本校で採用している各教科の単元テストは一般的な市販のものです。
どの教科も観点別に問題が準備してあり、観点別に点数が出るようになっています。
そしてトータルで100点満点です。
その観点というのはお決まりのもので
国語…話す聞く・読む・書く・言語事項
社会…知識理解・技能・思考判断
算数…知識理解・技能・数学的な考え方
理科…知識理解・技能・科学的な思考表現
です。
これらの観点ごとに評価ができるように、観点ごとの問題が作られているのですが
…
これに前から疑問を感じています。
結論から言うと
「この問題で、本当にこの観点が評価できるの!?」
ということです。
例えば、私は今年算数の先生ですので、算数のテストをいやというほど採点していますが、先日、五年生の単元「割合とグラフ」で、こういうもんだいがありました。
「知識理解」の問題
帯グラフを見て「○○は何パーセントですか」
「技能の問題」
くじが10本あります。そのうち当たりが7本あります。当たりのくじの割合は。
「数学的な考え方」の問題
今年、お米が600kgとれました。これは去年の120パーセントに当たります。去年は何kgとれたのでしょうか。
いかがでしょうか。
ぶっちゃげ、私には全部同じジャンルの問題に見えるのですが…
帯グラフの目盛りを正確に読み取って
「○パーセント」と答えられることが、知識理解があるということならば、次の問題で
「7÷10=0.7」とできることも、知識理解があるということなのでは…?
式を立てて正確に答えを出すということが「技能」なんでしょうか。
それならば、次の問題で「600÷1.2=500」と出せることも技能になるはず。
技能を問う問題と数学的な考え方を問う問題の違いが、私にはさほど感じられないのですが…
そして何より、子どもの「数学的な考え方」が深まったかどうかというのは、こんな問題一つでは明らかにすることはできないように感じます。
本来、問題解決に臨む中で、子どもがじっくりとじっくりと時間をかけて考えて、その中に見られる思考の動きこそが評価の対象になるように思います。
それは、答えを導き出すために帰納的・演繹的・類推・統合化・抽象化・発展・一般化… という本来の「数学的な思考」のどこを辿ったのか、そこまで評価の視点は追いかけるものです。
「あぁ、この子は言葉の式にして一般化を図ろうとしている」
「この子は前の学習を生かして演繹的に考えている」
そこにこそ、この観点の正確で適切な評価がくだせるものだと思います。
だから、ほどよく長くて、「ちょっと難しめ」ぐらいの問題をもって、それができれば数学的な考え方ができていると、評価してしまうことにつながる今のテストに非常に強い疑問をもっています。
というか、危険を感じます。
だから、もちろん私はこのテストの点数をもって、数学的な考え方の評価は出しません。
私には、どうしてもテストはすべて
「知識理解」
にしか見えません。
知識と理解を評価する問題としては、一定の信頼性があるだろうと思います。
いかがでしょうか。
いや、テストを作成する側にも限界があるのは分かっています。
そこまで奥深いものを作ったり、させたりするのは難しいことですね。
だけど、安易にお決まりの観点に問題を当てはめて簡単に評価ができるような危険なシステムを広めないでほしいとは思います。
単純にテストに表れた観点別の点数で通知票をつけている先生もいっぱいいるはずです。
そうなると、機械的な学習で知識だけをたっぷり蓄えた子でも、数学的な考え方があると見なされてしまうわけです。
でもその子に、
「なぜこの問題はその式で解けるの?説明してみて」
と聞いてみると
「分かんない。そう覚えたから」
なんてまぬけな答えが返ってくることもしばしばですから。
去年までやっていた国語や社会のテストに関しても、いつも思っていました。
「本当にこれでいいのかよ」
って。
国語の「書く」問題が、どうしても「読む」問題に見えたり。
みなさんは、そんなこと思ったことはありませんか。
どの教科も観点別に問題が準備してあり、観点別に点数が出るようになっています。
そしてトータルで100点満点です。
