清麿の銅像・・・実際の清麿を知る人はいないと思う・・・しかしながら本人と思わせる堂々とした姿。
山を背に、突然現れる「清麿神社」
ヒバの木が、悠然とそびえる「参道
岡山県備前市和気この地は
和気清麻呂(733~799年)の生地と伝えられています。
さて、歴史上に名を残す、和気清麻呂とは、いかなる人物であったのか
簡単にまとめてみました。
奈良時代、地方豪族の子どもたちは、成人すると上京して朝廷に仕えていた時代であったとか。
清麿は、天皇側近の警護役として働いていたようですが
37歳の時、天皇の座を狙う「弓削道鏡」との争いに負けて一時は九州に逃れ。
しかし、その後、桓武天皇の信任を得。
近畿地方の河川改修や開削を行って治水に努め、数多くの土木工事をなした。
美作・備前国造として郡民の負担軽減を図るなど民生の安定と発展に努め。
特に至誠を貫いた道鏡事件のあと。
平安遷都は彼の立案であったことなどは史上有名ですね。
1000年の古都・・・が存続したのは・・・正に清麿のおかげだったのですね。
岡山生まれの私,清麿は私の心に残る「自慢の人物」なんです!
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