
しかし、幼い孫が家庭から教育機関へと世界を広げる時がきて、
我が子の育児に翻弄されていた若い時代を反省しつつ、懐かしい思いもあります。
そして、戦時を潜り抜けた我が母がどのようにしてわたくしを育てて下さったのか。
そして祖母のやさしい思い出などがどっと押し寄せてきました。
その流れのなかで、思い付いたり、思いだしたりしたものを書いてゆきたいと思います。
よって、新しいカテゴリーの「Mama」を設けました。


(ミレイ・はじめての説教)


さて「モンスター・ママ」とはなにか?
たとえば、大学生の息子が「毎日真面目に通学しているか?」と大学に問い合わせをするママ。
子供たちは幼稚園入園から家庭の外へ世界を作る。
そこからは、母親と教師の役割は分けられる。(あるいは家庭と外部教育機関に)。

その分担の境界線を乗り越えて、どこまでも我が子を追い続けるママ。
そのママに反抗もできない大人子供!
そういうママに対応すべく、教師たちも作戦をたてる。

たとえば、幼稚園での先生のママたちへの対応の1つ。
A君が悪気もなく、Bちゃんに飛びついてしまってBちゃんが軽い怪我をする。
先生は当然注意をするのだが、そのあとでA君のママに連絡。
A君のママはBちゃんのママに連絡と謝罪。

「モンスター・ママ」が教育機関へ文句を言ってくる前に手を打つ教師たち。
これらが「モンスター・ママ」への対応策である。(←責任逃れとも言う。)

こうして、モンスター・ママがどんどん増殖する。
その源を辿れば(どこまで辿ろうか?)ママのママ、そのまたママに???

(つづく)