ふくろう日記・別室

日々の備忘録です。

ロシア国立交響楽団 ジャパンツアー2011

2011-05-29 21:11:00 | Music


2011年5月28日 サントリーホール   開演 14:00

「ロシア国立交響楽団 ジャパンツアー2011」



指揮:マルク・ゴレンシュタイン
チェロ:アレクサンドル・ブズロフ

曲目
○グラズノフ:バレエ音楽「ライモンダ」より3つの小品
○ショスタコーヴィッチ:チェロ協奏曲 第1番 変ホ長調 作品107
○アンコール曲:J.S.バッハ:無伴奏チェロ組曲 第3番 ハ長調 BWV1009 から「サラバンド」

休憩

○ラフマニノフ:交響曲 第2番 ホ短調 作品27
○アンコール曲:ラフマニノフ :ヴォカリーズ
(これは指揮者の マルク・ゴレンシュタインがたどたどしい日本語で「被災者の方へ捧げます。」とおっしゃっていました。)

サントリーホールの公演予定の過去2か月ほどを辿ると、さまざまな予定がキャンセルされていた痛々しい過去がある。
そうした経過の後に、ロシアからようこそ!


交響曲というものは、はじまりは音の森となる。
それぞれの楽器の音は呼吸のように生まれ、やがて音の森を満たしてゆく。あるいは音の森を創る?
しばらくは森のさまざまな音に包まれて、ゆっくりと歩いてゆく。

やがて天上の光が見え、草原が見え、水音は流れとなる。
風の音、水の音、光が光となる音、
わたくしはなをも歩き続ける。何が導いているのか?

安らいだ眠りのような世界のなかにいるようだ。あるいは眠り?

「音楽というものはCDなどで聴くよりも、たとえ二流か三流であってもいいから、
生演奏で聴く方がよい。」と言っていた知人(調律師だったか?)がいた。たしかにそうかも知れない。
一流か、三流かをどこで決めるのかは、わたくしにはわからない。
ただ、全身が心地よきものであればいいのだろう。

レンブラント 光の探究/闇の誘惑

2011-05-27 21:48:14 | Art

《レンブラントハイス美術館》

「ハイス」とは「ハウス」という意味と同じで、この建物は彼の自宅だったのでせう。
フェルメールの描いたこの絵と似ていませんか?


《ヨハネス・フェルメール 小路》

25日午後、上野の国立西洋美術館にて「レンブラント 光の探究/闇の誘惑」という展覧会に行ってきました。
久しぶりの快晴の一日でした。(主婦としては洗濯日和でもありますが……そこを振り切って!笑。)

詳細は上記のオフィシャルサイトに書いてありますので、そこはカットします。
作品の大半は、モノクロの版画であり、オランダの紙で刷ったもの、和紙で刷ったものとの比較ができました。
当時のオランダは貿易港として栄えた国でしたので、和紙の入手は困難な出来事ではないですね。


《レンブラント・ファン・レイン 石の手摺りにもたれる自画像》

これらの作品の大きな特徴は、誰も模倣ができなかったという版画の技法と「光」と「影」の表現にあります。
オランダという国は光ある国なのだろうか?
フェルメールも「窓から差し込む光」のなかにいる人物を多く描いた画家だったと思う。
それとも、この時代の絵画が目指した方向性だったのだろうか?
考えるのは、後にします。一日出掛けると、翌日にはダウンするという、情けない状況にいますので、備忘録だけとします。

ブラック・スワン

2011-05-18 22:38:41 | Movie
『ブラック・スワン』新予告編


ブラック・スワン

「ブラック・スワン・オフィシャルサイト」

監督:ダーレン・アロノフスキー
音楽:クリント・マンセル
製作:アメリカ
製作年:2011年

《キャスト》
ニナ(バレー「白鳥の湖」のプリマ):ナタリー・ポートマン
トマス(バレエ団のフランス人監督):ヴァンサン・カッセル
エリカ(ニナの母):バーバラ・ハーシー
ベス(引退するプリマ):ウィノナ・ライダー
リリー(二ナの代役):ミラ・キュニス


バレー団のベテランのプリマの「ベス」は監督の目にはもう終期が見えていた。
新たに「白鳥の湖」公演のプリマに選ばれたのは「ニナ」であり、代役として「リリー」が選ばれた。
ここから新人プリマの激しい苦悩が待ち受けていた。

