ふくろう日記・別室

日々の備忘録です。

春疾風・俳句

2017-02-21 00:18:45 | Haiku


 
   春疾風ビルの谷間の擦過傷  Aki
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枯れすすき

2016-12-05 21:44:39 | Haiku
  

    枯きつて風のはげしき薄かな    杉風 










冬の空の下、枯れすすきが美しい。
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夕月や流残りのきりぎりす  一茶

2016-10-22 13:09:55 | Haiku
やっと涼しくなってきて、「一茶双樹記念館」なるものを訪問。
「双樹」というのは俳号であって、秋元三左衛門と言う方で、千葉県流山において、みりんなどの醸造販売を行っていた方らしい。1801年~1818年ころに、一茶は流山を訪れ、「双樹」がお世話をしたということらしい。
建物と庭は、当時のものではなく、解体調査、改修、復元によるものであるらしい。入口は「秋元本家」であって、奥には「双樹亭」「一茶庵」がある。
「流山のみりん黄金時代」の復元とも言えるのではないだろうか?










お庭の見える座敷で、桜茶と甘味をいただきました。


サルスベリの実。ホトトギス。




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「増殖する俳句歳時記」 20年完走

2016-08-08 21:17:25 | Haiku



8月8日


被爆後の広島駅の闇に降りる     清水哲男



当「増殖する俳句歳時記」は当初の予定通りに、20年が経過したので、本日をもって終了します。最後を飾るという意味では、明るくない自句で申し訳ないような気分でもありますが、他方ではこの20年の自分の心境はこんなところに落ち着くのかなと、納得はしています。戦後半年を経た夜の広島駅を列車で通ったときの記憶では、なんという深い闇のありようだろうと、いまでも思い出すたびに一種の戦慄を覚えることがあります。
あの深い闇の中を歩いてきたのだと、民主主義の子供世代にあたる我が身を振り返り、歴史に翻弄される人間という存在に思いを深くしてきた人生だったような気もしております。
みなさまの長い間のご愛読に感謝するとともに、この間ページを支えつづけいてくれた友人諸兄姉の厚い友情にお礼を申し上げます。ありがとうごございました。(清水哲男)



詩人清水哲男さん率いる「清水哲男・増殖する俳句歳時記」は、8月8日をもって終了されました。
長い間、俳句を日常的に忘れずにいられたことに感謝致します。「最後の句はなんだろう?」と思っていましたが、清水哲男さんの深い思いが込められた句でございました。ありがとうございました。これからどうしよう。。。
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獅子舞の目こそ哀しき平和かな

2015-01-05 22:07:19 | Haiku



1月5日の「清水哲男・新・増殖する俳句歳時記」において、清水哲男さんの大事なメッセージがありました。過去ログに行く前に、ここにコピーさせていただきました。



獅子舞の目こそ哀しき平和かな    辻井 喬



俳句では「平和」というような抽象的直裁的な表現を嫌うようだが、それは使い方によるもので、この句では「平和」がよく効いている。
獅子頭の目はただ黒々と丸く描かれたものだから、何の感情も宿してはいない。
人形などのそれのように、だからこそ逆に見るものの見方によってさまざまな感情を表すことになる。
句意は獅子の目を見ているとその大きく見開かれた瞳が、現今の「哀しき平和」の様態を映し出しているように見えるというわけだが、
同じ「平和」と言ってもその様態はさまざまだ。
「平和」とは単に戦争の無い様態を言うこともできるけれど、内容的には大きな深浅の違いがあるだろう。
簡単に言っておけば、戦後日本の「平和」は、戦後十五年ほどが最も深かった。
もう戦争は御免だという意識が国民的な広がりを持っていて、再軍備などはとんでもないという理屈以前の根拠が大きな力を持っていた。
国は貧しかったが、こんな時代はおそらく史上はじめてだつたと思う。
「平和を守れ」とは単なるお題目ではなかった、それが今はどうだろう。
戦争を知る世代の作者は、大きな哀しみをもって、お題目と化しつつある浅き「平和」の様態を眺めているという図だ。
何をかいわんや。空爆くらいしか戦争を知らない私にしてからが、いまの「平和」の浅さには呆然としてしまう。


「毎日新聞」(2014年5月24日・夕刊)所載。(清水哲男)



2015年1月5日  月曜日 『清水哲男・新・増殖する俳句歳時記』より
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俳句航海日誌 清水昶④

2014-12-30 00:09:48 | Haiku


今回は年末年始の句を選んでみました。



暮早し銀河鉄道の切符買ふ   2002年12月30日



銀河鉄道の切符を買うのは早すぎると思いました。
昶さんのご命日は「2011年5月30日」でしたが、それも早すぎました。
いつからか定かではありませんが、昶さんの「死」に対する関心はだんだん強くなっていったような気がします。