その観点というのはお決まりのもので
国語…話す聞く・読む・書く・言語事項
社会…知識理解・技能・思考判断
算数…知識理解・技能・数学的な考え方
理科…知識理解・技能・科学的な思考表現
です。
これらの観点ごとに評価ができるように、観点ごとの問題が作られているのですが
…
これに前から疑問を感じています。
結論から言うと
「この問題で、本当にこの観点が評価できるの!?」
ということです。
例えば、私は今年算数の先生ですので、算数のテストをいやというほど採点していますが、先日、五年生の単元「割合とグラフ」で、こういうもんだいがありました。
「知識理解」の問題
帯グラフを見て「○○は何パーセントですか」
「技能の問題」
くじが10本あります。そのうち当たりが7本あります。当たりのくじの割合は。
「数学的な考え方」の問題
今年、お米が600kgとれました。これは去年の120パーセントに当たります。去年は何kgとれたのでしょうか。
いかがでしょうか。
ぶっちゃげ、私には全部同じジャンルの問題に見えるのですが…
帯グラフの目盛りを正確に読み取って
「○パーセント」と答えられることが、知識理解があるということならば、次の問題で
「7÷10=0.7」とできることも、知識理解があるということなのでは…?
式を立てて正確に答えを出すということが「技能」なんでしょうか。
それならば、次の問題で「600÷1.2=500」と出せることも技能になるはず。
技能を問う問題と数学的な考え方を問う問題の違いが、私にはさほど感じられないのですが…
そして何より、子どもの「数学的な考え方」が深まったかどうかというのは、こんな問題一つでは明らかにすることはできないように感じます。
本来、問題解決に臨む中で、子どもがじっくりとじっくりと時間をかけて考えて、その中に見られる思考の動きこそが評価の対象になるように思います。
それは、答えを導き出すために帰納的・演繹的・類推・統合化・抽象化・発展・一般化… という本来の「数学的な思考」のどこを辿ったのか、そこまで評価の視点は追いかけるものです。
「あぁ、この子は言葉の式にして一般化を図ろうとしている」
「この子は前の学習を生かして演繹的に考えている」
そこにこそ、この観点の正確で適切な評価がくだせるものだと思います。
だから、ほどよく長くて、「ちょっと難しめ」ぐらいの問題をもって、それができれば数学的な考え方ができていると、評価してしまうことにつながる今のテストに非常に強い疑問をもっています。
というか、危険を感じます。
だから、もちろん私はこのテストの点数をもって、数学的な考え方の評価は出しません。
私には、どうしてもテストはすべて
「知識理解」
にしか見えません。
知識と理解を評価する問題としては、一定の信頼性があるだろうと思います。
いかがでしょうか。
いや、テストを作成する側にも限界があるのは分かっています。
そこまで奥深いものを作ったり、させたりするのは難しいことですね。
だけど、安易にお決まりの観点に問題を当てはめて簡単に評価ができるような危険なシステムを広めないでほしいとは思います。
単純にテストに表れた観点別の点数で通知票をつけている先生もいっぱいいるはずです。
そうなると、機械的な学習で知識だけをたっぷり蓄えた子でも、数学的な考え方があると見なされてしまうわけです。
でもその子に、
「なぜこの問題はその式で解けるの?説明してみて」
と聞いてみると
「分かんない。そう覚えたから」
なんてまぬけな答えが返ってくることもしばしばですから。
去年までやっていた国語や社会のテストに関しても、いつも思っていました。
「本当にこれでいいのかよ」
って。
国語の「書く」問題が、どうしても「読む」問題に見えたり。
みなさんは、そんなこと思ったことはありませんか。
さらに、どうしてこんなテストが販売されているのかがもっと問題なんじゃないですかね~
観点別評価って、本当にできるのでしょうか?特に関心意欲態度って、人間が評価できるのかどうか疑問です。
少なくとも、私には無理です。みんながんばってるもの!私の下手な授業にもめげず!!