<民主主義(1)。プラトンの『哲人政治』>
民衆政治と民主主義の区別は、後回しにして、両者を、デモクラシーつまり、「民衆による統治。」ということで、括って話を進めます。 いかなるクラティア(統治)のクラトス(力量)も、デーモス(民衆)の『反発』を警戒する、という、弱い意味でのデモクラシーならば、おそらく、人類とともに、古いものなのでしょう。
しかし、「民衆による統治。」という、強い意味でのデモクラシーを、人間の集団の、自覚的な共通意識としたのは、古代ギリシャ(とりわけ、古代アテネ)においてであったといわれております。
プラトンというフィロソファー(哲学者)が、言い換えると、「知識(ソフィア)を愛する(フィロ)もの。」が、デモクラシーについて、『国家』や『政治家』といった書物を書き残したせいで、民衆政治の『発祥』の地は、紀元前5世紀あたりにおける、古代ギリシャのポリス(都市国家)において、とりわけアテネにおいてであった、とされております。
それは、同時に、ポリティクス(政治学)の発生でもありました。
ところが、プラトンによる、原初の政治学は、何あろう、『民衆』政治を、批判するどころか、『断罪』する類のものなのです。 それについて、「知っていながら、知らない振り。」をして、民衆政治を肯定し、礼讃しているのが、現代の政治学の趨勢であり、それだけでも、「現代政治学は、スキャンダル(醜聞)の一種だ。」と言いたくなります。
それを、なぜ、『醜聞』かというと、自らの『出生』のいわれについて、言及しないのは、「民衆の意見。」たる世論に、『迎合』してのこととしか、思われないからです。 そんな所業は、先人の知恵への「まねび。」(真似ること)を必須条件とする、「まなび。」の本質から、離れることはなはだしい、といわざるをえません。
オピニオン(意見)とは、その言葉の元々の使われ方においては、「根拠の定かなら『ぬ』、思い『込み』。」のことです。 そんなものの、膨大な量の寄せ集めにすぎぬ、世論につき従うのは、『愛知』の名に値しません。
「ソロンの改革。」から、「ペロポネソス戦争。」へと至る、ほぼ百年間のアテネ民衆政治の体験に立って、プラトンは、語りました。
【 統治は、先ずティモクラシー(『名声』政治)として始まり、それが、オリガキー(『寡頭』政治)に転化し、次に、それへの反動として、デモクラシーが生じ、それが、「民衆の愚かさ。」に助けられて、ティラニー(『専制』政治)をもたらす。】という経緯があったし、理屈においてもそうなる、というのです。
この場合の「愚かなる民衆。」には、奴隷は、入っておりません。 奴隷ではなく、奴隷を沢山所有している、貴族でもない、貧乏な平民、それが、デーモス(民衆)でした。
ローマ時代になってからのプロレタリー(「無産者。」ゆえに「子供(レタリー)を産む(プロ)ことのみによって、国家に貢献しうる人々。」)ほどに、貧しかったかどうかは、定かではありませんが、「ともかく民衆は、思考や議論のための十分な時間を、有していたとしても、タイラント(専制君主)を歓迎するほどに、『愚昧』でありがちだ。」とプラトンは、言い放っているのです。
プラトンの称揚した、「フィロソファー・ルーラー(『哲人』支配者)を、現代政治に登場させよ。」などと、いいたいのでは、ありません。 名望家たちが、「金銭と情報と組織。」を競い合うところから、少数の「派閥の領袖。」が、政治権力を差配することになります。
そうしたファクション(「仲間内の行為。」としての『派閥』)における、権力の集中への反発として、多数の民衆への権力『分散』が、起こります。 そのように生まれる民衆支配が、民衆における、『統治』能力の決定的な『不足』のせいで、ポピュラリスト(人気主義者)が、ディクテーター(『独裁』者)も同然の立場に、伸し上がっていきます。
それは、論理的発生の順番であるのみならず、私たちが、この平成の世に、まざまざと見せつけられてきた、歴史的発生の道筋ではありませんか? いや、現代では、民主主義に逆らうこと、能わずであります。
タイラントといい、ディクテーターといい、その寿命は、まことに短いものであります。 世論とは、「独裁者を次々と『殺し』、新しい独裁者を、次々と生む。」機構のことだ、といってさしつかえありません。
ということは、世論こそが、アノ二マス・パワー(『匿名』の権力)としての『独裁』者だ、ということです。
しかし、ポピュラリティ(人気)を追うしか能力のない『世論』は、必ずや、アナーキー(無統治)およびアノミー(無『規範』)を招来します。 エイポリティカル(政治への無関心)な民衆が、ポリティカル・ボディ(統治体)を、休みなく『破壊』するという道程に、終止符を打とうとすると、民衆への抑圧を、平然となす、『本格』的な、独裁者を民衆自らが、招き寄せるしかありません。
現代の民衆政治は、己のうちに、推移をなしてくる、その自己『否定』の可能性に、恐れ戦いているわけです。