何となく淋しき日なり晦日蕎麦    2005年12月30日



過ぎゆく時間のなかにいると、人は淋しくなるもの。



生き延びよ腰強き雑煮喰ひ   2006年1月5日



反面、新年の食べ物は心強いものばかりですね。
「生きよ」ではなくて「生き延びよ」と書かれたのは、
「五七五」の「五」に拘ったわけではないようです。



初句会座敷童子も正座せり    2003年1月1日



初句会で、昶さんの隣に正座した座敷童は何の悪戯をしたのだろうか?
いやいや、一句献上したのではないだろうか?
子供が好きだった昶さんらしい句です。



髪洗ふ音やはらかき初湯かな   2003年1月12日



しみじみとこの句はいいですねぇ。
長い髪にゆっくりと流れてゆく、豊かな湯の音がかすかに聴こえます。


こうして句集を開く度に、昶さんの声を聴くような気がします。
地上に生きて、私は何度の「棒のごとき去年今年」を繰り返すのかわかりません。
それでも生き延びてみましょうか?


去年今年貫く棒の如きもの    高浜虚子
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第七回日本一行詩大賞授与式

2014-10-02 20:21:15 | Haiku



九月二九日、午後六時より開催されました「第七回日本一行詩大賞授与式」に参加させていただきました。

主催 日本一行詩協会
後援 読売新聞社 角川春樹事務所
場所 アルカディア市ヶ谷


第七回一行詩大賞特別賞 清水昶氏 句集「俳句航海日誌」
第七回一行詩大賞特別賞 西川徹郎氏 句集「幻想詩篇 天使の悪夢九千句」
第七回一行詩大賞 小島ゆかり氏 歌集「純白光 短歌日記2012」

受賞者は以上の通りです。
昶さんの受賞とご挨拶は、井川博年さんがなさいました。


角川春樹氏のご挨拶のなかでは……


 死ねば死にきり水際に又春立ちぬ


この句に衝撃を受けたとおっしゃっていました。


選者の福島泰樹氏のご挨拶では……

清水昶さんの詩人としての驚きと感動を語って下さいました。
それは詩集「少年・1969年刊」です。


少年   清水昶

いのちを吸う泥田の深みから腰をあげ
鬚にまつわる陽射しをぬぐい
影の顔でふりむいた若い父
風土病から手をのばしまだ青いトマトを食べながら
声をたてずに笑っていた若い母
そのころからわたしは
パンがはげしい痛みでこねられていることを知り
あざ笑う麦のうねり疲労が密集するやせた土地
おびえきった鶏が不安の砂をはねながら
火のように呼ぶ太陽に殺(そ)りあがる一日の目覚めに
憎しみを持つ少年になった
たぶんわたしは暗さに慣れた
太陽を射(う)てまぶしい対話を潰せ
しずまりかえった夜こそがわたしの裸身の王国であり
梟のようにしんと両眼を明けるわたしの
その奢る視界であえいでいる母
残酷な痛みのなかで美しい母ににた
神に従く少女を愛し
因習しみつく床に膝を折る少女の
闇夜をひらく眼の一点に
迷い星の輝きを見た
どこへ行こうとしていたわけではない
なにを信じていたわけでもない
ひややかな口づけは花やいだ世界を封じ
たゆたう血潮を閉じこめるひとつの夜に
息をひそめて忍んでいくとき
初潮のように朝が来る!
生活の鬚を剃り落とすたしかな朝
きれいなタオルを持った少年は
わたしの背後にひっそりとたち
決っしてふりむくこともなく老いるわたしを
いつまでも
待ちつづける



ぎりぎりまで詩を書き、追いつめ、さらに言葉の領土を「俳句」にまで広げた
天国の詩人&俳人清水昶さん、おめでとうございました。
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水脈の果て炎天の墓碑を置きて去る

2014-09-27 22:00:40 | Haiku





水脈の果て炎天の墓碑を置きて去る   金子兜太



1944年、金子兜太さんがトラック島(現ミクロネシア連邦チューク諸島)に
第4海軍施設部に着任したが、ここが「死の現場」でしかなく、多くの兵士が飢死した。
1946年11月、最終の復員船で帰国する時に、その船の最後尾でトラック島を見つめながら詠んだ句である。


