<「いろいろある。」という「価値相対主義。」という名の『嘘話』>
ニヒリズムの疾走を支えている両脚の1本は「ザイン(存在)。」にかんする「真理相対主義。」であるが、もう1本は「ゾルレン(当為)。」にかんする「『価値』相対主義。」である。
『当為』つまり「当(まさ)に為(な)すべきこと。」は何であるか?
それもまた、それを語る人の「価値観。」との『相対』でさまざまであり、それら多様な価値のあいだの優劣を定めるのは基本的に不可能であるとみるのが「価値相対主義。」なのだ…。 (違うだろう!)
これがニヒリズムを、真理相対主義にも増して培養することについては、詳説する必要はあるまい。