「ニナ」は完璧に踊れるプリマではあるが、真面目で繊細すぎる点においては「白鳥」は踊れるだろう。
しかし、あの「黒鳥」を官能的に踊る要素が不足していた。
かつて母親もバレリーナだったが、「ニナ」を産んでからはその夢を娘にかけて、大切に育ててきた。
「ニナ」は公演の日までに、「白鳥」と「黒鳥」を完璧にマスターしなければならなかった。
そして、その苦しみのために次第に狂気の世界にのまれてゆく。
幻覚、コンプレックスと自尊心、今までの母親の優しさにさえ逆らって、「ニナ」は際限もなく狂ってゆくが……。

このあたりを指して「スリラー映画」と評されるらしいのだが、それは違うように思う。
あくまでも「ニナ」が初めてのプリマを踊るということへの究極の恐怖との闘いであった。
そして、ほとんど命がけで観衆を魅了するプリマを踊りきったのだ。
「バレー」という究極の作品を公演するために、どれほど人間が苦しみを越えて美しいプリマになるのか?
そのことを思い知らされた美しい映画でした。

人生の色気  古井由吉

2011-05-14 22:05:06 | Book


わたくしにとって「古井由吉」という作家には、どうしたことか安心と信頼感があります。
ちびちびとこの本を読んできましたが、全文引用したいくらいに頷けることばかりでした。
彼がお話する向こう側には聞き手がいらして、その方々に向かって語られたという趣向でした。

第1章~第3章…聞き手は「佐伯一麦」
第4章…聞き手は早稲田文学の「下田桃子」「西条弓子」「横山絢音」「市川真人」
第5章…聞き手は読売新聞の「鵜飼哲夫」
第6章…聞き手は「島田雅彦」

上記の方々に向かって、古井氏が語り、聞きとりをした編集部が文章構成をして、著者校正を経たものです。
それにしても、肉声を聴くような錯覚に何度も陥りました。ちなみに聞き手と語り手の世代を記してみます。

古井由吉は1937年生まれ。日本の小説家、ドイツ文学者。いわゆる「内向の世代」の代表的存在。
佐伯一麦(さえきかずみ)は1959年生まれ。小説家。私小説の書き手として知られる。
「早稲田文学」の4氏はおそらく学生だと思えますので、省略します。
鵜飼哲夫は1959年生まれ。読売新聞社文化部次長。読書面と文化面「論壇」の担当デスク。
島田雅彦は1961年生まれ。小説家。法政大学国際文化学部教授。


古井由吉が70歳を越えて、聞き手の3氏は40代後半から50歳ということになる。ほぼ20数年の時間差がある。
早稲田文学の学生は、おそらく孫の世代ということになる?(出版年2009年から算出した。)

わたくしが、諸氏の世代に何故拘ったのか?
それは古井由吉自身が、みずからを「老作家」と言い、こうした企画そのものが、わたくしから見ると「老作家」並と思えるからです。
いいえ、決して「もう書けない。」から「話を聞きだした。」というような簡単な企画ではありませんよ。
古井由吉とは、一筋縄ではいかないお方ですからね。書くものも凄いけれど、語りもまた凄い。

以下引用します。涙をのんで少しだけで我慢しませう。『 』内が引用部分です。


『どこの馬の骨ともわからない同士、という気持ちが大事だと思います。それが自由を保障するわけです。
 似た環境同士でいれば、近親相姦みたいなものです。いまは、異質なものに対する拒絶反応が、世間全体に強いですね。
 似たもの同士くっついていれば、男女の性的な欲望も衰えますよ。男女というだけでも、本質的には異質です。
 本当のところ生まれも育ちも、どこの馬の骨だかわかりません。馬の骨同士が交わっているところに自由があるわけです。
 そうでなければ、人間は滅びるようになっています。』


これは第4章の、早稲田文学の若者たちに語っているところです。
若者全体が均質化したこと。「エロス」が失われつつあることへの、老作家の警告です。
「エロス」がなくなれば小説はなくなり、文学がなくなるとさえ、おっしゃっています。


『人間はかなり早い段階(原始時代まで遡って。)で、死者を向こう側へ送ったり、心をなだめる行動をとっていたことが知られています。
 葬送です。死んだ人をこの世に留めてはならない、ということが理解できなければ、葬送の発想は出てきません。
 集団にいる人がみんな、死者をあの世に送らなくてはならない、という了解をしていれば、その儀礼はすでに言葉が発生している状態です。
 言葉は、生と死の境目から生まれてきたと思います。』


