扇子と手拭い

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ネタ抜きの握り寿司(落語2―78)

2012-01-10 00:16:44 | 日記
▼ラジオで談志やってる
 NHKの「ニュースウオッチ9」を見ていたら、「ラジオで談志をやっているよ」と友人から電話。急いでパソコンのテレビを、ネット・ラジオに切り替えた。9日夜、「新・話の泉スペシャル - 家元の思い出編」の声が流れた。(敬称略)

 「新・話の泉」は、家元である談志を中心に、愉快な仲間の毒蝮三太夫、ミッキー・カーチス、山藤章二、松尾貴史、嵐山光三郎のレギュラーによる軽妙洒脱なトーク番組で、以前何度か聞いたことがある。司会はNHKアナウンサー、渡邊あゆみ。

▼シャリだけの寿司
 最初のところは聞き逃したが、談志の思い出を語る会とあって次々、愉快なエピソードが飛び出した。ある時、弟子を連れて寿司屋に行った談志が、「こいつは修行中だからネタ抜きにして」と注文。トロを食ってる師匠の横で、弟子の前に握りが10個並んだ。弟子はシャリだけの寿司をうまそうに食べなくてはならない。全部食べ終わったところで、師匠が「どれが一番美味かった?」

 立川キウイは前座を16年間務めたツワモノ。前座修業はふつう2、3年だから最長不倒の記録保持者だ。そのキウイに談志が言った。「真打にしてやるが、一つだけ条件がある。お前、人前で落語だけはやるなよ」。

▼ホール落語の始まり
 ミッキーは平尾昌晃、山下敬二郎とともにロカビリーのトップスターだった。熱狂したファンがうるさくて、歌どころの騒ぎではなかった。やめて帰ろうとしたところ、渡辺美佐から「手品でも何でもいいからやっていい」と言われ、ステージに座布団を敷き落語を披露した。

 「落語といっても小噺程度だが、話し始めたら場内が水を打ったように静まり返り、終わった瞬間、ドッと来た」とミッキー。この様子を談志が知ったようで後日、「ホールでも落語がやれる」と落語会を始めた、という。談志は落語協会から脱退、立川流として独立したため、寄席から締め出された。「これがホール落語の始まり」とミッキーは語る。

▼ノーベル賞が欲しい
 オウム真理教が日本中を震撼させたころ、松尾貴史に電話で「7月は気を付けろよ」と談志。松尾が「何かヤバイのですか」と聞いたところ、「よく言うだろ。ドクガツ(毒ガス?6月)、7月、8月・・・」。

 談志は元首相の佐藤栄作夫妻に随分、可愛がられていたそうだ。佐藤が死んだ時、毒蝮とお悔みに行った。寛子夫人が「欲しいものがあれば、何でも言いなさい」と声をかけた。談志は、飾ってあったノーベル賞のメダルを指さして「あれが欲しい」。さすがの毒蝮もあっけにとられた、という。

▼引き出物はラーメン1袋
 毒蝮の結婚式。カネがないので1人1500円の会費制。引き出物まで余裕がなかった。司会の談志(当時は柳家小ゑん)は、入り口で列席者に人の名前が入った封筒を配った。くじ引き。お開き近くにみんなで封を切った。力道山の名前が出た人にはインスタントラーメン1袋。すかさず談志が「のびたらおしまい」。広岡達朗を当てた人には宝くじの券1枚。「当らない割に人気がある」と談志。

 どんなことをしたら喜んでもらえるか、オレの結婚式の前から談志はいろいろ考えてくれていたんだ、と毒蝮。「あの時、只者じゃあないと、思った。本当にうれしかった」。引き出物はラーメン1袋だったが、みんな喜んで帰って行ったそうだ。


編注
渡辺美佐→渡辺プロダクションの副社長
力道山→日本プロレス最強の人気レスラー
広岡達朗→プロ野球巨人の人気スター