小学生攻略法

このブログも10年目。久しぶりに担任復帰です。

送別会 ある先生の話に感激

2015-03-30 19:56:19 | 教師力UPの攻略法
先日、本校でも送別会が行われました。
今回、うちは大幅な人員入れ替えで、全職員の半分が転出することになりました。
たまたまタイミングでそうなるわけですが、これはさびしいものです。
送別会でも、雛壇に並ぶ人と、こちら側で見送る人の数がほぼ同じという形になりました。
ということは、4月にはそれと同じ数の新しい人が入ってくるわけで、人見知りな私としてはドキドキです。
人見知りはどうでもいいですが、教務主任として、来年度の学校運営がスムーズにいくように、がんばらなくてはと思っているところです。

さて

送別会では、出ていく先生たちと最後のお話をいろいろとしました。
私も本校在籍が長い方なので、どの先生たちとも一緒に仕事をしてきた時間が長く、思いでもいっぱいです。
ほとんどは私より年配の先生たちですが、みんなとってもいい先輩でした。

その中でも、私が尊敬する、ある先生とお話をしたときのことです。
「先生の仕事ぶりはいつでも爽快でしたよね」
お酒を交わしながら、そんな話をしていると、その先生が少し熱い調子で語りだしました。
「あのね、私は商売人の子なの」
お、聞いたことない話です。

私が小さい頃、親はいつも必死で働いてた。
月末には何とか売り上げを確保しないと、来月は生活できないわけだから。
父は営業先に走り回って、なんとか家族を養うお金を集めてきた。
そうやって、親は私を育ててくれた。

私はいつもそばで親のそんな姿を見てきた。
だから、生きることは大変だというこということを、幼いうちから肌で感じていたように思う。
働くこと=お金を稼ぐこと=家族を養うこと
これを子どもながらに理解していたと思う。
ようするに、結果がすべて。
結果が出せなければ、生きていけない。
「結果はでなかったけど、がんばりましたから」なんて通用しない。
それが分かっていた。

父はいつも私に
「お前は公務員になれ」
って言ってた。
小さい頃は、それがなんでかよく分からなかったけど、今はよく分かる。
だって、給料が安定しているし、「かぜひきました」って言って仕事休めるんだもん。
私、小さい頃から体が弱くてよく病気をしてたから、父はなおさらそう言いたかったんだと思う。

おかげさまで学校の先生になれたけど、でも親が必死で働いていたあの姿は絶対に忘れないし、今でも私の中では、「仕事をする」ってことは、ああいうことだと思ってる。
この仕事だって、結果がすべて。
「がんばりました」は通用しない、と。
ほら、今日、監査に出さなかった人がいたでしょ。
(昼間、校内監査があったけど、必要書類の提出が間に合わなかった先生がいた)
あんなのあり得ない。
許せない。
あれが許される職場じゃいけない。
そう思うよ。

この話、私がこのブログでも時折伝えようとしてきた私なりの教師観とびったり重なる気がしました。
いや、ぴったり以上に、この先生のエピソードが加わって、もっといい教師観を与えてもらったような気がして、感激しました。
なるほど、私が尊敬するこの先生の仕事ぶりは、こういったものに裏付けされているんだと、納得がいきました。
この先生は、子どもからも保護者からも同僚からも頼りにされる、とてもいい先生で、学校から手放すには非常に惜しい存在でした。



今年最後の算数の授業で

2015-03-22 21:46:14 | 授業中の攻略法
5年生と6年生の算数の授業をしてきましたが、いよいよ最後の授業となりました。
担任ではないけれど、1年間いっしょに算数をしてきたこの子どもたちにはやっぱり愛着がわくものです。
「先生のくだらない話にも付き合ってくれてありがとうね」
なんて、少しだけしみじみとした瞬間もありつつ、最後の授業も終えました。

6年生は卒業も間近に控えているということもあり、
「小学校最後の算数の授業」
という意味を付け加えて、最後の授業はこうしました。
「今日で小学校最後の授業ですね。最後にどんな授業をするか、色々と考えたのですが…」
と、プリントを配りました。
それを受けとる子どもたちは
「…えっ」
「先生、何ですかこれは!?」
「あははは!!やりたい!!やりたい!!」
私が配ったのは、小学1年生向けのプリントです。
かぼちゃやメロンの数を比べて、多い方を見つける問題。
1から20までの数を線で結ぶと、絵になる問題。
どんなプリントかと構えていた6年生の子たちは、まさかこんなプリントとは思っていなかったから、リアクションがおもしろかったですね。
「じゃあ授業も今日は一年生風にいきましょう。」
こう言うと、ノリのいい子たちはばっちりハマってやってくれました。
「しせいをただしくしてくだしゃい!!」
「はーい!!」
「これから、ごじかんめのさんすうのおべんきょうを、はじめましゅ!!」
「はじめましょう!!」
私も一年生担任風にわざとらしく演技しながら、授業は大爆笑でした。
卒業までに、少しでも懐かしいころを思い出せたでしょうか。