特に、島田雅彦が聞き手となった、この「第6章」は、「書く」ということ、「言葉」ということについて深く納得しました。さらに……


『言葉というものは、反復を前提にしているのではないかと思います。たとえばわれわれは「今日」「明日」という言葉を平然と使いますね。
 (中略)「明日」という言葉のなかには、1日後も自分が同じように生きている、という反復が前提として含まれているんです。
 (中略)言葉というものは、目の前の現実が反復されるという前提で成り立っているんです。』


32歳で大学教授をお止めになり、妻と娘2人を抱えて、文筆の生活に入られたことは潔いことでした。
さらに、60歳頃から「文学賞」を断り始めたこと。
「選考委員」というものにも、いたずらに「受賞者」を出す危険を警告していらっしゃいます。
そしてその後も、古井由吉は撓むことなく書き続けられました。

(2009年・新潮社刊)

かたちだけの愛 平野啓一郎

2011-05-09 14:06:14 | Book


この小説は読売新聞夕刊に、2009年7月~2010年7月までの間に連載されたものに、大幅に加筆修正されたものです。
平野啓一郎の小説を久し振りに読みましたが、新聞連載という条件がこのような小説になったのだろうか?
連続テレビドラマに出来そうなストーリー展開で、以前の彼の小説とは異質な感がありました。

相良郁哉(あいらいくや):プロダクト・デザイナー
叶世久美子(かなせくみこ):タレント(または、美脚の女王) 本名「中村久美」
淡谷大三冶(あわやだいさんじ←あわや大惨事?):義足の製作者
原田紫づ香:臨海ひかりの病院の院長

思わず小説のキャストを書いてしまった(^^)。

写真家「ニック・ナイトが撮影した「エイミー・マリンズ」

「エイミー・マリンズ」とは義足のモデルのようです。

「エイミー・マリンズ: 逆境から生まれる機会」

小説を読んだ後で、ネット検索するということを初めて経験しました。たくさんヒットしますが、このくらいまでで。。。


物語は、叶世久美子が交通事故に遭遇し、その現場のすぐ近くのデザイン事務所にいた相良郁哉が救出および救急車の手配をしたことに始まる。
「美脚の女王」と称賛されていたタレントの叶世久美子が片足切断という不幸に見舞われる。
その彼女の再起をはかるべく、原田紫づ香病院長の指揮のもと、1つのチームが作られることになる。
原田紫づ香は、画期的な病院構想を実現させた女性で、その「臨海ひかりの病院」の設備のデザインを手掛けたのは相良郁哉でした。
そこに義足のベテラン技術者の淡谷大三冶、その他ドクター、家族、専属事務所長など。
「エイミー・マリンズ」のように、という方向に向かって、叶世久美子の再起への道が始まる。

相良郁哉と叶世久美子の恋。
叶世久美子の元愛人のいやがらせ、彼女の不幸を売り物にしようとした暴露写真集制作からの奪還。
そして、フランスのデザイナーからの出演依頼でパリの舞台に立ち、美しく歩くまでのストーリーでした。

「平野啓一郎公式ブログ」に書かれた東日本大震災の被災者の方々へのメッセージと共通するものがあります。

「かたちだけの愛」というタイトルはなにを言いたかったのだろうか?(以下、引用。)

『相手のなかに献身と身勝手さ、思いやりと独りよがり、奉仕と要求を、両(ふたつ)ながらに発見することであり、
 完全な身勝手さに愛がないのと同様に、完全な献身にもまた愛はないのだった。』

(2010年初版・中央公論社刊)



《追記》

同時進行で、古井由吉の「人生の色気・2009年刊」というエッセー集を読んでいます。(以下、引用。)

『いまに至る若い人たちの文学のはしりは「第三の新人」です。ほとんどの人たちが、消費型の文学だと思います。
 三島(由紀夫)さんを継いだ若い人といえば、島田雅彦さんが頑張っているくらいでしょう。
 三島さんは産業や文化の根っこにあるものに対峙しようとしましたが、「第三の新人」は
 出来上がったものを享受し巧みな技巧で表現するわけで、いわば、日本文化のセレブリティーの先駆けです。』

この本につきましては、後日書きます。

春から初夏へ…

2011-05-02 10:54:42 | Stroll
3月11日以降、花の写真ばかり撮り続けていました。すべて家の周囲を彷徨いながら。
そして季節は早春から初夏へ。
時間はどのような役割を人の心に働きかけるのだろうか?

忘れてはならないこと。忘れてしまった方がよいと思うこと。
この2つの秤が揺れながら、季節は移ってゆく。ただ信じよう。
生きている人間は生きることを選択するに違いない。
死者は、生きている者の正しい記憶として生きてゆくべし。