以上
民衆政治と民主主義の区別は、後回しにして、両者を、デモクラシーつまり、「民衆による統治。」ということで、括って話を進めます。 いかなるクラティア(統治)のクラトス(力量)も、デーモス(民衆)の『反発』を警戒する、という、弱い意味でのデモクラシーならば、おそらく、人類とともに、古いものなのでしょう。
しかし、「民衆による統治。」という、強い意味でのデモクラシーを、人間の集団の、自覚的な共通意識としたのは、古代ギリシャ(とりわけ、古代アテネ)においてであったといわれております。
プラトンというフィロソファー(哲学者)が、言い換えると、「知識(ソフィア)を愛する(フィロ)もの。」が、デモクラシーについて、『国家』や『政治家』といった書物を書き残したせいで、民衆政治の『発祥』の地は、紀元前5世紀あたりにおける、古代ギリシャのポリス(都市国家)において、とりわけアテネにおいてであった、とされております。
それは、同時に、ポリティクス(政治学)の発生でもありました。
ところが、プラトンによる、原初の政治学は、何あろう、『民衆』政治を、批判するどころか、『断罪』する類のものなのです。 それについて、「知っていながら、知らない振り。」をして、民衆政治を肯定し、礼讃しているのが、現代の政治学の趨勢であり、それだけでも、「現代政治学は、スキャンダル(醜聞)の一種だ。」と言いたくなります。
それを、なぜ、『醜聞』かというと、自らの『出生』のいわれについて、言及しないのは、「民衆の意見。」たる世論に、『迎合』してのこととしか、思われないからです。 そんな所業は、先人の知恵への「まねび。」(真似ること)を必須条件とする、「まなび。」の本質から、離れることはなはだしい、といわざるをえません。
オピニオン(意見)とは、その言葉の元々の使われ方においては、「根拠の定かなら『ぬ』、思い『込み』。」のことです。 そんなものの、膨大な量の寄せ集めにすぎぬ、世論につき従うのは、『愛知』の名に値しません。
「ソロンの改革。」から、「ペロポネソス戦争。」へと至る、ほぼ百年間のアテネ民衆政治の体験に立って、プラトンは、語りました。
【 統治は、先ずティモクラシー(『名声』政治)として始まり、それが、オリガキー(『寡頭』政治)に転化し、次に、それへの反動として、デモクラシーが生じ、それが、「民衆の愚かさ。」に助けられて、ティラニー(『専制』政治)をもたらす。】という経緯があったし、理屈においてもそうなる、というのです。
この場合の「愚かなる民衆。」には、奴隷は、入っておりません。 奴隷ではなく、奴隷を沢山所有している、貴族でもない、貧乏な平民、それが、デーモス(民衆)でした。
ローマ時代になってからのプロレタリー(「無産者。」ゆえに「子供(レタリー)を産む(プロ)ことのみによって、国家に貢献しうる人々。」)ほどに、貧しかったかどうかは、定かではありませんが、「ともかく民衆は、思考や議論のための十分な時間を、有していたとしても、タイラント(専制君主)を歓迎するほどに、『愚昧』でありがちだ。」とプラトンは、言い放っているのです。
プラトンの称揚した、「フィロソファー・ルーラー(『哲人』支配者)を、現代政治に登場させよ。」などと、いいたいのでは、ありません。 名望家たちが、「金銭と情報と組織。」を競い合うところから、少数の「派閥の領袖。」が、政治権力を差配することになります。
そうしたファクション(「仲間内の行為。」としての『派閥』)における、権力の集中への反発として、多数の民衆への権力『分散』が、起こります。 そのように生まれる民衆支配が、民衆における、『統治』能力の決定的な『不足』のせいで、ポピュラリスト(人気主義者)が、ディクテーター(『独裁』者)も同然の立場に、伸し上がっていきます。
それは、論理的発生の順番であるのみならず、私たちが、この平成の世に、まざまざと見せつけられてきた、歴史的発生の道筋ではありませんか? いや、現代では、民主主義に逆らうこと、能わずであります。
タイラントといい、ディクテーターといい、その寿命は、まことに短いものであります。 世論とは、「独裁者を次々と『殺し』、新しい独裁者を、次々と生む。」機構のことだ、といってさしつかえありません。
ということは、世論こそが、アノ二マス・パワー(『匿名』の権力)としての『独裁』者だ、ということです。
しかし、ポピュラリティ(人気)を追うしか能力のない『世論』は、必ずや、アナーキー(無統治)およびアノミー(無『規範』)を招来します。 エイポリティカル(政治への無関心)な民衆が、ポリティカル・ボディ(統治体)を、休みなく『破壊』するという道程に、終止符を打とうとすると、民衆への抑圧を、平然となす、『本格』的な、独裁者を民衆自らが、招き寄せるしかありません。
現代の民衆政治は、己のうちに、推移をなしてくる、その自己『否定』の可能性に、恐れ戦いているわけです。
以上