さすが、45分すべてを一年生風のテンションではもたないので、途中からシフトチェンジしました。
一年生の問題の中で
「6+5=9」
と答えた子がいたとして
「なぜこの子はこう答えのでしょうか」
という問いで、子どもたちが色々と意見を出しているうちに、授業は六年生風に戻りました。
なかなか理解できない6年生たちも
「1年生だったら、この問題を解くのに何をする?」
と付け加えると、
「…あ~」
と、最終的にはみんな納得がいったようです。
「そうそう。指を折って足し算をすると、…ね。9だよね」
「うんうん。」

さらに最後は中学生レベルとも言えるぐらいの難問を出し、子どもたちをうならせながら、あっという間に授業は終わりました。

数日後には卒業して、中学生になる子たちに、最後に一言、二言伝えたいことはあったのですが、言うのはやめました。
遠慮したというか
しみじみとなるのも嫌だったというか
算数の先生は、最後までどっぷり算数でいいや~
そんな感じでした。

6年生のある担任が教えてくれました。
「こないだ、外国語の授業で、What do you want to be?で、子どもたちに答えさせたら、I want to be a teacher!っていう子がいて、理由をきいたら、攻略法先生に憧れてるって」
「マジですか!?」
下手な算数の授業だったのに、お世辞でもウソでもうれしいです。
教える中に、たった一人でもそんな目で自分を見てくれている子がいると思ったら、改めて授業は手を抜いてはいけないと思いましたね。(当たり前 笑)

さあ、あさってはその六年生の子たちの卒業式。
私は進行をします。
ビシッと決めて、花道を送り出したいと思います。


先生たちの忙しさは、ここに表れる

2015-03-14 18:16:56 | 雑談
年度末です。
ゴールがもう見えてきました。
私は教務主任の重大な仕事である教育課程の編成がようやく終わり、ほっとしているところです。
その夜は一人でプチ打ち上げしました。笑

担任の先生たちもラストスパートです。
学校が慌ただしくなってくると、ある場所に変化が見られるようになります。
それは

印刷室が散らかりだす

印刷室っていうところは、みんなで使う場なので、その学校なりの使用上のルールっていうものがあるものです。

印刷ミスした紙はサイズごとにケースに入れる
マスターの交換はきらした人が必ずする
新しい用紙を出した場合、包み紙は開いて重ねるようにする

みたいな。

守らなきゃいけないのですが、ゆとりがないときはこんなのがおろそかになりがちですよね。
空っぽの段ボールが転がってたり
印刷機のスイッチが入ったままだったり

最近うちの印刷室は散らりぎみです。

仕事上のルールが守られていないときは、私が注意を呼び掛けるようにしていますが、今は少しおおめに見ています。
先生たちの奮闘ぶりは痛いくらい分かりますから。
だから、代わりに自分が頻繁に印刷室に出向き、片付けるようにしています。

戦力総出で、無事にゴールを迎えたいと思っています。

観点別のテスト問題には前から疑問を抱いています

2015-03-09 21:54:58 | 学級生活の攻略法
本校で採用している各教科の単元テストは一般的な市販のものです。
どの教科も観点別に問題が準備してあり、観点別に点数が出るようになっています。
そしてトータルで100点満点です。

その観点というのはお決まりのもので
国語…話す聞く・読む・書く・言語事項
社会…知識理解・技能・思考判断
算数…知識理解・技能・数学的な考え方
理科…知識理解・技能・科学的な思考表現

です。
これらの観点ごとに評価ができるように、観点ごとの問題が作られているのですが


これに前から疑問を感じています。
結論から言うと

「この問題で、本当にこの観点が評価できるの!?」

ということです。

例えば、私は今年算数の先生ですので、算数のテストをいやというほど採点していますが、先日、五年生の単元「割合とグラフ」で、こういうもんだいがありました。

「知識理解」の問題
帯グラフを見て「○○は何パーセントですか」

「技能の問題」
くじが10本あります。そのうち当たりが7本あります。当たりのくじの割合は。

「数学的な考え方」の問題
今年、お米が600kgとれました。これは去年の120パーセントに当たります。去年は何kgとれたのでしょうか。

いかがでしょうか。
ぶっちゃげ、私には全部同じジャンルの問題に見えるのですが…
帯グラフの目盛りを正確に読み取って
「○パーセント」と答えられることが、知識理解があるということならば、次の問題で
「7÷10=0.7」とできることも、知識理解があるということなのでは…?
式を立てて正確に答えを出すということが「技能」なんでしょうか。
それならば、次の問題で「600÷1.2=500」と出せることも技能になるはず。
技能を問う問題と数学的な考え方を問う問題の違いが、私にはさほど感じられないのですが…

