前々回,前回からの続きです。
(何で泳げないのかな~)
って思いながら,泳ぎ方の指導をしたとしても,決してその子を蔑んで見たり,軽蔑したりしているわけではありません。
ただ,何度も言っているように,少なくとも私には
「泳げない子の気持ちが分からない」
ということです。
なぜなら,泳げなかった経験がないから。
泳げないだけでなく,体育,運動に関しては,学校でするぐらいのことはできてしまったから。
「できない子」たちは,私の指導をどう受け止めているのだろうか。
私をどんな存在に見ているのだろうか。
今度はそれを思うようになりました。
体育の授業で
「先生すごい」
という言葉は何度ももらっているし,それはそれで正直うれしいものなんですが,それだけではないのかもしれないと,思うようになりました。
本当にできず,苦しんでいる子たちは,先生(私)との間に相当な距離を感じているに違いありません。
その距離間には,さびしさや,悔しさ,冷たささえ感じるのかもしれません。
そして
(先生には私の気持ちなんて分からないんでしょ)
って,思っているのかも。
もしそうだとしたら,先生は,私は,この子たちにとって,劣等感を植え付けてしまっている,残酷な存在になってしまっているといえるのでは。
そこから,
「私だって,がんばるぞっ」
って努力する子どももいれば,そんな強くはなれず,やはりどんどん体育を遠ざける子もきっといるはず。