以下のリンク先にて、金子兜太さんの怒りの声が読めます。


俳人 金子兜太さん語る 無残に死んだ人に代わって とんでもねえ時代です 「赤旗」9/8


九条守れの俳句掲載拒否 俳人・金子兜太さん「文化的に貧しい」2014年8月17日(日)埼玉新聞
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いぶしたる爐上の燕帰りけり

2014-09-06 11:33:42 | Haiku


ご存じ、「清水哲男・新・増殖する俳句歳時記」では、
7人の方々による俳句の紹介と解説が展開されています。
夏から、新たに金曜日を担当されていらっしゃる「藤嶋務」氏のこの句の解説から
たくさんのことを学びました。

以下、全文引用します。


2014/9/5(金)


いぶしたる爐上の燕帰りけり    河東碧梧桐


茅葺の古民家が目に浮かびます。真っ黒に煤けた大黒柱があって爐(いろり)があってボンボン時計がある。
そんな爐上に何故だか燕が巣を作った。成り行きながら雛がかえって巣立ちもした。
この家の者も愛しみの眼差しを向けて日々雛の成長を楽しみにする。
時々寝言で鳴く「土食って渋ーい、渋ーい」に寝付かれぬ夜もある。
何匹かの子燕の特徴を識別して名前など付けてしまう。そして燕たちが自分の家族とも思はれて来る頃その日は来る。
見知らぬ遠い国へ旅立ってしまうのだ。後にはぽかんとした空の巣がそこにあるだけ。誰にでもやって来るその日はある。

『碧梧桐句集』(1920)所収。(藤嶋 務)


さらに、つぶやく堂というBBSにて、藤嶋務氏こと「やんまさん」の鳥の鳴き声の「聞きなし」に
ついての追加解説をされていました。


「土食って渋ーい、渋ーい」は燕の鳴き声です。
ジュクジュク、ジュクジュクと聞こえるのが何時の間にが「ツチクッテシブーイ」に聞こえてきます。
他には、
うぐいす(鶯)……法、法華経
ほととぎす(杜鵑)……特許許可局
ほおじろ(頬白)……一筆啓上仕りそうろう
こじゅけい(小綬鶏)……ちょっと来い、ちょっと来い
はと(鳩)……で、で、ぽっぽー
ふくろう(梟)……ごろすけ、ほうほう
こまどり(駒鳥)……ひんからからから
せんだいむしくい(仙台虫喰)……焼酎いっぱいぐいー


こんなに楽しい解説は読み流しておくわけにいきません。
過去ログに行ってしまう前に、ここに「覚書」として書いておきます。すみませぬ。

こんなに引用してしまったからには、私自身の感想も書かなければ、と思いますが、
さて、これに加える言葉を私は持っておりませぬ。
強いて書くならば・・・…
「土食って渋ーい、渋ーい」は、燕の巣が土を固めたものだからかしら?
「爐(いろり)」の上に巣を作ってしまったら、冬にはどうするの?
いいえ、大丈夫よ。
燕は春に日本に飛来して、人家に営巣して、秋になったら南方に去ってしまう。
燕さんはちゃんと心得ておりますのでしょう。(これにて、ご勘弁を。)


追記  とりの歌

     とりの歌・2

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炎昼 炎暑 酷暑 極暑 大暑

2014-07-27 21:29:06 | Haiku


暑い!暑い!おそろしいほど暑い!
……と騒いだところで、梅雨明け後の暑さは居座りはじめたばかり。
さて、どうしようか?出掛ける気にもなれないし。
それで、熱い俳句を選んでみました。拙ない感想などを添えて。


炎昼いま東京中の一時打つ      加藤楸邨


夏の午後一時と言えば、温度が最も高い時間である。
東京のビジネス街の昼休みが終わる時間にも当たる。
屋外での人の動きがはたと途絶える時間に
暑苦しい東京の時計という時計が午後一時を打つのである。
時計の音はどこから聴こえるのか?死者が打つのか?


電柱のどこへも行けぬ炎暑かな    大野朱香


立ったまま動けない電柱である。
炎暑から逃げる術もないのである。
哀しくて、やがて面白き……。


静脈の浮き上り来る酷暑かな     横光利一


思わず我が腕の静脈を眺めてしまった。
冷房の効いた部屋にいて、パソコンに向かっている私には表れない症状かもしれぬ。
横光利一の句に「梅雨晴れや手枕の骨鳴るままに」という句がある。
横光さんは、気象の変化を体の部位にて感じる方なのだろうか?


蓋あけし如く極暑の来りけり     星野立子


まさに極暑の蓋が開くのだ。地獄の釜の蓋が開くように。


念力のゆるめば死ぬる大暑かな    村上鬼城


あああ。暑さに耐えるには念力に頼るしかないのか?
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