ふくろう日記・別室

日々の備忘録です。

La Strada(道)-Gelsomina/Nino Rota

2011-01-30 22:06:57 | Music
La Strada(道)-Gelsomina/Nino Rota




何度もこの映画は観ていましたが、今日のNHKで「ニーノ・ロータ」の生誕100年の記念音楽番組を観ましたが、
やはりこの映画音楽が一番好きでした。


監督 フェデリコ・フェリーニ
脚本 フェデリコ・フェリーニ
音楽 ニーノ・ロータ

ザンパーノ:アンソニー・クイン
ジェルソミーナ:ジュリエッタ・マシーナ



おお~ ジェルソミーナ
あわれな子
口笛ふいておどけてみせる~♪


あの有名なトランペットの曲が流れると、自然と歌っていましたが、誰が歌ったのか?あらためて思いなおすと、
誰がこの日本語の歌を歌っていたのかわかりません。

この女優さんがチビで目が大きくて、娘から「お母さんにそっくり。」ともいわれました。喜ぶべきか?否か???


《おまけ》

数日前、古い映画「炎の人・ゴッホ」を観ましたが、ゴーギャン役がこのアンソニー・クインでした。
このザンパーノとゴーギャンは、女性の愛に依存しながら、その愛に気づく時には、すでに孤独の淵に居たという点では似ている。

孤独の発明(The Invention of Solitude.)  Paul Auster

2011-01-27 15:13:05 | Book


翻訳:柴田元幸


1947年、ポール・オースターはニュージャージー州で、中流階級のポーランド系ユダヤ人の両親の元で生まれる。
1970年に コロンビア大学大学院修了後、石油タンカーの乗組員としてメキシコに移る。
その後フランスに移住したが、1974年にアメリカに戻る。
帰国後、大学時代から交際していた女性と結婚する。


しかし、この小説は自伝ではないが、子供が幼い頃に離婚したことになっている。子供とも別れた。
これが「孤独」というキーワードに大きく関わっていることも避けがたい。
柴田元幸の「訳者あとがき」によれば、ポール・オースターの執筆世界が「狂気」だとすれば、
家族(2人目の妻と2人の子供。)が彼を「狂気」から「正気」にさせてくれる世界なのだと。


以下、引用部分は太字とします。


『不可分のモナド。それから、いまようやく思いあたったかのように、一個のひっそりとした微細な細胞のことを考えた。
 いまからおよそ3年前、彼の妻の肉体を這い上がってゆき、やがて彼の息子となった細胞のことを。』



1970年代には、ポール・オースターは詩人であった。またマラルメなどフランス詩人の翻訳もした。
1982年に出版された、この「孤独の発明」が作家としての第一作となる。


複雑な人間との関わりと、記憶の向こう側に起きた出来事との人間の繋がりなど、
そうしたものの積み重ねと繋がりのなかで人間は生まれて生きているのだろう。
その基盤にあるものは「孤独」なのだと思う。それを見据えることこそ生きていることなのだろう。
このオースターの小説の第一作が「孤独の発明」であるということは、ひどく象徴的に思えてならない。
さらに言えば、これらの言葉は置き変え不可能だと思えるほどに緊迫しているのだった。


『ポンジュ(フランシス・ポンジュ…フランスの詩人)にとっては、書く行為と見る行為のあいだに何の隔たりもないのだ。
(中略)だとすれば記憶というものも、我々のなかに包含された過去というより、むしろ現代における我々の生の証しになってくる。
(中略)そこに存在するためには、自分を忘れなくてはならないのだ。
 そしてまさにその忘却から、記憶の力が湧き上がる。それは何ひとつ失われぬよう自分の生を生きる道なのだ。』

『あるいはまた、ベケットがプルーストについて書いているように、「記憶力のよい人間は何も思い出しはしない。何も忘れていないからだ。」
 そしてまた、自覚的な記憶と無自覚な記憶とのあいだに区別を立てる必要がある。過去をめぐる長大な小説のなかでプルーストがしているように。』



この小説は「見えない人間の肖像」「記憶の書」との2部構成であり、
前者では、父親と父方の祖父母の暗い事件を、当時の新聞記事などを捜し出し、引用しつつ克明に描いている。
もちろんこれは自伝ではないが、「つらくはないのですか?」と問いたいくらいの克明な描き方でした。
そこには祖父母の暗い事件から、彼の父親の生き方に落とされた影が見えてきます。


後者の「記憶の書」では、「記憶の書。その1」から「12」までに分断されていて、
その連鎖によって、読者は書き手とともに「記憶」を彷徨うことになる。
「12」以降は「記憶の書の題辞候補」、「記憶の書。その日の晩。」、「記憶の書の結びの文章。」
……となっている、その全体のプロローグとエピローグは同じ文章で書かれています。