そして何より、子どもの「数学的な考え方」が深まったかどうかというのは、こんな問題一つでは明らかにすることはできないように感じます。
本来、問題解決に臨む中で、子どもがじっくりとじっくりと時間をかけて考えて、その中に見られる思考の動きこそが評価の対象になるように思います。
それは、答えを導き出すために帰納的・演繹的・類推・統合化・抽象化・発展・一般化… という本来の「数学的な思考」のどこを辿ったのか、そこまで評価の視点は追いかけるものです。
「あぁ、この子は言葉の式にして一般化を図ろうとしている」
「この子は前の学習を生かして演繹的に考えている」
そこにこそ、この観点の正確で適切な評価がくだせるものだと思います。

だから、ほどよく長くて、「ちょっと難しめ」ぐらいの問題をもって、それができれば数学的な考え方ができていると、評価してしまうことにつながる今のテストに非常に強い疑問をもっています。
というか、危険を感じます。
だから、もちろん私はこのテストの点数をもって、数学的な考え方の評価は出しません。
私には、どうしてもテストはすべて
「知識理解」
にしか見えません。
知識と理解を評価する問題としては、一定の信頼性があるだろうと思います。

いかがでしょうか。

いや、テストを作成する側にも限界があるのは分かっています。
そこまで奥深いものを作ったり、させたりするのは難しいことですね。
だけど、安易にお決まりの観点に問題を当てはめて簡単に評価ができるような危険なシステムを広めないでほしいとは思います。

単純にテストに表れた観点別の点数で通知票をつけている先生もいっぱいいるはずです。
そうなると、機械的な学習で知識だけをたっぷり蓄えた子でも、数学的な考え方があると見なされてしまうわけです。
でもその子に、
「なぜこの問題はその式で解けるの?説明してみて」
と聞いてみると
「分かんない。そう覚えたから」
なんてまぬけな答えが返ってくることもしばしばですから。

去年までやっていた国語や社会のテストに関しても、いつも思っていました。
「本当にこれでいいのかよ」
って。
国語の「書く」問題が、どうしても「読む」問題に見えたり。

みなさんは、そんなこと思ったことはありませんか。


先生ごとの職員室滞在時間の違いが意味するもの

2015-03-03 22:26:40 | 教師の仕事術の攻略法
年度末ですね。
担任の先生たちも忙しそうにしています。

教務主任である私は、自然と職員室にいる時間が長くなります。
だいたい、一日の半分は授業をして、あと半分は職員室にいるような感じです。
慌ただしい日は、学校中のあちこちをウロチョロしていますが。
そんな日の方が多いかな。
さて
職員室に長くいる私の目には、他の先生たちが職員室で過ごす姿もよく見えるものです。
おもしろいもので、先生によって、職員室での過ごし方に大きな違いがあります。
まずは滞在時間。
職員室にいる時間の長い先生と、短い先生がいます。
長い先生はよく私と顔を合わせるし、短い先生はあまり顔を合わせません。
極端に短い先生は、定例の会で顔を合わせること以外には、まったく出会わない先生もいます。
これはそれぞれの先生の仕事のスタイルの違いから来るのでしょうか。
職員室にいる時間が長い先生は…
学級を離れるゆとりがある
学級を離れたい理由がある
息抜きを必要としている
職員室で仕事を進めるスタイルにしている
他の職員との関わりを求めている
…そういった感じでしょうか?

逆に、職員室にいる時間の短い先生は
学級を離れるゆとりがない
職員室よりも学級の方が居心地がいい
学級で仕事を進めるスタイルにしている
他の職員との関わりを避けている
…でしょうか?

どちらが望ましいとか、そういう話になると難しいですね。
でも、学級にこもってばかりいるのはちょっと問題かとも思います。
実際、私、教務主任の立場からすると、しょっちゅう職員室に来る先生の方がありがたいです。
必要な連絡がすぐにできるし、その先生の様子から、仕事の充実ぶりとか悩みとかを推し量ることができます。
雑談もして仲良くなれます。
逆に、なかなか職員室に現れない先生は、困り者です。
連絡したいことがあっても伝えられない。
様子が見えない不安もあります。
やっぱり組織で仕事をしていることを考えると、みんなが集う場所には、ある程度のペースで顔を出すようにはしたいものですね。
忙しくて、なかなか職員室にいく暇もない状況ももちろん理解できるのですが、そこはなんとかうまくやりくりして。

ちなみに自分がどっちのタイプだったかというと…
職員室には行かないタイプでした。笑
困り者です。笑
いや、行かなかったのは駆け出しの頃ですね。
理由は、
「職員室に行く暇があるなら、もっと子どもたちと過ごしたい!!」
「職員室に行く暇があるなら、教室で仕事の1つでも2つでも片付けたい!!」
若き熱血教師でしたから。笑
まぁ今思えば、担任の他にたいした校務もなく、学級に張り付いていられる立場だったんですね。
それが年を重ねるごとに、少しずつ他の校務が多くなり、重要になり、他の先生との関わりが必要になってきました。
そこで、必然的に職員室に足を運ぶようになりましたね。
その中で、子どもがいない場での息抜きも覚えたような気がします。