ふくろう日記・別室

日々の備忘録です。

秋は気難しい季節

2018-09-30 13:00:09 | Stroll
数日前、近所の小学校の庭に金木犀が香っていました。
あまい秋の匂い。気持が和らぐ。





それにしても、またまた台風接近中。
こちらにくるのは、真夜中のようです。
どうぞ、大きな災害になりませんように。
小さな花が散りませんように。


この小さなやせっぽちの日本列島は大きな痛手をあちこちで受けています。
天の神様。もういいかげんにしてください!!!



散歩

2018-09-23 22:09:55 | Stroll
どうやら、風邪が治ったと思ったら、この時を待っていたように、夫のお願いが始まる。
夫は最近歩くのが辛いようだ。不安があるようだ。涼しくなったので、お供をする。

一緒に歩いてみましたが、以前よりも困難には見えないが、ご本人は「痺れが強いので。」とのたまう。
当然カメラを持って歩く。夫の歩みは遅いので。

今日はいいお天気。







 杉の雄花




まぁ。こんな感じでお散歩。
「倒れた時のために、左側(こっち側が軽い麻痺があり。)を歩いてくれ。」と言った直後に、
「いや、あなたには支える力はないし、僕の下敷きになったら大変だ。」
……ということで、勝手に歩きながら、写真を撮っていました。


要するに、1人の散歩が寂しいのね。

秋です。

2018-09-19 21:09:04 | Stroll
風邪をひいて、病院でお薬を処方して頂く。
熱はないけれど、長々と風邪が我が体内に居座っているのだ。

散歩のつもりで、カメラを持って行く。
道すがら、久しぶりに。涼しくなって嬉しい。銀杏。彼岸花。芙蓉。










15歳の東京大空襲   半藤一利

2018-09-08 21:33:17 | Book




2010年2月10日初版第一刷発行 ちくまプリマ―新書129 筑摩書房刊

半藤一利氏は、1930年東京向島生まれ。終戦時15歳ということになる。
のっけから申し訳ございませんが、半藤氏の少年期のニックネームは「玄米」だったそうです。なるほど……。ごめんなさいでーーす。

東京大空襲をもろに体験し、それから疎開体験。なんとか生き抜いた少年の記録と共に、その時期の東京の悲惨な状況と、戦争が何をもたらしたかについて、明確に書かれています。膨大な犠牲者が命を落としたのですが、半藤氏は生き残り、こうして伝言を書いて下さいました。

以下、引用します。

『若ものたちが君たちこそ国の宝だとおだてられ、もちあげられるときは、国のリーダーたちが何事か企んでいるときで、「今どきの若いものは」と、若ものの値段が安いときほど平和なのであるな、とつくづくいまは思うわけです。』

『人間というのはいつ、どういう死に方をするやらわかりません。こういう衝撃的な死をいくつも見ているのに、ひどいもので、無感動そのもの。神経も感覚もすっかり鈍麻し麻痺しきっている。死んだ人のことにいちいち思いを致すことはなくなっています。すでに書きましたが、くり返します。いくらでも非人間的になれる、それがおっかないところなのです。戦争というものの。』

『ものすごい危険ななかにあって、それに負けずに一瞬一瞬に賭けた懸命な生き方、それは紙一重で、勇気や立派さともなり、そのまま陶酔しやすい危険につながっています。危険をものともせずに生きぬき、そしてそのとき腹の底から感じた生甲斐のようなものは、戦争そのもののあやしげな魔力と結びつきやすいようです。戦争体験を語りつぐ、と簡単にいいますが、そのことのむずかしさはここにあると思っています。』

東京下町の半藤家の家族のあり方も大変魅力的でありました。家族の困難な時に見事な判断を下す、お父上が特に。この親にしてこの子あり、でした。
書きたいことはたくさんありますが、この辺で。