ふくろう日記・別室

日々の備忘録です。

オルフォイスへのソネット第二部・10

2010-01-16 22:27:17 | Poem
すべての獲得されたものを機械は脅かす、
それが服従するかわりに 不遜にも精神の場を占めるかぎりは。
みごとな手のひとしお美しいためらいが もう誇らかに輝かぬようにと
さらに決然たる構築のために 機械はより強烈に石を切る。

いずこでも機械は引っ込んでいず、私たちは一度たりともそれから逃れえず、
そしてそれは静かな工場で油をさされ 分に応じて働いているのではない。
機械は生命なのだ――それは生を最上になしとげられると思いこみ、
同一の決意をもって整え 、作り、そして破壊する。

だが私たちにとって存在はなおも魔力のうちにあり、あまたの地点で
それはまだほとばしる源泉――そして 跪き感嘆せぬ者には触れられぬ
純粋な諸力のなすひとつのたわむれなのだ。

なおも言葉は言いえないものとの接触から出発し・・・・・
そして音楽はたえず新たに もっとも慄えやすい石を積み、
用いることのできぬ空間に その神聖な家を建てている。

(田口義弘訳)


 これはすでに繰り返された「機械文明」への批判のうちの1編と言えましょう。「第一部・18」では「聴く力はそこなわれています。」と主に訴えかけ、「第一部・22」においては少年たちに「飛行の試みに心をうばわれないように。」と。さらに「23」「24」へとそれは続いています。ここにきて、その批判は再開します。より強い意志をもって・・・。

 この時代はおそらくヨーロッパ全体の経済状態が急速に様変わりして、生産体制もひとの手から、機械へと移行した時代ではないだろうか?科学の進歩には後退はないのだ。


機械は生命なのだ――

 ヨハネによる福音書第14章6節などにある、キリストの言葉「私は生命である。」と対比させてみますと、これはキリストの言葉を反語的に表現したのではないか?

 また、前半の1連と2連、後半の3連と4連は、対比がみられます。後半では「オルフォイス」を呼び出し、言葉と音楽の世界の再構築を試み、「もっとも慄えやすい石を積み」「神聖な家を建てている」のです。

つぶて  中沢厚

2010-01-16 01:57:50 | Book
 この本を読むきっかけとなったのは、中沢新一の「僕の叔父さん 網野善彦・2004年・集英社新書」を読んだ後のことでした。もちろんこの本の登場人物の中心は新一の叔父「網野善彦」ですが、中沢厚は新一の父親です。

 まず、哲学者であり宗教学者の中沢新一を育てた親族を記してみませう。すべて山梨県出身者であることにも注目して下さい。父親の中沢厚は1914年生まれ。在野の民俗学者、コミュニストである。農山村の民俗調査を続け、道祖神研究をはじめとして、「石投げ」「つぶて」などの独特な研究に生涯をかけた学者です。叔父の中沢護人も「鉄の歴史家」と言われた在野の研究者です。そして中沢新一が五歳の時に、父中沢厚の妹の真知子叔母の婚約者として登場するのが、この本のタイトルとなっている歴史学者「網野善彦」というわけです。


 この「つぶて」論考の発端となった中沢厚の意外な視点について。
 1968年1月、佐世保港にアメリカの原子空母「エンタープライズ」が給油のため入港する。それを阻止しようとした「反代々木系」の学生たちはヘルメット、角棒、旗竿を持って機動隊に激突、そして彼等のとった行動は「投石」であった。機動隊はおおいにたじろいだ。
 このテレビ報道を食い入るように観ていた父親の厚が息子の新一に語ったことは、父親の少年期に、笛吹川の対岸の上万力村や正徳寺村の子供たちと、こちら側の神内川村の子供たちとの「投石合戦」の思い出だった。

「やあい、やい、万力のがきども石投げこう」
「神内川のがきども、石投げこう」

・・・・・・という言葉の応酬のあとで、投石具「石ぶん」によって、笛吹川両岸の少年たちの対戦がはじまる。さらに、厚の父親毅一も明治29年12歳の時に、「投石」のために額に大怪我をしていて、その傷跡は厚の記憶にもある。一生涯消えない傷跡だったが、その理由を父親は言わなかったそうです。

 「投石」という人類の源初的な行動を、中沢厚はそこに感じとったのではないか?原初の人間から引き継がれている行為は、現代の人間たちに内在されていたということだろうか?中沢厚の「つぶて」の研究はそこから出発したらしいのです。

 森という立体構造の世界に生きていた猿が、2足歩行の人間となった時、人間は森を出て、草原で生きることになる。身の危険からの逃げ場や隠れ場を失った人間が身近にあった「石」を武器としたり、狩猟の道具としたことは容易に想像ができます。さらに「石」は長い人間の歴史のなかでは、洋の東西を問わず、祝事、武器、拷問、呪術、願い事、また多くの子供たちのちょっと危険で乱暴な遊び道具だった。


ちいさな鉱物学者ワルター・フォン・ゲーテのための子もり唄  ゲーテ

いろいろな小石はおもしろいものだ。
投げてみたり、こぼしてみたり。
子どもの手にはね返るのは
つぶ石、豆石、玉石など。
  (大山定一訳・抜粋)


 ギリシャ神話、聖書(ダビテの石投げなど・・・)をはじめとして、アルキメデスの投石機などなど、世界中で「石」が武器である時代は長い。これらについて書いてゆけばきりがないようだ。

  *   *   *

 網野善彦は若き日の中沢新一にこのように語っています。『貧しい甲州は、ヤクザとアナーキストと商人しか生まない土地だと言われてきたけれども、そのおかげで、ほかのところでは消えてしまった原始、未開の精神性のおもかげが、生き残ることができたともいえるなあ。貧しいということは、偉大なことでもあるのさ。』と・・・・・・。この中沢厚の「つぶて」は網野善彦の著書『蒙古襲来』に引き継がれる。

 (1996年・第3刷・法政大学出版局刊・「ものと人間の文化史44」)