eつれづれ管理者(66kV特高変電所、技術者)

電気の出来事を技術者向けに適宜up中。
質問等はコメント欄にて。

2日間に渡った定期点検、増設試験終了する

2018年11月25日 | eつれづれ

定期点検終了、受電前に全設備一括5kVの直流絶縁診断を実施する。

印加電圧安定、特に問題なく10分間にて終了する。

左側の2個はグラフ作成用ヒオキのデータロガー。

気安めの5kV.10分間印加グラフ。

同じく漏洩電流グラフ。


変圧器容量に対して変流器CT電流仕様が少ない...600Aは必要だ。
過電流継電器の瞬時動作整定も60Aまでしか無い。

高圧ケーブルの直流耐圧試験

2018年11月25日 | eつれづれ

増設分岐回線の高圧ケーブルCVT100sq*150m一括の直流20,700V.10分間印加、直流耐圧試験を実施する。
試験前後の高圧絶縁抵抗測定。

直流20,700V.10分間印加、試験器とデータロガー値。

直流検電器にて印加電圧確認。

分岐引出用のDGR零相変流器(ZCT)に高圧ケーブルシース接地線を貫通する様に業者に指示する。

DGR用コンデンサ型零相電圧検出装置(ZPD)。

引出タイプの電動真空遮断器を引き出して受電開始。

断路器(DS)は無いのでPT100Vの操作回路からの電源で表示灯も点灯。
後は来年の増設キュービクル設置を経て真空遮断器を押し込み最終の受電を待つ。

定期点検で新規高圧盤の試験

2018年11月24日 | eつれづれ

高圧分岐盤、増設における継電器試験等を定期点検に合わせ実施。

OCR.DGR、コンデンサトリップ方式。

過電流継電器試験の2.5A電流、電流計等の指示確認。

真空遮断器は引き外し式の電動タイプ。
継電器とVCB連動試験には別途100V電源が必要(通常はPT、100Vより)。

真空遮断器と過電流継電器連動試験。





受電前に高圧絶縁抵抗測定。

再度の漏電調査に出向く

2018年11月23日 | eつれづれ

過日の絶監装置メール発報で再度、事業所へ出向いてB種接地線よりクランプリーカー測定。
絶監装置整定は80mAに鈍くしている。

低圧絶縁抵抗測定の結果は10.5MΩで問題無し。

共立電気計器IorロガーKEM5050にて活線MΩ測定するものの数値は0.13MΩ表示...大きなギャップがある。

Igr1.66mAはθ角度8.3にすると一致する様だ。

B種接地線で51mA、この動力回線は約10mAなので、どうも他の回線からの漏洩電流が多いかも知れず。配線のIc(対地静電容量成分電流)も考慮しなければならないが、悩んでもショーモナイので現場分電盤には漏電ブレーカを設置するに限る。

事業所よりエアコン交換業者に状況の連絡を入れてもらい...26日に回答が来た。
実はエアコン交換4台をやり分電盤主幹に漏電ブレーカを設置し分岐は配線用ブレーカを取付。試運転時に漏電ブレーカがトリップ...インバータから交流透過の合成漏れが多くダメだったので主を配線用ブレーカに交換して分岐を4ヶ所、漏電ブレーカに交換した話だった。
キュービクルに絶監装置があるなど当然、判らないことでスミマセン。
こうなって来ると監視王Ioのフィルターもアテにならない!1ランク上のIgr検知絶監装置に交換するまでも無し...原因が判って先の感度を80mAに鈍くして正解の様だ。




ダイハツは「大阪の発動機」...

2018年11月22日 | eつれづれ

第二次世界大戦前は日産コンツェルンの一員であった。
「日産」という名称は、当時グループの持株会社であった日本産業が由来となっている。
創業期より先進技術の吸収に積極的で日産自動車は日本フォードや日本ゼネラル・モータースなみの大型乗用車を製造するため、1936年(昭和11年)にアメリカのグラハム・ペイジから設計図や設備などを購入し、また戦時中の技術的空白を埋めるため、1952年(昭和27年)にイギリスのオースチンと技術提携している。
1958年(昭和33年)には当時世界で最も過酷なオーストラリア大陸一周ラリーに自社開発のダットサン・210型で出場してクラス優勝を飾り1960年(昭和35年)には業界初のデミング賞を受賞するなど、創業時より技術力の高さから「旗は日の丸、車はダットサン」、「技術の日産」として親しまれ、故障が少なく高速走行を得意としたことで医者の往診に愛用されたことから「医者のダットサン」としても親しまれた。
1966年(昭和41年)8月1日には経営難に陥ったプリンス自動車工業を通産省主導により合併。
スカイライン、グロリアなどの車種と、中島飛行機・立川飛行機の流れを汲む人材を戦列に加えた。
またプリンス自動車工業の宇宙開発事業を承継し宇宙航空事業部を発足させた。
1973年(昭和48年)の米国環境庁 (EPA)の燃費テストでサニーは第1位となり、この間、燃費向上のための高張力鋼板およびボディの防錆性の向上のための亜鉛ニッケルメッキ合金を用いた防錆鋼板(同社では「デュラスチール」と命名)、エンジンの燃焼制御技術の開発からCAD/CAM、産業用ロボットの開発まで「技術の日産」として先端技術分野の先駆的役割を果たしてきた。
しかし、その反面、戦時中に自動車の配給を独占していた「日本自動車配給株式会社」が戦後に解散となった際、日本国内各地の地元の有力ディーラーの大半がトヨタ自動車に組織化されたために販売力でハンデがついてしまい、技術面では「技術の日産」と評されるほどに優位を保っていた反面、販売面ではマーケティングと販売戦略で業界トップとなったトヨタには及ばず、1970年代までトヨタに肉薄していた日産の販売シェアは、特に1980年代以降、トヨタとの差は広がる一方となる。

ニッサンは流れるリアウインカーのダットサン1600ccブルーバートSSSクーペ、トヨタはマークⅡハードトップとか人気車だった。
カリーナハードトップも有ったが...ブルーバートU当たりからデザインもオカシクなってしまった。

最近はサファリラリー他、トント聞かれなくなった過酷なレース...三菱ランサーなどが有名だったが!。