わたくしにとって「古井由吉」という作家には、どうしたことか安心と信頼感があります。
ちびちびとこの本を読んできましたが、全文引用したいくらいに頷けることばかりでした。
彼がお話する向こう側には聞き手がいらして、その方々に向かって語られたという趣向でした。
第1章~第3章…聞き手は「佐伯一麦」
第4章…聞き手は早稲田文学の「下田桃子」「西条弓子」「横山絢音」「市川真人」
第5章…聞き手は読売新聞の「鵜飼哲夫」
第6章…聞き手は「島田雅彦」
上記の方々に向かって、古井氏が語り、聞きとりをした編集部が文章構成をして、著者校正を経たものです。
それにしても、肉声を聴くような錯覚に何度も陥りました。ちなみに聞き手と語り手の世代を記してみます。
古井由吉は1937年生まれ。日本の小説家、ドイツ文学者。いわゆる「内向の世代」の代表的存在。
佐伯一麦(さえきかずみ)は1959年生まれ。小説家。私小説の書き手として知られる。
「早稲田文学」の4氏はおそらく学生だと思えますので、省略します。
鵜飼哲夫は1959年生まれ。読売新聞社文化部次長。読書面と文化面「論壇」の担当デスク。
島田雅彦は1961年生まれ。小説家。法政大学国際文化学部教授。
古井由吉が70歳を越えて、聞き手の3氏は40代後半から50歳ということになる。ほぼ20数年の時間差がある。
早稲田文学の学生は、おそらく孫の世代ということになる?(出版年2009年から算出した。)
わたくしが、諸氏の世代に何故拘ったのか?
それは古井由吉自身が、みずからを「老作家」と言い、こうした企画そのものが、わたくしから見ると「老作家」並と思えるからです。
いいえ、決して「もう書けない。」から「話を聞きだした。」というような簡単な企画ではありませんよ。
古井由吉とは、一筋縄ではいかないお方ですからね。書くものも凄いけれど、語りもまた凄い。
以下引用します。涙をのんで少しだけで我慢しませう。『 』内が引用部分です。
『どこの馬の骨ともわからない同士、という気持ちが大事だと思います。それが自由を保障するわけです。
似た環境同士でいれば、近親相姦みたいなものです。いまは、異質なものに対する拒絶反応が、世間全体に強いですね。
似たもの同士くっついていれば、男女の性的な欲望も衰えますよ。男女というだけでも、本質的には異質です。
本当のところ生まれも育ちも、どこの馬の骨だかわかりません。馬の骨同士が交わっているところに自由があるわけです。
そうでなければ、人間は滅びるようになっています。』
これは第4章の、早稲田文学の若者たちに語っているところです。
若者全体が均質化したこと。「エロス」が失われつつあることへの、老作家の警告です。
「エロス」がなくなれば小説はなくなり、文学がなくなるとさえ、おっしゃっています。
『人間はかなり早い段階(原始時代まで遡って。)で、死者を向こう側へ送ったり、心をなだめる行動をとっていたことが知られています。
葬送です。死んだ人をこの世に留めてはならない、ということが理解できなければ、葬送の発想は出てきません。
集団にいる人がみんな、死者をあの世に送らなくてはならない、という了解をしていれば、その儀礼はすでに言葉が発生している状態です。
言葉は、生と死の境目から生まれてきたと思います。』
特に、島田雅彦が聞き手となった、この「第6章」は、「書く」ということ、「言葉」ということについて深く納得しました。さらに……
『言葉というものは、反復を前提にしているのではないかと思います。たとえばわれわれは「今日」「明日」という言葉を平然と使いますね。
(中略)「明日」という言葉のなかには、1日後も自分が同じように生きている、という反復が前提として含まれているんです。
(中略)言葉というものは、目の前の現実が反復されるという前提で成り立っているんです。』
32歳で大学教授をお止めになり、妻と娘2人を抱えて、文筆の生活に入られたことは潔いことでした。
さらに、60歳頃から「文学賞」を断り始めたこと。
「選考委員」というものにも、いたずらに「受賞者」を出す危険を警告していらっしゃいます。
そしてその後も、古井由吉は撓むことなく書き続けられました。
(2009年・新潮社刊)