『何も書かれていない1枚の紙をテーブルの上に広げて、彼はこれらの言葉をペンで書く。
 それはあった。それは2度とないだろう。』


『何も書かれていない1枚の紙をテーブルの上に広げて、彼はこれらの言葉をペンで書く。
 それはあった。それは2度とないだろう。思い出せ。』
(←「思い出せ。」のみ追加されている。) (1980~1981)


このペンが書きはじめられる時がこわいのだね。
ポール・オースターという作家の感性の、異常なまでの熱心さ、あるいは濃密さ、引用される知識の豊かさに圧倒される。
いつもその覚悟で読まなければならない宿命が読者に課される。しかし難解ではない。丁寧過ぎるのかもしれぬ。
何も書かれていない紙。その周囲をつつむ孤独な空間。そこから生まれてきた膨大な言葉たちよ。


(平成8年発行…平成21年9刷…新潮文庫)

武士の家計簿

2011-01-26 23:06:38 | Movie


監督:森田芳光
原作:磯田道史 『武士の家計簿「加賀藩御算用者」の幕末維新』(新潮新書刊)
脚本:柏田道夫


《キャスト》
猪山直之:堺雅人
猪山駒(直之の妻):仲間由紀恵

猪山 直吉(直之の息子・少年時代役):大八木凱斗 
猪山成之(直之の息子・元服後の青年時代役):伊藤祐輝

猪山信之(直之の父):中村雅俊
猪山常(直之の母)松坂慶子


詳細は「武士の家計簿・オフィシャルサイト」でどーぞ。


時代劇というものに、あまり興味のなかったわたくしですが、この映画を観た後の気持は
真っ当に生きる加賀藩の「後算用者=藩の会計処理の専門家」である猪山家三代の下級武士のつつましい物語に
いたく感動しました。
刀を振り回すシーンや、戦闘シーン皆無の時代劇は、ほのぼのと静かに生真面目に展開されていました。

原作者の磯田道史は、金沢の加賀藩のそろばん侍一家の詳細な家計簿を発掘し、調べあげて小説化しているようです。
時代の波に流されながらも(江戸時代から明治時代に跨る。)つつましやかに、現実を見つめ、正義を貫いた三代の物語である。


詳しいストーリーについては書きませんが、トピックス2つを書いておきます。


まずは、家族の食事の時に繰り返された、直之の父親信之の「赤門の自慢話」です。
現在の東大赤門は、もとは旧加賀屋敷御守殿門であり、輿入れする将軍家のお姫様がくぐる門でもありました。
その輿入れの際、予算不足ゆえ赤門の塗り替えは前面のみとされたのだそうです。
何故、前面のみでよろしいのか?それは輿入れするお姫様は、門をくぐったら後を振り向いてはいけないという約束事があったからです。
このような加賀藩の財政困難の乗り切り方があったとは!


猪山直之は父親と同じ職務に従事することになりました。
算盤と筆だけの地味な仕事ながら、几帳面に努めるうちに「御蔵米」の勘定役に任命される。
ここで、飢饉に苦しむ農民への「お救い米」の量と、供出米の量との数字が合わないことに気付く。
中間で私腹を肥やす城の役人の悪事を独自につきとめ、左遷されそうになるが、人事は刷新された。
城の財政の倹約は殿様の食事にまで及ぶが、これもクリアー!
身分昇進したものの、下級武士の家計も苦しい。
主人自ら家計簿をつけて、さまざまな工夫を凝らして、家計立て直しもはかるのだった。




直之の息子成之の時代には、ついに大政奉還の時代に入る。
しかし、直之の子供時代からの成之への「算盤侍」としての厳しい教えと、その才能は
近代海軍のなかで花開くことになっていった。

時代は変わる。しかし、つつましく生きる人間の清明さは、変わることはないのでは?

曙  ヴァレリー

2011-01-03 22:41:11 | Poem



      ポール・プウジョーに。



まだ醒めきらぬ睡眠を齎(もた)してゐた
鬱陶しい混乱が、いま 太陽の
薔薇色の出現の姿に たちまち
散り散りに 消えて失くなる。
自信の翼を一杯に拡げて、俺は
自分の霊魂(たましひ)の中に踏み込む。
これが 最初の祈りなのだ。
流沙の地を抜け出ると、すぐ
わが理性の歩調に合せて
素晴らしい歩みを、俺は運んでゆく。

おはやう。雙生兒(ふたご)のやうに似た微笑(ほほえみ)を
浮かべて なほまだ寝込んだままの、
女の友達、相似形よ、
単語の間で、きらきらと燦いてゐる。

(以下略)


詩集「魅惑(即ち 詩篇)…CHARMES」より。



新年にふさわしい詩はないものか?
そんな思いで昨年末から探していましたが、これに決定。
今更ながら、先達詩人とその翻訳者に敬意を表する。

この詩篇のなかには「雙生兒(ふたご)」「相似形」という言葉がありますが、
これは詩の素材としてふさわしい単語が生まれ、脚韻として響き合うことを言っているようです。
こうした詩法は古いものではなく、むしろ挑戦してみたいものだ。

停滞している自身のために送る。